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なんで演劇に関わりつづけるんだろう 《パレスチナ国際演劇祭にて》

高さ8mの壁に囲まれ、自由には出られない“パレスチナ自治区”。『進撃の巨人』みたいな壁は、外からの侵入を防ぐためじゃなくて、中にいる人を閉じ込めるために作られている。

その“パレスチナ自治区”の西岸地区にあるベツレヘムで、『子どもと若者のための国際演劇フェスティバル』が開催され、行ってきた。主催は地元の団体Al-Harah Theatre。

ちなみにパレスチナは「ヨルダン川西岸地区」「ガザ地区」のふたつに分かれている。今回フェスティバルが開催されたのは、ヨルダン川西岸地区にある町ベツレヘムだ。


「子どもたちには『文化』が必要なんです。閉塞感のある場所で育つ子どもたちは、どうしても攻撃的になってしまうから」

これは、フェスティバルディレクターのMarina Barham(マリーナ)が言ったことだ。

同じことは、過去に行ったヨルダンのパレスチナ難民キャンプでも言われた。そこで、子どもたちは嬉しそうに飛びついてきたり、私たち日本人の乗ったバスに石を投げてきた。ガコン、ボコンと攻撃的な石の打撃音を聞きながら、ガイドさんの「これがあの子たちのコミュニケーションなんですよ。圧迫されて暮らしているから喜怒哀楽が過剰になるんです」という話をなんとも言えない気持ちで聞いた。

▲10年前、ヨルダン難民キャンプの子どもたち


壁に囲まれ自由がないとはいえ、ベツレヘムは衣食住も整っているし、今は大きなテロもない。(※ただ、一部「難民キャンプ」内は貧しく、電気は一日4時間程度しか使えない。また、別地域の「ガザ」は抗争が過激化し死者も多数でている)。けれどもベツレヘムの、少なくとも表通りでは、若者は勉強し、子どもたちは楽しそうに走り回り、大人たちは優しく愉快だった。

演劇祭は4/4〜15に行われた。パレスチナをふくむ10の国からさまざまなアーティストが参加している。イタリア、マルタ、台湾、ドイツ、ブラジル、スコットランド、ベルギー、フィンランド、ポーランド。
ベツレヘムの町のなか……大学の野外ステージや、スタジオや、公民館的な場所などで1日2〜3演目上演され、子どもやお母さんやお父さんが集まった。

演劇、コンテンポラリーダンス、音楽、マイムなど、いろいろな演目があった。子どもたちは大はしゃぎで、上演中も喋るし動く。大人たちの反応も良かった。私はカメラを持っていたので「撮ってくれ!」「撮らせてくれ!」と絡まれた。どこの国の子どもたちも、カメラには食いつく。

パレスチナからは5団体が参加していた。

観劇したThe Freedam Theater(Jenin難民キャンプにある劇団)の演目‘The Little Lantern’は、お姫様が王位を継ぐために、太陽を捕まえようとする話だった。俳優のひとりが「作家のGhassan Kanafani(ガッサーン・カナファーニー)はパレスチナの革命においてとても重要な人物なんだ」と教えてくれた。調べたら、パレスチナ解放人民戦線の活動家で1972年に爆殺されている。そう言われてみると、お姫様は、国と希望を求めるパレスチナ民の姿と重なって見える。演劇としてはつたない部分もあったけれど、真摯で、気配りのある舞台だった。

最後に、中央の黒いモニターに映像が流れた。

ジャッキー・チェン映画のエンドロールみたいに稽古風景が映っていて、見ようによってはダサい……。けど、見かけない顔が映って、ふと思った。

これは、テロなどで亡くなった仲間たちの映像なのかもしれない。

わからないけれど。事前に、難民キャンプの銃撃戦で亡くなったたくさんの子どもたちのことや、負傷したり連行された大人たちのことを聞いていたから。

わからないけれど。当たり前に「亡くなった仲間の映像の可能性」がある環境だった。

▲2014年の難民キャンプへの攻撃で亡くなった子どもたちの名前が記された塀(アイダ難民キャンプにて)


フェスティバルディレクターのマリーナが言った。

「日本をはじめ、パレスチナにさまざまな支援してくれる国はたくさんあります。それはとてもありがたいことです。けれど支援は、水などの生活支援ばかり。文化はないんです」

似たようなことは、日本国内の震災地でも聞いたことがある。日本は「自粛だ」と言いがちな国だけれど(ブロードウェイは9.11翌々日から再開されたらしい。どっちが正しいとかではないけれど)、物資のケアだけじゃなくて心のケアや息抜き、笑いが必要なことは、体験したことがあれば共感することだと思う。

マリーナから“支援(サポート)”という言葉が出てきたが、そのニュアンスは「文化を持つこと」「文化の交換や交流をすること」が必要だ……に近かったと感じた。文化を通して、他の国の価値観、彩りに触れること。笑ったり、泣いたり、遊んだり、怖がったり、さまざまな感情と付き合うこと。8mの壁の外にはたくさんの知らないものがあることを知ること。それらと繋がること。

自分から壁の外に出て行くのはハードルが高いけれど、それでも必要だと思うから、マリーナたちは芸術祭を開催している。

滞在も終わりに近づいた頃、同行していた京都の劇団しようよ主宰の大原さんが「今まで、どうして、誰のために、何を、伝えようと演劇をするかをそこまで"ちゃんと"考えたことがなかったんだなぁって実感した」的なことを呟いてたのが印象的だった。(うろおぼえでゴメンなさい)

いや、日本で演劇をしていても、もちろんそれぞれの環境なりに演劇の“5W1H”を考えているだろうと思う。なんで演劇をやるのか?って。私もそう。けれどパレスチナに来て、圧倒的な「覆い被さる現実」の前に、自分の考えの深度をあらためて覗き込んでしまう。

なんで演劇をやってるんだろう。

なんでお金をもらってるんだろう。

なんでお金を払ってるんだろう。

なんで時間をかけているんだろう。

なんで関わり続けるんだろう。

  

私は高校から演劇にどっぷりと関わって、たくさん救われたし、気づいてないけどそれによって手に入らなかったものもいっぱいあると思う。大学でも演劇を学んで、朝から次の日の朝までずーっと演劇ばっかりな日々だった。演劇以外の道に進むなんて、思いもつかなかった。

けれど結果的に「演劇は仕事にしない」ことを選んで、引きこもったり、海外に行ったり、社会問題に取り組んだり、家を解約して放浪したり、経済を勉強したり、なんだかんだして結局いま、演劇のそばにいる。

一度しっかり演劇から離れたことで、「自分にとって演劇ってなんだろうなあ」という問いには少し客観的になれた。それなりにさんざん動いて、さんざん考えて、何度も「こうかもしれないああかもしれない」と迷いに迷って、ついに「やっぱり演劇にかかわろう」と頭と身体で確信を持った……はずなのに、時々ふとわからなくなる。「なんで演劇に関わりつづけるんだろう」。

▲ベツレヘムの町


わからなくなるのはたぶん、選べるからだと思う。

「演劇」と「演劇以外」。どちらの選択肢も目の前にあるから、これがないと生活できなくなるぞという危機感がないから、ふと、わからなくなるんだと思う。

そのたびに立ち止まって考えるしかない。
「なんで演劇やってるの?」と。

今回パレスチナで、日本の東京とはまったく違う場所に身を置いてみると、考えるよりもふと"演劇"が肌に馴染んできた。「ああ、だから演劇って、芸術って、文化って必要なんだな」と、言葉でなく実感が降りてきた。

▲イスラエルのテル・アビブ空港。パレスチナに入るにはここを経由しなければならない。


帰国して数日、少しずつその実感は薄らいでいく。

また行きたい。自分の足場を確認し、実感を肌に植えつけ、地続きのどこかで演劇や文化を求めて生きている人の存在を実感するため。そして彼らと、手を取るために、また、日本を出て、足を運びたい。

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