2024年4月7日

昨日は、ガザ/パレスティナ支援コンサート
『震える心に 揺れる光を』を観に神保町試聴室へ行きました。
前回の鹿沼で開催していた時は観に行けず心残りだったので東京で開催されて嬉しかった。

このコンサートに行こうと思ったのは、ガザで起きている悲惨な出来事に対して、自分がどうすれば良いか分からなかったからです。
わたしは絵を描いてるので少なくとも表現を通して訴える術を持っていて、それなのに分からないから触れない、というのは横着だと最近感じていました。
なので、どうしたらいいのか考えるために、表現する人たちはどうアプローチしているのか体感するために行きました。
今後私が作品を通して世界で起きている戦争や社会的な問題に触れなかったとしても、せめて分からないからではなくて触れない選択をした、という状況にしたかった。

でもコンサートの途中から余計にわからなくなってしまいました。
ライブはすごく感動して、声を上げること、それが直接ガザにいる人々の耳に届かなくてもただ想って歌や音にすること、真摯に想うこと、祈りのような時間でした。
でも感動すればするほど、自分が居心地のいい場所で音楽を聴いて感動して美味しいハーブティーを飲んでいる状況に違和感を感じてしまって、、、結局最後の人の演奏を途中で抜けてきてしまった。
水道橋の駅に着くとちょうど野球の試合後、駅は東京ドームから出てくる沢山の人でごった返していてまたまたショックを受けてしまいました。

ただ一夜明けて部屋の掃除をしながら今日1日を過ごす中で、一歩進めたのかもしれない、と少し前向きになれました。
見ず知らずの遠くの地で起きていることではなく、すぐ隣で起きている、という意識を持てたような気がします。そのくらい、手を伸ばせば届くくらいに昨日はガザと近いところに気持ちはあったと思います。遠くのどこかで起きていることではなくて、すぐ隣で起きているっていう意識を沢山の人が少しずつ持ち寄れば何かを変える力になるのではないかな、そんなことを思ったりしています。
何もしてないのに何だか偉そうだけども、、、

ポーランドへ留学していた間、アウシュビッツをはじめ、いくつか資料館に行きました。そこにはユダヤ人の惨状を示す歴史、民族浄化のための虐殺、惨たらしい資料の数々がありました。行き場をなくした人々が安住の地を求めてパレスチナに行き着き、その結果、誰かの故郷と家を奪ってしまった。
負の連鎖は続き、弱者は搾取されてしまう。
イスラエルとパレスチナ問題は今に始まったことではないものの現在すごく表面化しています。
戦争は、加害者と被害者が同じ人間であるからこそ、そこにある無数の営みを想像してやるせなさを感じます。

今ひとつ思うことは、今のこの状況が1日でも早く良くなることです。

(2024年5月16日 追記)

この後、本を何冊か読み始めてみて、今ガザで起きていることはジェノサイドであり一方的な虐殺行為で、戦争とは違う状況であると認識を改めました。本を読み終わったら改めて書こうと思います。

【日本語字幕】パレスチナ問題は こうして始まった【資料&証言】

https://www.youtube.com/watch?v=V1L2hC2tG6o

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