見出し画像

人間みなわがままである

こんばんは、もぬんこです。いつぞやのモーニングセミナーで、「人間はみんなわがままである」という講話がありました。私なりに刺さるものがあったのでご紹介させていただきます。

わがままは苦難の芽

何故【苦難】が降りかかるのか。それは"わがままであるから"ということです。

誰でも大小あれど苦難を受けたことはあると思います。規模はあれど、苦難はいとも簡単に私たちに降りかかってきます。

「あなたはわがままですか?」

この問いに対して、あなたはどう答えますか?

答えは…

「あなたはわがままです。誰だってわがままです。」

以下に私が受けた「小さな苦難」を示そうと思います。
※大きな苦難はいつかまた


親から受けた苦難

我が家は母が自営業をしており、カラオケ喫茶店をしています。120~130cmくらいのカウンターがあったのですが、私が小学生の時にカウンターの角で頭を頻繁にぶつけていました。背が小さく120cmくらいしかなかったので、目の上にあるカウンターの角が死角になっていたんです。たんこぶもしょっちゅう作っていました。痛すぎてうずくまっちゃうんですよね。

母は機嫌が悪いと「気を付けなさいと言っているでしょう!」とぶつけた同じところをパッコーンと叩いてくるのです。痛いのにさらに痛い。なんて理不尽。今でもこの件だけはあまり納得できていない(苦笑)

母は当時40代で、思えば更年期障害もあったのかもしれません。とにかくブチ切れモードの時の母は、嵐でした。

母の心を代弁すると「毎回頭をぶつけて痛いってわかっているのに、何故気を付けないの。悪いところにぶつけて何かあったらどうするの。」だと思っています。そう…

【心配】からくるわがままです。

「え?これがわがまま?」って思いました?
はい、わがままです。

母は、【娘を自分の "我が" "儘に" 操りたい】ということです。
「頭をぶつけず過ごしてほしい」という【母の希望】があり、その通りにいかないからブチ切れているわけです。

敢えて小さな苦難で書いているのですが、「どうして〇〇してくれないの」というちょっとしたことは誰にでもあることだと考えます。特に子供は時には天使で時にはモンスターです。
「この馬鹿息子!!!!」
なんて言葉は、様々な家庭が通ってきた道ではないでしょうか。


子は親の心を実演する名優である

母は、私に「感情的な怒り」をぶつけてきました。だから私は大泣きをします。感情で返すのです。

痛い!!!
ぶつけて痛いのに、叩かれて痛い。
わざとぶつけたわけじゃないのに、何でここまで怒られなきゃいけないの。
意味わかんない!!!

さて、お気づきでしょうか。

親も子も「頭をぶつけないようにするためにはどうすればいいか」もしくは「頭をぶつけてしまっても大丈夫なようにするにはどうしたらいいか」という議論がなされていないのです。

親が感情でぶつかったので、子は感情で返しています。
これで「見えないんだから仕方ないじゃん!それならぶつかっても痛くないようにしてよ!」と言える子供がいたら間違いなく天才です。天性のロジカル思考です。

母はイライラ、娘は大泣き。子にとっても親にとっても小さいですが苦難ですよね。


職場で受けた苦難

私は前職で、私自身に対して高評価をいただいていました。しかしながら、その評価の仕方が【周りを下げて私を上げる】というよくわからないものでした。
さらに、言い返すことができる私には直接物は申さず、私のチームで意見を言うのが苦手な人や派遣社員さんを呼び出して、こっそり指示を出したり、精神的に追い詰めるような事をされていました。

結局のところ「右に倣えをしない社員が言うことを聞くにはどうすればいいか」ということだったと受け止めています。

仕事に関していうと私はメンタル強です。特に自分自身に何かされることに関しては【鋼】です。でも、私のチームを仲間を追い詰めることを私は許せませんでした。そのため、さらにガツガツ反抗していました。仕事に関して勝手にやるということはなく、上司に事前に説明し、承認を得た上で動いていました。緊急時は任せて欲しいと言い、承認もいただいていました。しかしながら、それでも悪い方向で外堀を"破壊"するのです。

「この人を我が儘に操りたい」(言うことを聞かせたい)

そういった経営やチーム作りは滅びます。必ず崩壊します。
私のことを評価しているから「それで充分だろう」という考えで、操ろうとする魂胆についていけず、退職を選びました。
※チームには全力で謝罪し皆受け入れてくれました


わがままを捨てれば苦難は少なくなる

「わがまま」と「我が 儘」という言葉を声に出してみてください。
敢えてこういう書き方をしているのは、音の響きでも感覚が変わるからです。

我が 儘にしたい気持ちを捨て、受け入れてみましょう。

その時の合言葉を教えていただきました。

「あぁそうなんだ~」

電車が遅延しても「あぁそうなんだ~」
会議直前にお腹が痛くなっても「あぁそうなんだ~」
友達や恋人がカチンとくる一言を放っても「あぁそうなんだ~」
家族が病気になっても「あぁそうなんだ~」

とにかく一度受け入れてみてください。反射的に呪文のように唱えても構いません。
そして、何か行動を起こすなら受け入れた後に起こすのです。
起きてしまったことは変わりません。過去を改変することはできないのです。

「何でこんなことになったんだ!」
「何で私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!」

【私がこんなことに遭うはずがない】という"我が儘"です。
受け入れて「じゃあどうするか」…そういった考えをできるようになるだけでも世界は少し平和になり、幸せを感じられるようになります。

騙されたと思って実践してみてください(笑)

なお、苦難が一切なくなると人は成長しなくなると私は思っています。
ですので全く苦難がないことは喜ばしいことであるかどうかの判断ができません。
最近は苦難がきたら「よっしゃ、きたー!成長チャーンス!!」と思えるようになってきました(笑)それだけでも人生は少し幸せになるのです。

皆さんの人生がほんの少しでも幸せになってほしい。
そんな願いを込めて、今後も日々の学びを発信していきます。

長文読んでいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

最近の学び

サポートいただいた費用は、クリエイターとして必要な資産の維持費や購入費に使わせていただきます。一人ひとりが生き方を見つけられるような存在になりたいです。