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本当にバンクシーなのかはもう、どうでもよくなる 《パレスチナのバンクシーホテルにて》

パレスチナに到着して2日目。

この時のことを思い出すと苦い気持ちになるのは、そこで感じた重苦しい気持ちのせいだけではない。最近、GWに向けてよく見る『都庁でバンクシーのものらしき絵を公開』というニュースが重なって見えるからだ。

パレスチナでの2日目。わたしは、ベツレヘムにある難民キャンプへ行った。バンクシーや他のたくさんの人がメッセージを描いた、パレスチナとイスラエルを隔てる高さ8mの分離壁を見た。そして、バンクシーが建てた“世界一眺めの悪いホテル”へ行った。

そこではもう吐き気と内蔵のむかつきで気持ち悪くなってしまったのだけど……

そして帰国した矢先の、都庁のニュースに、なんともいえない複雑な脱力感を感じた。

 

難民キャンプ(Aida Refugee Camp)へ

4月6日午後、国際演劇祭に参加するアーティストやディレクターたちが集合した。フェスティバルディレクターのMarina(マリーナ)が、私たちにベツレヘムを案内してくれるのだ。

昼食を食べ、濁った緑色のミントレモネードを飲み(これはパレスチナでほんとうに美味しい飲み物!)、まずベツレヘムにある『Aida Refugee Camp(アイダ難民キャンプ)』へ向かった。

ベツレヘムで二番目に大きなキャンプ。世界でもっとも“催涙弾の被害を受けた場所”と言われ、2014年には大きな衝突で大量の子どもたちが亡くなっている。

▲高さ8mの分離壁

▲壁の前にある小さなステージ。「近くのビルの屋上で去年、日本人のアーティストがライブをしてくれたんだ。知ってる?SUGIZOって言うんだ」と言われた。

▲亡くなった子どもたちの名前が刻まれた壁

▲処刑されたらしき人々の顔。

▲難民キャンプのモチーフでもある『鍵』。突然町を追い出されて難民になり、いつか家族で帰ることを願って、家の鍵をまだ大切に持っている人たちがたくさんいる。過去に別のキャンプで「おじいちゃんの形見なんだ」と見たことのない実家の鍵を首から下げている少年がいた。

▲「いつか家に帰りたい」。その願いが刻まれた壁。

この場所にあるのは、生活の臭いと、肌を重く塗りたくるようなべったりとした空気。そして若者たちの鋭い目だ。

バンクシーのような絵も、壁にはたくさん描かれていた。(本当にバンクシーかもしれない。誰かが真似たのかもしれない。わからないし、もはやどうでも良かった。これは「この場所の声」だ。)

難民キャンプを出る頃には、口を開く気力もなかった。喉が渇いていたのに、水を飲む気すら起きなかった。そんなに簡単に自分を潤してはいけないような気がしたし、でも、その思いが自己満足の欠片であることも感じてはいた。

それで、無理やり水を飲み込んだ。

 

 

バンクシーのホテル(Walled off Hotel)へ

日本でも人話題になるバンクシーだけど、それはどういう意味で人気なんだろう?……わからないけれど、わたしもバンクシーにまったく興味がなかったわけじゃない。作品のアイデアには驚くし、ドキュメンタリー映画も見た。作品の背景にあることを思えば喜べはしなかったし憂鬱な気分になったけれど、頑張ろうと力をもらうこともあった。

でも、そのなかに、勝手に“物語”を見るような気持ちがなかったといえるだろうか。

それが悪いとは思わないけど、難民キャンプを経て、次のバンクシーホテルを出る頃には、もはや目を背けたくて仕方なくなっていた。

ベツレヘムにあるバンクシーの企画したホテルは、“世界一眺めの悪いホテル”と言われている。映画館みたいにネオンが輝くホテルは、高さ8mの分離壁と向かい合っている。

入り口には、荷物をこぼすコンシェルジュの猿のフィギュアと、シルクハットを被った案内のお兄さん。

観光地的なソワソワした雰囲気にげんなりし、最後までダラダラして中に入らずにいたのだけど、ハットのお兄さんに笑顔で手招きされ、中に入ることにした。

 

一階はラウンジで、宿泊客以外も利用できるカフェバーになっていた。多くの観光客や、お洒落でラフな服装の女の子たちもいる。

マリーナが「奥に博物館があるから、ぜひ」と薦めた。

もうぜんぜん気乗りしなかったけれど、ここまできたら、という気持ちで入ることにした。入場料を支払い入ると、パレスチナの迫害の歴史展示を見られる。パレスチナの身分証、デモの記録、テロで亡くなった子どもの遺品、突然イスラエル兵に連行される父親を遠巻きに見つめるしかできない少年の映像……。

一歩、博物館の扉を出れば、華やかなカフェバーで人々がお茶をしている。扉一枚隔てるだけで雰囲気がまったく違う。それは分離壁を隔てるパレスチナとイスラエルの関係のようで。淀んだ博物館の空気が、息苦しかった。

 

ホテルの二階はアートギャラリーだ。

窓からは、鉄格子と分離壁が見える。「お前は閉じ込められている」ということが嫌でも伝わる。

たしかに、世界一かどうかまではわからないけれど、眺めが悪い。


ギャラリーの中には、バンクシーの絵だけでなく、さまざまな人のパレスチナに関する作品が展示されている。

 

ここから写真は撮っていない。

吐き気がして、めまいがして、座り込んでしまった。

わたしはアートが好きで(もちろん嫌いな時も憎い時もある)、だからそれに関わる仕事をしているし、前向きに語っていられる。
でもこの空間にあるアートは、美しいものでも癒すものでもない。ただ、分離壁と現状に対する訴えだ。それはバンクシーの絵と同じく。

ふだんならシャガールの絵を見れば美しく悲しいと思うし、シャガールをモチーフにした絵はその発想や出来映えを楽しむ。けれどこのシャガールを模した絵には、膝の力が抜けた。

シャガールが結婚記念に描いた《街の上で》。
妻と手をとりあい、幸福の翼を背負って、育った街の上を飛ぶ。その街のユダヤ人地区に住んでいたが追い出され、ナチスを軽蔑していたシャガールが、垣根のない空から街を見下ろす。「空には境界線なんてない。空なら自由に行き来できる」。そのメッセージは、まさに今すぐこのギャラリーの窓の外にあるパレスチナの現実そのものだ。

ここに来るまで体感してきた閉塞感と、アートがもたらすイメージの中だの閉塞感に、気持ち悪くなった。目を開けると今そこにある現実も、目を閉じて広がる想像力の中も、どちらからも圧迫が押し寄せてくる。
 
 
このバンクシーホテルは

一階ではお洒落なアートに囲まれビールを飲む人々。その奥では、血と命と砂と迫害の歴史。その上のギャラリーではアートが意味を問い、さらにその上の部屋には、思惑それぞれに宿泊する観光客たちがいるんだろう。

この建物は、楽しさと苦難が同居し、煩雑でグロテスクで強い主張を持っている。飾られた外観は、そのグロテスクさをまるごとお洒落にラッピングしている。

そしてラッピングのすぐ外には、大きな8mの現実がそびえたっている。
 

うずくまって、しばらく顔を上げることができなかった。

吐き気がとまらなかった。

 

知識と想像力だけでは足りない

ホテルの隣にはお土産屋さんがあり、バンクシーの作品をつかったグッズがたくさん売っていた。買えば現地の人の足しにもなるし、営業にもなるだろうな……。そう思って覗いては見たけれど、どうしても買う気になれなくて、冷やかしただけになってしまった。(今は少しだけ後悔している。自分の気分を押しても買ってもよかった)

バンクシーの作品は人を惹き付ける。

そこから受けるイメージは、未来への「希望」よりも「奮起」に似ている。この絵が示すのは自分たちがここで迫害されているという証明であり、それを打ち砕きたいという(バンクシーのような人がいる)という希望であり、自分達の存在に注目してもらえる広告であり、それに引き寄せられて観光客が来る財源でもある。

バンクシーのように分離壁に絵を描く人がいる。

その行為はほとんどが「訴え」だろう。そして、強く訴えるがゆえにデモに参加し、あるいはテロに参加し、亡くなってしまうとても若い青年や少女たちがいることも、知っている。諦めずに戦おうとした結果、命を落としてしまった人たち。

筆を手に、絵を描くこと。それは希望であり、現状が苦難であることの証明、そのものでもある。

もしこの絵がなかったら、現地の人たちは自分達が圧迫されている意識が今より薄らぎ、もっと閉塞していくかもしれない。でもいつか、いつか、いつか外へーーその可能性を忘れてしまったら、諦めてしまった日常はきっと灰色どころか泥沼なのでは……。
 

日本にいるときは、ほとんどが切り取られたバンクシーの絵ばかりだった。それがどんな土地のどんな空気のどんな場所に描かれていたのか、具体的な想像が及んではいなかった。バンクシー以外が分離壁に描いた絵についてはほとんど見たこともない。


ホテルがあるこのベツレヘムは、パレスチナの2つある地区のうちでも「ヨルダン川西岸地区」といってまだ比較的安全だが、もうひとつの「ガザ地区」では、先日も多数の死者が出た。数年前まえではまだ希望があり、デモがあり、笑顔があった。けれど最近日本で公開された映像では、人々の目は落ちくぼみ、「14歳の娘はデモの戦闘で撃たれてもういない」「働いても人生に意味がない」と家から出なくなった五体のそろっている働き盛りの男性たちがいた。働かない、動かない、お金もなく、痩せていく……心臓は動いているけれど死んでいるようすというのを初めて見たこの気持ちをなんと言えばいいんだろう。

「パレスチナのテロの死者数は、ただの数字だ。統計だ。知識で考えちゃダメなんです。それはお勉強です。パレスチナ問題を考える時は“数字”でもいいけれど、それは、パレスチナを考えたことにはならない。

だから、現地に行くんです。
そこにいる人の顔を映すんです。
私たちジャーナリストは」

これは昨年末に、パレスチナを取材するジャーナリストの土井敏邦さんが言ったことだ。

聞いた時には「そうだよね」とかなり納得はしたものの、現地で吐きそうになってみて初めて「実感」した。やっと、今。たぶんこれでも、ほんの少しだけだけど。

わたしはなにも知らない。なにもわかってない。

      *

知識は大事だ。

誰しも、自分の目を通してしかものを見ることができない。だから、自分の目が少しでも正しくものを見るために、自分の目が少しでも誰かの目を想像してものを見るために、まず、知識を得ることが大事だと思っていた。

知識がないということは、想像するための材料を持っていないということだ。知らなければ、想像はしてもそれが正解に近いのか確信が持てない。知らなければ、気づかない間に勘違いやズレや忖度が起こる。知らなければ、できるだけ“ちゃんと”想像することはできない。知識を得続けること……これはまず大切な一歩だと思っていた。今でも思う。

けれど、情報としての知識を持つだけではまったく足りていなかった。多少はね。裏にある国や宗教の問題も、その作品によってもたらされるさまざまな影響も、すべてではないにしても「知って」はいた。けれど、そこにわたしの想像力は追いついていなかったんだ。

『実感として、知ること』

わたしがここで見たバンクシーの作品は、「作品」ではなかった。主張であり、希望であり、絶望でもあり、存在そのものでもあり、そして、バンクシーだけのものでは決してなかった。もはやバンクシーかどうかはどうでもいい。この土地をなにが覆い、ここでなにが起きているかが重要だった。

正直、気持ちはなんにもまとまっていない。これを書いていても、自分がなにを書いているんだかわけがわからなくなりそう。思い出すたび混乱する。

ただ、もうこの先(せめてしばらくは)、バンクシーに関わるなにかが目に入った時にはこの吐き気を思い出すんだろう。

 

 

アーティストと観客の足元に橋をわたすこと

最後に、Nativity Chuech(降誕教会)を巡って、その日のツアーは終わった。

難民キャンプとバンクシーのホテルという、いまそこにある現実の壁の前に立ち、ただ見上げることすらもうまくできなかった自分にとって、世界遺産として継がれた美しい神聖な場所は少し救いでもあった。

芸術や宗教や美しいものに癒されるという実感。国際演劇祭で現地の人に芸術(あるいはエンタメ)を見せる側として今、来ているのに、現実的な事実ではなく、心に寄り添う美しいもののありがたさを、肌と内臓で実感した。

数年前はこの場所でパレスチナ人の立て籠りなども起きているけれど、大事にされている場所だというのは伝わった。

地下の祈りの間で、なぜか突然、ガイドのおじさんが歌ってくれた。少し訛った英語はなにを言っているのかわからなかったけれど、歌の後にわたしたちはなんとなく、一緒になって祈った。

アーティストたちは、パレスチナの演劇祭でパフォーマンスをするためにここに来た。そのアーティストたちにパレスチナのことを知ってもらうことは、とても重要なんだろう。

これはあとになってわかることだけど、今回の国際演劇祭を観に来る現地のパレスチナ人たちは“芸術鑑賞”をしに来ているのではない。
抑圧され、制限された生活の中で海外からの演劇を観ることは、笑い、遊び、驚き、奮い立たせ、想像を知ること。舞台を観ること、異国の文化に触れることは、心の中の小さな彩りの種を育てるとともに日々の閉塞感のガス抜きになるのかもしれない。

(このことは前回のnoteに書いた ↓ )

私たちは、どんな背景を持った、誰のために、ここにいてパフォーマンスをするのか……。それを知る日として演劇祭のメンバーたちは今日のツアーを用意してくれたんだろう。

『実感として、知ること』。

マリーナはその機会を、自らが呼んだアーティストに与えた。彼女自身がなにをどこまで意図していたのかは知らないけれど。アーティストがパフォーマンスする土地そのものについて肌と知識で実感するための機会を設けることは、フェスティバルディレクターとして、芸術と人と国と文化を繋ぐ者として、とても必要であり重要なことだと思った。観客が生活するその足元の地面までアーティストが辿り着けるよう、橋を架ける大事な作業だ。

国を越えて、アーティストと観客の間にを繋ぐことのできる優秀なパレスチナのアートディレクターに出会えたことを、心から感謝します。そして、彼女とともに笑顔で働くメンバーのみなさまに。

日本ではバンクシーらしきネズミがどうのとニュースになっているけれど、展示にあたっては、ネズミが可視化したものと、そこで生活する人々を繋ぐ、正当でまっすぐな橋が架かりますように。

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