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安心できる場所

あなたは、どれくらい安心して生活できているでしょうか?
安心とは、周りを信頼し リラックスできる状態のこと。
例えば、内戦が起きていたら、あなたは安心して生活できるでしょうか?
いつ戦いが始まるかわからない。
いつ殺されてもおかしくない。
そんな状況下で、あなたは安心して生きられますか?
きっと出来ないでしょう。
出来たらそれは、サイコパスかもしれません。
虐待とは、家庭内戦争が勃発している状態のこと。
今回は、そんな話。

私は小さい頃から虐待を受けて育ちました。
ただ、親に愛がないわけではないことを知っていました。
この世のなかには、愛のない親もたくさんいます。
その点においては、ある程度恵まれていたのだと理解しています。
そして何より、両親の仲が良かったことが救いでした。
父は母を溺愛していて、そのことに母は喜びを感じていた。
ただ過剰な教育と、過干渉な行動を子供に対して行ってしまっていた。
それが虐待につながりました。

私は、常に監視されている気分でした。
眠っていても、母は問答無用で私を叩き起こしました。
私の行動を逐一疑い、確認されていました。
いつ殴られるかわからない状況下で、私は常に警戒していました。

だから私の日課は、学校から帰って 盗聴器やカメラが隠されてないか確認することでした。
ぬいぐるみを潰して 中になにも入ってないか 全部確認しないと安心できなかった。
どこのスパイだよ。(笑)
部屋を真っ暗にして携帯のカメラで、隠しカメラの赤外線が出てないか確かめました。
それだけでは安心できなかったので
たまに抜き打ちで、クローゼットの中の物を全部出して、カメラがないか確認しました。
枕の下には、1000円くらいのナイフを忍ばせて、いつでも戦えるようにしました。
物音がしたら目が覚めるようになって、すぐにナイフを手にした。
幸い、誰を刺すこともなく済んでいます。(笑)

今でも、強盗対策のために 枕元に当時のナイフがあります。
サバゲーをやっているので モデルガンもあるし、模造刀も準備してあります。
家に帰ったらまずやることは、誰もいないか 部屋の隅々まで確認すること。
私は誰かに命を狙われているのでしょうか。(笑)
つい癖で、帰り道に後をつけられてないか、スマホのインカメで確認もしてしまいます。
プロになれるかも。(笑)

それでも、盗聴器やカメラが仕込まれてるとは思わなくなったし 日常生活における安心感ははね上がりました。
何かを疑ってるわけでもなく、ただ念のためやってるだけ という感覚。
ルーティーン化されてるだけなんですよね。
「やらないと気持ち悪い」そんな感覚。

昔は"疑う"ということがまず土台にあって、そもそも人を信じることが どういうことかすら理解できていませんでした。
なんなら「私は人を信じてる」とすら思っていたので、思考回路がめちゃくちゃです。
疑うことが信じることだったんですよね、おかしな話です。
疑って、情報収集して 信じるに値するか判断し、信じると決めた後も 常に裏切られないように警戒していました。
母と行動が同じだったのかもしれません。

今は、信じることは愛することの記事でも書いたように、人を信じることができています。
素直になると、すごく楽になるんですよね。
「素直じゃなかった時の自分には戻りたくない!つらすぎて無理!」と思うほど、本当に楽になるんです。
隠す過去がないということは、弱みが少ないということ。
弱みが少ないということは、誰かに脅される心配も少ないということ。
その"誰か"というのは、自分自身も含まれます。
なんなら、自分を脅すのは 大抵 自分自身なんじゃないかと思います。

「お前にはこんな過去があるんだぞ。
だから幸せになっちゃいけないんだぞ。」

そんな、自分自身からの脅しに 怯えずに済むようになります。
すると、安心できる場所が生まれる。
自分の"居場所"と呼べる場所。
そして幸せになる。

おわり。

サポートに興味をもっていただき、ありがとうございます。いつか 私の文書が、あなたの手元に残る形になって あなたをそっと支えられればと思います。