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初恋は最後の恋

こんにちは。ももかたまちゅりです(@momokatamachuri)

「初恋」と「最後の恋」のちがいをご存知?
初恋はこれが最後の恋だと思うし
最後の恋はこれこそ初恋だと思うもの。

サーカスのプリマドンナの馬(ムーミン)

私はこの言葉が好きです。
恋なんてものは よくわからないけれど、大切に想う人がいるって どれだけ幸せだろう。
片思いであれば、つらいこともあるかもしれない。
でも、時が過ぎれば 甘酸っぱい記憶と共に「あの頃はよかった」と寄り添うことができる。
歌にされ、言葉にされ、物語にされる。
恋は青春という名のもとに輝く。
今回は、そんな話。

私はずっと、恋というものが理解できませんでした。
知っていますか?
この世の中には、人を恋愛的に好きになれない人種がいるんです。
その人たちは、いわゆるマイノリティと言われているグループに所属しています。社会的少数派 という意味ですね。
20歳になるまで、私は完全にそのグループに属していました。
これからもずっとそうだと思っていたし、それは仕方ないことだとも思っていた。
だって、根本的に理解できなかったから。
友人として好きになることはあっても、それ以上の感情を抱かない。抱けない。
私なりに、人を好きになる努力はしました。
友人の恋愛話を参考にしたり、告白されたら付き合ってみたり……恋人っぽいこともしてみたり。
むしろ逆効果でした。
"気持ち悪い"と思うようになり、恋なんてしなくていいとすら思った時期がありました。
恋することに興味はあったけど、好きになれないものは仕方ない……という 一種の諦めでもあったのかもしれません。

私は私のことに精一杯だったし、自分と向き合うことを最優先にしました。
どんなに人から好かれても、自分としっかり向き合えていなければ意味がないと思ったからです。
自分と向き合うことができれば 恋することを諦めずにすむかもしれないと 希望を抱いていたんだと思います。
(関連記事:信じることは愛すること)

自分と向き合うためにしたこと。
私はずっと虐待を受けてきたので、それを受け止めることから始めました。
両親から生まれ、生きていることを否定され、1人で耐えてきたこと。
自分の痛みに気づいてあげる。
憎しみ、悲しみ、苦しみ、虚しさ……負の感情を、全て受け止める。
自分の首を笑いながら絞め、両親から生まれた自分が気持ち悪くて 全身をかきむしり トイレに吐く。
めまいがするほど壁に頭を打ち付け、血が出るほど壁を殴った。
真っ暗な部屋で奇声をあげ、自分をサンドバッグにしました。

1人の時はとても病んでいましたが、友人の前ではいつも笑顔でした。
「毎日楽しそうでいいね。」「ほんとアホだよなあ。」と言われるのは日常茶飯事、いじられキャラを演じていたわけです。
そんな言葉に心をえぐられながら、笑顔で「毎日楽しいよ!うらやましいでしょ!」と答えていました。
「ほんと、うらやましいわ」と笑う友人に『じゃあ、人生交換しようよ』と言いたくなる気持ちをこらえて。

そんな私が、初めて恋に落ちたのは 19か20の時でした。
顔が どタイプで、毎日のように「好きだー、好きだー」と言っている相手でした。
いつものように自虐ネタで笑わせようとしたら
突然、真剣な声で
好きな人に、好きな人の悪口言われたくない。」と言われたんです。
一瞬何を言っているのかわからなくなって、すぐに自分のことを"好きな人"と言われたことに気づきました。
こんなの、落ちないわけないじゃないですか!
ただ顔が好きで 毎日「好き」と言っていたのですが(最低)、こんなこと言われたら 全部好きになるじゃないですか。
まさにfall in loveですよ。
それからめでたく付き合うことになりまして「人を好きになるってこういことだったのか」と知りました。

でも、長くは続きませんでした。
とは言え、私からしたら十分長かったのですが……。
というのも、半年間 その人は 私の闇に付き合ってくれたんです。
懸命に励まそうとしてくれたし 向き合おうとしてくれた。
ただ、私の闇が あまりに深すぎた。
誰の手にもおえないほど、深すぎた。

付き合ったときからわかっていました、長くは続かないと。
そもそも、その人は けっこう頑固な人で、自分の意見をハッキリ言うタイプでした。
私に、そういう人は合わない。
友人としては良いけれど、恋人になったら意見がぶつかることを 知っていました。
それから、これは完全に主観での判断になるのですが、2人で並んだときに違和感があったんですよね。
"この人じゃない"感。
どうにも不釣り合いで、一緒に歩いていても"恋人"っていう感じがしない。

別れを告げられたことは悲しかったけれど、同時に「仕方ない」とも思いました。
これだけ病んでたら 半年付き合ってくれただけでもありがたい、と。
でも悔しかった。
初めて 人から心に届く言葉を言ってもらえたのに。
初めて 私を受け止めようとしてくれた人が現れたのに。
どうして自分はこんななんだ、と。
どうして自分はこんなクソみたいな人間なんだと。

「変わりたい」
強く願った。
変わりたい、変わりたい、変わりたい、変わりたい。
とにかく、変わりたい。

どう変わればいいかわからなかった。
だから初恋の人に言われた通り、私は私の悪口を言わないと決めました。
最初は心のなかも変えようとしました。
ちゃんと良い人になって、心を改めようと。
でも、どんどん ねじれていった。
心が歪み、自分がわからなくなり、どう振る舞えば正解なのか 模索しても 答えは出ませんでした。

だから " とりあえず " でいいと思った。
とりあえず、表面だけでも変えようと思いました。
自分の「ここはちょっと気に入ってるかな……」というところを懸命にひねり出しました。
本心から思っていなくとも「私はここがすごい」と 公言するようになりました。
自虐ネタで笑わせてたのを、ナルシストに路線変更しました。
相変わらずみんな笑ってくれたし、ノリで「そうだね」と褒めてくれるようになりました。
すると不思議なことに「あれ?ほんとに私ってば、すごいかもしれない」と思うようになったんですね。(笑)
人間の脳みそは単純です。(笑)

そして少しずつ、少しずつ、私は自尊心を高めました。
そうする内に、私は 自分のなかにいる ちっちゃな自分を見つけました。
それは 膝を抱えて うずくまっていて、泣いていた。うつむいてて、顔を見せてくれない。
インナーチャイルドと呼ばれるものです。
当時はそんな言葉知らなかったので、我ながらすごいなあと思います。(すかさず自尊心を高める)
自分で自分のカウンセラー役をやっていたわけですよ。すごくないですか?(笑)

「まだ、両親から生まれた自分のことが気持ち悪くて 好きにはなってあげられない。
でも、いつか仲良くなろう。
いつか君を守れるようになるよ。
それまで待っててくれ。
必ず迎えに来るよ。」

そう インナーチャイルドに告げて、私は自分と徹底的に向き合った。
憎くていい、悲しくていい、苦しくていい、虚しくていい。
死にたくていい。消えたくていい。
全部いい。全部、抱いていい感情だ。
自分を好きになれなくていい。
大丈夫、仲良くなりたいという気持ちさえ捨てなければ、大丈夫。
大丈夫だから。
闘わなくていい、ただ、認めるだけでいい。
もう、闘わなくていいんだよ。

そうして私は、25歳になる前には マイナスだった自尊心をスタートラインまで高めることができました。
自尊心が高まると、不思議と生きやすくなりました。
「ああ、普通に生きるってこういうことかな」とわかった気がしました。
生まれたての赤ちゃんみたいな気分。
こんにちは、世界。調子はどうだい?

最後の恋だと思いました。
あんなことを言ってくれる人なんて、なかなかいない。
あんな、少女漫画に出てくる台詞みたいなこと……。
あれを超える恋なんてありえない。
私はまた、マイノリティに戻るのか?と思ったけど、別にそんなことはなかった。
マイノリティとか、そういう境界線みたいなのはなくて、ただ 私は私だった。
インナーチャイルドと手を繋いで、笑いあって「ありがとう」と言った。
初恋の人に、最後の恋の相手に 「ありがとう」と。

つづく。
→『最後の恋は初恋

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