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自分を削るのではなく、自分を満たしていくー山崎繭加さんにきく手放す勇気

今回お話を伺うのは、山崎繭加さん。マッキンゼー・アンド・カンパニーや東大助手を経て、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の教材として使われる日本の企業や経済についてのケース(事例)を作成するなど、活躍されてきました。また、HBSが東北を学びの場として開催する講義の運営・運営にも携わり、著書「ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか」にまとめられています。

世界を舞台に活躍してきた山崎さんですが、2年前からは華道家として、生け花をビジネスや社会に広げる活動を本格的に始められました。その中で、これまでの仕事で自分の武器としてきたことや習慣を手放そうともされています。

今まさに自分の時間の使い方を見直し、新しい一歩踏み出そうとしている山崎繭加さんへのインタヴューです。

今を生きるということが、いかにできていないか。

―『モモ』のイベントのゲストを引き受けてくださって、本当にありがとうございます。

山崎:こちらこそ、素敵なイベントに誘っていただいてとても嬉しいです。私、ミヒャエル・エンデや童話全般がすごく好きで。子どもの頃は、自分で物語を書いていました。

―そうなんですね!山崎さんとエンデ作品の出会いについて教えていただけますか?

山崎:最初に読んだのは、『はてしない物語』でした。とても綺麗な赤色の本で、物心がついてから最初に自分でねだったプレゼントです。小2か小3の頃に、「これが欲しい」と買ってもらって、すごくうれしくて、ずっと読んでいましたね。

―『モモ』はどうでしたか?

山崎:子どもの頃は、まあまあでした(笑)。『モモ』の世界にぐっと入り込んだし、何回読んだかわからないくらい。でも、マイスター・ホラとのおいしそうなご飯のシーンや灰色の男たちが消えていくシーンのように、場面の情景は色鮮やかに覚えていたのですが、ストーリーとしてはあまり記憶にありませんでした。大人になってから読んだときのほうが「やばい」と思いましたね。

―大人になってからハッとしたというのは、すごく共感します。大人になって読んでみて、どんなことを感じられたのですか?

山崎:今を生きるということを、どれだけしていないかということ。そして、今を生きることをさせない誘惑に満ちた社会であるということです。もしかしたら、子どもは当然のように今を生きていて、みんながモモのようだから、そこまで物語が訴えるところに共感しないのかもしれない。

大人になると、先に行けば何かがある、外に何かがある、と思いがちです。でも、今の自分の体と感覚を使って、今を楽しむということがいかにできていないか。そして、経済システムの強烈な誘惑もある。

―「強烈な誘惑」というと?

山崎:子どもがもうすぐ2歳になるんですが、おもちゃをどんどん買ってしまうんです。少しでも長くおもちゃで遊んでいてくれると自分の時間ができるということもあって。

子どもがモモのように、段ボール一つで自分の想像力を頼りに遊ぶことができたらとは思うのに、強烈な色とメッセージを最初からもった楽しいおもちゃを買ってしまう。そういうとき、あの灰色の男が円形劇場で子どもたちにおもちゃをあげるシーンを、はっと思いだすんです。

やらないと決めること。

―私はまだ子育てをしていないのですが、あのシーンは印象に残っています。灰色の男たちに疑問を持ちつつも、実際に自分が子育てをするときのことを考えると、自信がないですね・・・。

山崎:子どもは楽しんで遊んでいるんだけれど、本当は違うんだよな、と。もう少し自分の人生がシンプルで、やるべきことしかやっていなかったら、自分の時間をつくるために、子どもにおもちゃを与える、ということはしないだろうなと思って。

私の場合、自分が役立っていると感じると安心するんです。それは不安の裏返しで、本当はその場に自分として世界にいればいいだけなのに、それだと怖い。だから、つい仕事を受けてしまう。

―仕事をしていると、自分がやりたいからなのか、誰かに期待されているからなのか、わからなくなることがあります。なんとなくしんどくても、やめられない自分がいたり。

山崎:やめるって勇気がいりますよね。経済的なこともあるし。自分が役立てるとわかっている武器を手放すのは、すごく怖い。でも、もうやらないと決めて。

―「やらないと決める」。個人的にズシンとくる言葉です・・・。もう少しだけ伺いたいんですが、山崎さんが今手放そうとしていることはなんですか?

山崎:私、ハーバード・ビジネス・スクールで日本の企業についてのケースを書く仕事を長くメインでやってきたんです。それを今は個人の仕事としてもやっています。ずっとやってきたことですし、プロとしての自覚や自信もあります。一方で、やるほどに命を削っている感じがあって。

―「命を削っている」とは?
あるとき友人に「ケースを書く仕事は、客観的憑依だね」と言われて、なるほどと思いました。組織や人に憑依はするけれど、あくまで少し距離をおいて淡々とした目で、組織の、その人の、物語を編んでいく。

自分が限りなく透明になることで見えてくることがあるけれど、透明になることばかりを続けていると、自分が消えていってしまいそうな感覚があります。プロとして役立てる仕事ではあるけれども、今の自分の人生のフェーズを考えると、これはもう手放した方がいいなと思いました。

ただ、目の前の花をどう生かすかを考える。

―そんな中で、今山崎さんは華道家として活動の幅を広げていらっしゃいます。生け花の仕事は、そうした仕事とは違う感覚がありますか?

山崎:ケースを書く仕事は、終わるとホッとする。でも、自分の魂の一部をそこにおいてきたような感じがあります。
生け花は、体は疲れるんですけれど、終わったときに自分のタンクが満ちていくような感覚になります。

―生け花は、いつ始められたのですか?

山崎:生け花は20年くらいやっています。花を生けることが、純粋に楽しくて続けてきました。

2年前からは、本格的に生け花を社会の中に入れていきたいと思うようになりました。難しいことを議論したり、苦しそうな顔をして会議室にこもっていたりするより、何の目的もなくていいから、美しい花と向き合って、ただそれをどう生かすかを考える時間があった方がいいと思うんです。そういう余白が社会の中にあった方が絶対いい。

―生け花とは、今はどのように関わっているのですか?

山崎:まず、自宅で個人向けのレッスンをしています。ふつう、華道は一人の先生について長く続けることを前提に始めることが多いんです。でも、中には、月に1回やりたい人もいれば、年に1回でいい人もいると思うんです。なので、入会などもないゆるやかなコミュニティとして運営しています。

でも、レッスンのデザインは工夫して、密度が濃くなるようにしています。背中を見て覚えるのではなくて、ちゃんと言語化して伝えることで、上達がとても早くなるんです。

あとは、生け花をツールとして使った、組織向けのワークショップもしています。

―それは、チームで花を生けるのですか?

山崎:はい。生け花を使って、組織のあり方を考えることもあれば、感性を開くことを目的とすることもあります。

チームで、一つの美しいものを作ることを最初から最後までやるという経験は、ビジネスの現場では、あまりないのではないかと思います。いろいろな人の感性やセンスを生かすと、毎回すごくいいものができます。個人ではできないことが、チームではできる。それを花というメディアを通して、短い時間で体験してもらいます。

といいつつ、本当は、目的が何であってもいいんです。花という生きているものに触れて、向き合って、みんなで美しいものをつくる。それだけで十分だと思っています。

2018年11月3日-4日には、山崎繭加さんらのゲストを招いたプログラム「物語とわたしをめぐる旅ー秋の黒姫で、モモを語る2日間」を長野県信濃町で開催します。詳細はこちらから。
公式ウェブサイト:https://momopj.jp/

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