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選んだ道を正解にしなさい、と100万回言われても割り切れないのが恋愛

これを言ったらなにかが終わる、というか始まるなと、ぴんとくる瞬間がある。

目の前にいる相手が大人になってから出会った異性なら、その直感はだいたい正しい。そして、わたしとあなたの現在の関係性が壊れるかどうか、という意味では、おそらく言葉にしない方が安全だ。
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中高生の「好きって言ったら、友だちでいられなくなるから言えない問題」は、世代を超えて脈々と受け継がれていて、昭和も平成もたぶんその先も、みんな同じように悩んでいる。だけど学校に通っていれば、よくも悪くも振られたって毎日会うわけだし、その先10年たっても友だちに戻れないってことはあまりないんじゃないかと思う。

思い出はいつでも美しいので、むしろ同窓会でしみじみ語りあえたりとかして、今になっていい感じにことが運ぶっていう可能性も大いにある。

だから、この年代の子たちが「後悔したくないから、告白しよう!」とキラキラした決意を抱くのは間違っていない。というか言わないとあとあと、「このこーえがー枯れるーくらいにー君に好ーきと言えばよかったー」ってことになりかねない。まあそれはそれで青春なんだけど。
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でも大人になると「後悔したくないから」に続く言葉は「言わない」に変わる。

極端に言えば、一度付き合い始めてしまったら、あとは基本別れに向かって進むしかない。きれいに「破局」という形をとれたらまだラッキーで、なんかもうごちゃごちゃになって会う機会もなくなって、はい永遠にさようなら、というほうが、現実的によくある話なんじゃないだろうか。悲しい。

もともと相手が大切であればあるほど「もし今もいい関係でいられたら」と落ち込まざるを得ない。実は当時ちょっとだけね、と数年越しに打ち明けるくらいが、きっとちょうどいい。身もふたもないけど、一生仲良くいたいなら、恋愛にしてはいけないのだ。
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ただ、どうしてかやっぱり、口をついて出てしまう……というか、自覚があっても出してしまうことがある。どれだけ長い時間続けられるか、と考えるか、どれだけ濃い一瞬を積み重ねるか、と考えるかで、人生の選択は全然違ってくるんだろう。

「切ない」と「刹那」の語源は関係ないらしいけど、何か思うところがあって、昔の人が読み方をかぶせたんじゃないかと疑ってしまう。

たらればはないとわかっていても、ABどっちが幸せだったか、リセットボタンを押して試せたらいいのにと、本気で願う瞬間がある。どちらにしろそんな人に巡り会えたこと自体が幸運だよね、と達観できるまでには、まだ修行が足りないみたいだ。
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#エッセイ

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