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宗教と人間①

こんにちは。カンボジア国際協力NGOのCBBでインターン生のげじょーです。

今日は宗教と人間の関係性についてです。

ちょうど村からシェムリアップに向かう時に
バス停でバスを待っていたところ

1人の女性が近づいてきました。
その人は、明るい雰囲気のカンボジア人から浮いていて、とても暗い雰囲気を纏っていました。
その人は私に直接お金を求めてきました。
言葉がわからなくても、わかってしまいました。
他のバス停にいる人たちは、その人にお金をあげていました。
私は、どんなにお願いされてもあげませんでした。
何が正解なのかは、わかりません。
私がその時一番正しいと思った行動は、
お金を渡さないということでした。
まだまだ模索していかなければいけませんが、

これは仏教の喜捨の行為なのでしょうか。
無知なので、よくわかりませんが、
喜捨は一種の社会扶助であって
普通にお金を稼ごうとしても障害などの理由で、必要最低限の生活ができない人のために
喜捨が作られたのではないのですか。

カンボジアにはそういう社会保障制度はないから、こういうものが行われているのでしょうか。

ただただ、その時は悲しかったです。

宗教が言い訳になっていいのでしょうか、
その生活は果たして幸せなのでしょうか、

日本では体験できないこと、
できればしたくなかったことを
1人でいると体験するような気がします。

宗教とは、
幸せのためにあるものだけど
宗教に依存することは
幸せに繋がるとは思えない出来事でした、

明日はシェムリアップでアンコール遺跡群を見た明るい宗教の話をしたいと思います。

応援宜しくお願いします。!