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自分が好きか嫌いか

7年も前になるだろうか、そんなに親しくない知人が「俺は自分のこと大好きだからね」と言っていたのにすごく違和感を持ったことがあった。

彼はギャンブルに溺れていて、側から見てもとても自分を好きで大切にしている人には見えなかったのだ。

自分を好きってそんな簡単に言えることでもなければ、浅いことではないよって内心思ったが、そんなことは私が指摘するような親しい関係でもないので、心の中に留めておいた。

なぜ心に残ったかというと、では自分は?と自分に聞いてみても、「全く分からない.好きか嫌いかなんていう感覚を自分に当てはめることができません。測定不能」という回答が返ってくるばかりだったから。

私だけじゃないと思う。

今の風潮として自分が好きって言っといた方がイメージがいいから、上部だけでも取り敢えず「私は自分が好き」って言っとくかみたいなことだってあるかもしれない。

もしくは、わがまま放題を自分好きと勘違いしている場合だってあるかも知れない。

そして、実は自分にそれほど関心がないっていうのが本音の人だって多いのではないのかな。私はそうでした。

関心がないっていうのは、好き嫌いの以前の問題である。

愛の反対は嫌悪ではなく無関心らしい。

ということは、好きとか嫌いとかいう好悪の段階よりも、自分に対する愛が欠けているっていうことだ。

好きな人のことはちょっとしたことでも記憶して、それを叶えるために奮闘するのに、自分の興味とか好きなことには関心がなかった私。

自分に関心がなくて、特別に好きとも嫌いとも感知しておらず、ものすごく雑に扱っているのに「自分を好き」って決めると、そこから疑問も湧かない。

例えば、自分でいる部屋は汚れていても平気なのに、人が来る時だけ掃除する。自分は残りものを何日も温め直して食べたりしても平気なのに、人には作りたての栄養たっぷりのご飯を準備する、もしくはご馳走する。

人には風邪なら休みなよと本心から言えるのに、自分は相当体調が悪くても休むのに気が引ける。

これで自分が好きか嫌いかっていうと嫌いなんじゃないかな?って思うけど、私はそれでも分からないと思っていた。

だから「自分を好きかどうか」自分に尋ねてみて、答えが出なかったら、それをオープンクエスチョンで保留にして、自分を観察してみるのがいいと思う。

自分を嫌いな場合、それが意識上に上がってきていなくても、周りに嫌いな人がいっぱいいる、人の悪口をよく言ったり、人を批判することが多い場合があるから、注意すればみえてくる。

自分の中身を投影しているのだ。

逆に考えれば、私のことを口汚く批判したり罵ってくる相手も実は自分自身をどうみているかを私に投影している。

元婚約者が週に90時間以上働いている私に、事あるごとに「お前は怠け者だ」と言ってきてたけど、私はそれは彼が彼自身の中にある影を統合できてないから私に向かって攻撃してきていることを分かっていた。

それで彼の言うことを間に受けなかった。

許せない人、大嫌いな人がいればどこがポイントなのかノートに書いてみるといい。それが自分の中で嫌いなポイントで、多ければ多いほど実は自分を嫌っていることになる。

自分を知ることが第一歩なのだから、あぁ、そういえば私は「仕事では効率が一番重要」という信念を持ってるんだな、それがこの人を嫌いだって思わせてるけど、実は自分の効率の悪さを認めなくないんだな。

でも効率ってそんなに大切? 人といい関係を築くために無駄だって必要かもよ、ってどんどん気づいていく。

逆に好きも投影だから、自分のことを大切にして自分の素晴らしさに上部だけではなく真の意味で気づき始めると、周りの人に好きな人とか素晴らしい人が増えるように感じるから、一つのバロメーターとして見てみるのもいいかもしれない。

自分を好きか嫌いか知るには、まず何はともあれ自分のことをよく知ることが必要になってくる。

自分の内なる声を聞いて、自分が何が好きなのか、嫌いなのか、快なのか、不快なのか、何に心が躍るのか、何に本心から感謝しているのか、当面の目標は何か、大きな夢は何かを見つけていくこと。

自分に繋がることが今の私にとって最優先事項で、天命であるとさえ思っている。

とは言うものの、今まで瞬間で押し殺してきていた自分の声だから、なかなか聞こえてこない。

遠慮しなくていいから、大きな夢は何?ってたずねても「…」心の中から何も聞こえてこない。

自分と打ち合わせしようと思って嬉々としてノートとペンを持っても「…。いまさら何か?」と言うような声が聞こえるようなこともある。

でもそれでも諦めずに自分に最大限の興味を持って、自分のことを大切にしていたら、小さいやりたいことが聞こえてくるようになった。

今日はパンを焼いてみたい! 小倉パンが食べたい! ハワイの映像が見たい! 犬と思いっきり遊びたい! 猫をハグしたい! お花を買いに行きたい! お風呂にラベンダーオイルを入れたい! 美味しいコーヒーが飲みたい!

そんな声が聞こえてくると、自分で嬉しくなる。

私は他人には色々とエネルギーを使ってきた。ギフトもたくさん買ってお金も使った。

例えば、誰かの家にお呼ばれして、そんなに知らない人でも(元婚約者の知り合いとか)、気に入られたい一心で高いチョコレートとか何か手土産を持っていかないと気が済まなかった。2度と会ってない人だってたくさんいる。

今考えたらお金がもったいないけど、当時は本当に勿体無いな、とも思わなかった。

他方で、貰ったことはあるかと言うと、結構な回数でうちで会食パーティーを開いて2、300ドルとか食材にかけても、ほぼ誰もギフトなんて持ってこなかった。手ぶらできて、食べて飲んで帰っていった。

楽しんでくれたんだから、うちにまで来てくれたんだからそれでいいと思っていた。

でも、自分で自分用に高級チョコレートを一箱買うのには気がひけるのに、知らない相手、もう2度と会わない相手には疑問も抱かず5、6千円相当パッパと使っていたわけだ。

でも、その人たちが私が一番辛い時期に私でいることを代わってくれた?朝起きられない時に代わりに仕事に行って、私の代わりに家事をして、私の癒えないトラウマを背負って、私と変わって、それでもいい人生を生きようと奮闘してくれた?

考えなくても、それをやっているのは自分だって分かる。自分を背負えるのは自分。一番大切にしないといけないのは自分なのだ。

一人でも味方がいれば多くの友達はいらないって言うけれど、それさえも、その味方は自分一人で十分だと思う。

ただ、それさえも、というかそこが一番難しくて、それが出来ないまま、自分の味方であるべき自分が、自分を踏み躙っていることに気づいてもないって結構あると思う。

私だけじゃないし、これを読んで心で何かを感じている人だけでもない。

本当にやりたいことがない。好きなことがわからない。私はそう思って落胆するよりも、今こそ全宇宙、歴史においてたった一人の自分を知るチャンスだと捉えて、自分のことを生まれて初めて積極的に知る過程に心が躍っている。

やりたいことは自分に最大の関心を持って、自分を知って、そして自分を大切にすること。ここまで来れて本当にありがたいと思っている。









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