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【ももハム報】Vol.6 -努力と才能-

こんにちは。ももハムです。

努力と才能については、さまざまな媒体で言及されています。

「努力は必ず報われる」「報われるまでやったことが努力だ」
これだと、報われなかった人は努力をしていないのかという疑問がありますし、努力の閾値があまりに高いように感じます。

また、才能についても、才能ある奴は怠けている、頑張らなくていい、などと言われることもあります。

この2つのつなげ方として、努力できることもまた才能だ、という人もいます。
しかし、私は、才能とは、努力の結果としての現れやすさのことであると考えています。

才能×努力+努力=結果

努力10才能1の場合
1×10+10=20
努力1才能10の場合
10×1+1=11

みたいな。

たとえ才能が10あっても、努力が0なら結果は0です。しかし、努力を1すれば、才能が10あれば、10の結果を得ることができます。
反対に、努力を10しても才能が小さければ結果が飛躍することはありません。

ここで私が大切にしていることは、"+努力"の部分です。ここは才能に関係なく、積み重ねた分がそのまま結果に寄与します。
でないと、才能が0ならば一生結果がついてこないことになってしまいます。

才能の小さい人は、才能の大きい人と同じ結果を得るために、より努力をしなければいけません。
しかし、これは、同じ結果を得るにしても、より多くの努力(経験)を積むことができる、とも言い換えることができます。

才能に恵まれないものは才能溢れるものよりも、努力の余地を多く与えられているのです。
「ハングリーさ」などと表現されることもあるかもしれません。

たとえ望んだ結果でなかったとしても、"+努力"の積み重ねは消えるものではないです。
出力される結果だけを見れば、才能が小さいと、非効率的で、過剰な努力が必要に感じるかもしれません。
しかし、過程や内部に目を向ければ、才能はほどほどのほうが成長や実力につながるのかもしれません。

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