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「あ、変わってる。」と気づけること。

最近の話で二つ、自分が以前と明らかに変わったなと思う部分に気づいた。

ひとつは、人の”能力”ではなく、その人自身を見るようになってきたこと。
過去の記事で、「他人のどこに目がいきますか?意識がいきますか?」という記事を書きましたが、

この記事の話も私自身の話で、自分のある部分をコンプレックスに感じていると、人を見る時も、つい同じところに意識がいってしまうんですよね。

でも最近、久しぶりにミュージシャンとスタジオに入る機会がありまして。その時に、今までにない視点があることに気づいたんです。
お相手の能力、上手さ、技術ではなく、本人が奏でる音、グルーヴだったり、息遣いだったり。その人自身を見ようとしている、自分の視点。

あともうひとつは、
今年の2月に亡くなった叔父がよく通っていた食堂があるんですけど、ふと思い立って先日一人で行ってみたんですよ。

いつも私は叔父についていく感じで。それに私は容姿をコロコロ変えるので、私一人で行っても女将さん私だってわからないだろうなあ、久しぶりだし。とか思って特に話しかけずに食事してたんですね。

あとこれ。
「私がすごいんじゃない。叔父がすごいだけ。」
これ、長い間ずっと握りしめてたんですよね。
誰かが私のことや音楽のことを褒めてくれたり、素敵な言葉をかけてくれても、この考えがあるもんだから受け取れなかったんですね。
こういうのもあって尚更女将さんと話すことができなかった。
私なんかが。ってね〜。

食べ終わって満たされてお会計して出て行こうとしたら、女将さんが私においでおいでと手のジェスチャー。女将さんから話しかけてくれて。
その時にやっと、「叔父が長い間お世話になりました。」と言えたんです。ガキんちょみたいでしょ。私こういうところあるんです笑 
そこから女将さんと他の従業員さん交えて立ち話して。
私だと気づいてくれていたのと、叔父のことで女将さんがたくさん泣いたこと、そして何よりも「また来てね。」と言ってくれて手を振って店を出て、最初は消極的だったけれど、帰るころには女将さんたちの優しさをまっすぐ受け止められてる自分に嬉しくなったんですよね。

あ、変わってる。って。
以前より素直になったり、パラレルの移動(見る世界)が速くなったり、人を恐れなくなったり。そんな変化、成長をしてる自分に嬉しくなる。


大事なことはやっぱり、「自分は愛されていない。自分はない、足りていない。」ここなんですよね。

この数年間でいろんなことを試してきて、「あったじゃん。愛されてたじゃん。愛されていいじゃん。」と気づいたり、心から感じられるようになってきてます。

あ、変わってる。
些細なことだけど、大事だし、嬉しい。

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