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虐待サバイバーの方々とお話をして。

このところ、「過去に虐待に遭った」という方々とお話する機会がちょこちょことあります。
今日も、そういう過去を持ち、心に深い傷を負い、それを乗り越えてこられた方にインタビューをさせていただきました。記事については追々ここでもご紹介させていただければと思います。

虐待に関しては、先日もこんな記事を書きました。

心愛ちゃん、結愛ちゃんの事件から、児童相談所を非難する声が集まりましたが、児相も児相で人手不足の中、一人の職員が抱える案件は非常に多く、懸命にやっても追いつかないのが現状です。今日伺ったお話では、都内の児相職員が抱える案件は一人当たり100件とか200件とかに上ることもあるとのことでした。待遇改善も含めてソーシャルワーカーや児相職員をとにかく増やすこと(また施設を増やすこと)、これがまず急務だと私は思います。

さて、虐待サバイバーのお話です。
今は児童虐待という言葉が世間にも認知され、社会問題としても注目されるようになっていますが、こうなったのはつい最近の話。現在の児童虐待防止法が施行されたのは2000年のことです。
それまでは、児童虐待は存在してはいましたが、今のように社会問題視されることはなかったということです。
そんな中、虐待に遭いながら生きてきて、今大人になっている人たちがたくさんいます。中には、子育てをしている人もいます。
彼ら彼女らの中には、今でも当時の話をすると目に涙を浮かべたり、あるいは実際に涙を流してそのことを語ったりする方が多くいます。自分が親に虐待をされたという事実は、時間を経ても未だにその人を傷つけ続けているのだと感じます。ただ、それは親によってつけられた傷ではなく、社会によってつけられた傷も大きいのだと感じるのです。

あのとき、誰も助けてはくれなかった。訴えても、誰も聞いてくれなかった。見て見ぬふりをされた。生きるか死ぬかのところで逃げ出したけれど、そこから先にはその傷に寄り添ってくれる人や、現実的な生活の窮地から救い出してくれる人はいなかった。
そういう寒々しい周囲の環境によって、傷がどんどん大きくなっていった、そのように感じます。

よく、「虐待は連鎖する」と言われることがあります。ですがこれは間違いだと思います。虐待された人が親になったとき、必ず虐待するわけではありません。虐待しやすい傾向にあるわけでもないと思います。そのときに、誰か寄り添うことができていれば、心の支えになるような存在があれば、あとから思い出して「あの人がいて良かった」と思えるような人がいれば……、社会から冷たくされていなければ、連鎖することはないのではないかと思うのです。
虐待事件をいくつか見ていると、親が虐待にいたるまでの過程に、生活が成り立たないほどの困窮があったり、孤立しながらの子育てに苦しんでいたり、という背景があることがほとんどです。
こうした救いの手が届かない困窮、孤立状態が、新たな虐待を生むということが起こっています。

私が出会ってきた虐待サバイバーの方々で、今素敵に生きていらっしゃる方々は、過去に傷を抱えながらも、生きてきた中であたたかな人と出会い、人生を立て直すことができています。
一方で、その傷に寄り添う人や、支援がなかなか届いておらずに、心が折れたままで20年ほどを病院と自宅の行き来をしながら、自分自身をただひたすらに傷つけて生きている人も知っています。そして不甲斐ない私はまだ、その人に何もしてあげられていません。

今まさに虐待をされている子どもは、誰かが気付いて保護をして、生き延びさせることは可能です。でも、その後大人になったときに、どのような生き方を選択することができるのか、それは社会が彼ら彼女らをどのように包み込み、誰がどのように寄り添ってくれるのかということにかかっている。そんなことを、虐待サバイバーの方々を見ていると考えます。
これは行政などによる「仕組み」のところで何とかなる話ではなく、私たちひとりひとりがどのような空気を社会に醸成していくかという問題です。「社会」などと大きなことを言わなくても、私たちひとりひとりが、「目の前にいる他人と、どのように付き合っていくか」という問題だとも言えます。
SNSを見ていると「自己責任」という言葉が飛び交っておりげんなりすることが多いですが、リアルの世界では人間はそんなふうに人間を切り捨てることはできないものだ、人間とはもっと他者に寄り添ったり心を通わせたりする力がある生き物なのだ、と信じたいです。

今虐待をされていなくても、過去に虐待をされていた人は、この町にも、あの町にも、いる。今日すれ違った人の中にも、いるかもしれません。
虐待という言葉が浸透していなかった時代に「これが当たり前なんだ」と思ってサバイブして、自分が傷ついていることに気付かずに生きている人もいるでしょう。
そういう人たちとともに生きるこの町、あの町で、私たちひとりひとりがどのように他者と関わっていくのか。虐待をなくそうと思ったら、そんなことを考えていかなければならないのだと思います。

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