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文学は、ただ体験してくれたらいい。それが文学の本質。ー堀内美江さんにきくエンデの素顔

『モモ』や『はてしない物語』の作者であるミヒャエル・エンデ。そんなエンデの約2,000点にものぼる資料が、長野県信濃町にある黒姫童話館に所蔵されています。なぜ、ドイツの作家であるエンデは、自身の貴重な資料を黒姫童話館に託したのでしょうか?
 今回お話を伺うのは、ドイツ文学者の堀内美江先生。生前のエンデとも交流があった堀内先生に、日本や黒姫童話館とエンデのつながり、そして、エンデの素顔を伺っていきます。

大人がこんなに『モモ』を読むのは日本だけ?

―本日はありがとうございます。さっそくですが、エンデの母国であるドイツでは、『モモ』はどのような作品だと捉えられているのですか?

堀内:一般的には、良質な児童文学と捉えられています。ドイツなどの海外では、モモという不思議な女の子と時間どろぼうという悪者が登場するファンタジックな物語ということ以外は、ほとんど語られていません。
 ただ、日本では、子ども向けの本としてだけでなく、大人が子どもの特質をつかむための本、あるいは、大人こそが読むべき人間の本質を描いた本として受け入れられていますよね。世界的に見ても、このような受け入れられ方をしているのは、実は日本だけなんです。

―日本だけというのは、意外でした!

堀内:エンデが活躍していた80年代に、思想や哲学についてエンデ自身に集中的にインタヴューした子安美智子先生が大きな役割を果たしていると思います。
 黒姫童話館にも、子安先生がエンデにインタヴューした原稿が残っています。それを読むと、子安先生が真剣に『モモ』を理解したいという思いでエンデと対話していることがよくわかります。そのインタヴューが『エンデと語る』という本になり、作品の背景にあるエンデの思想や哲学が、作品とセットで、社会や自分に対する深い理解を求めていた日本の人々にうまく伝わっていったのかなと思います。

エンデと日本の深いつながり

―エンデ自身も、日本に好感をもっていたそうですね。

堀内:若い頃に来日して禅寺に行くなど、日本の宗教や思想に興味をもっていたようです。それだけでなく、ドイツにいながら歌舞伎や文楽も勉強されるなど、日本文化にとても興味をもっていたそうです。エンデの最初の奥様はドイツ人の方ですが、その後日本人の方と再婚されています。
 この黒姫童話館がエンデの資料をおきたいと言ったときに、他の機関からも申し出があったにも関わらず、すぐにエンデが「いいよ」と言ったのも、日本だからということが大きかったのではないでしょうか。

―エンデの資料を所蔵したいと、他のところからも声がかかっていたのですね。

堀内:
そうですね。ドイツでは、有名な作家の原稿は、国会図書館のような場所に寄付するか、出版社が所有するものだと相場が決まっています。エンデは、そういうことをせずに、黒姫童話館にほとんどの資料を提供しています。ドイツの文献学者はショックを受けたと思います。

―黒姫童話館にある約2,000点の資料というのは、どういった資料なのですか?

堀内:
じつは、エンデの作品や人となりを知るために必要な資料は全てそろっています。『モモ』や『はてしない物語』なども、作品の計画案や手書きの原稿など、文学研究にとって重要なものがたくさんあります。他にも、エンデが趣味で集めていたものやプライベートでの文通の手紙なども残っています。
 また、エンデの作品をもとに作られた演劇や物語もここに送られてきているので、エンデの世界観がどう受け止められ、広がっていったのかを知りたいときには、とても重要です。

―エンデの作品には、そこからヒントを得て、さらに別の方が舞台や物語を作りたくなるような強い要素があるんですね。

堀内:
受け取る方が強い思いをもたれるのだと思います。エンデは、作家が自分の作品をこう読んでほしいと講釈をたれるのがいちばん嫌で、僕はどう読んでくれてもいいとおっしゃっていました。文学は、ただ体験してくれたらいい。それが文学の本質だと言っています。だから、別の方がエンデ作品にヒントを得て作る場合も一つの答えではなく、いろいろな形が生まれることこそが、エンデの本意なのかなと思います。

(写真上・黒姫童話館)

エンデの素顔

―堀内先生は、エンデに直接会われているんですか?

堀内:
大学院生のときにミュンヘン大学に留学をして、ドイツで2年間を過ごしました。そのときに、子安先生が海外研究として1年間ミュンヘンに滞在されていて、留学中いろいろ助けていただいて、子安先生と一緒にエンデの家にも出入りさせてもらっていました。まだ、エンデの本も読んだことがなかった時期で(笑)。

―その時は、読んだことがなかったんですね!

堀内:女性雑誌に『モモ』が取り上げられて話題になった頃にちょうど留学したので、読まないままきていました。もちろん、エンデの名前は知っていて、有名人だということは知っていました。でも、直接お会いしてからもエンデは自分の話はしないので、しばらくは私も読まないままで。

―エンデは、どんな印象でしたか?

堀内:
第一印象は、大きいなと思いました(笑)。背が高くて大きな人なんです。最初に子安先生と一緒に訪ねていったとき、子安先生は主に奥様とお話をされていたんです。それを私が隅っこに座りながら話を聞いていると、エンデが気を遣ってくださって、おしゃべりしたり、なぜか一緒にテレビを見たりしましたね。

―その後もエンデに何回も会っていたのですか?

堀内:
子安先生と一緒に訪ねていって、一緒にご飯を食べていました。子安先生が先に帰国されてからは、心配して何かと気にかけてくださって、バイトという名目で猫の世話をしたり、お買い物に付き合ったりしました。エンデが亡くなってからも家に出入りしていて、奥様とお茶を飲んだり、本の整理や遺品の運び出しをお手伝いしたりしていました。

『モモ』の世界に入り込む瞬間

―堀内先生自身は、『モモ』を読まれて、どのように読まれましたか?

堀内:はじめて読んだのは、ミュンヘンにいたときでした。読んだことがないと言ったら、エンデからドイツ語の『モモ』をいただいて。いちばん印象に残っているのは、時間の花の場面かもしれません。真っ暗な中に花が浮かんでは消え、大きな振り子がやってきては消える。自分がドイツ語を読んでいるのを忘れるくらい、くっきりと自分の中に映像が浮かび上がってくるような場面でした。

―物語の世界に浸りながら読まれていたんですね。

堀内:本当に入り込んで読んでいました。エンデの最初の奥様は女優だったのですが、『モモ』を書いているとき、書いたところを奥様に音読してもらって、耳障りな部分を直していたそうです。その作業があったから、作品がこれだけ読みやすく、すっとイメージできるものになっているんだろうなと思いました。


―堀内先生は、黒姫童話館とはどのような関わりを?

堀内:これまでは子安先生が中心にここの資料管理をされていて、私も昔は毎月ここに来て資料の整理などをしていました。去年、子安先生が亡くなられて、子安先生がされていたエンデの資料を紹介する読書会を引き継ぎました。今後も定期的に通いながら、ライフワークとして、ここのエンデの資料を訳しながら伝えていきたいなと思っています。

―黒姫童話館には、どうなってほしいと思いますか?
堀内:エンデは黒姫童話館に来たとき、「バイエルンの山並みみたいだね」と言っていました。私もここに来ると、針葉樹林の森の中に、とんがり屋根がぽっと出てくるような童話館の雰囲気が、すごくいいなといつも思っています。もったいないと思うくらい、素敵な場所なんです。もっとアピールしてもいいのではと思います。ここにあるエンデの貴重な資料も、定期的に紹介して、たくさんの人に来てもらえるようにできたらと思っています。


2018年11月3日-4日には、堀内美江さんらのゲストを招いたプログラム「物語とわたしをめぐる旅ー秋の黒姫で、モモを語る2日間」を長野県信濃町で開催します。詳細はこちらから。

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