その人がその人らしく、ここにいられるということ ―西村佳哲さんにきく自分とのつながり方(後編)

「働き方」や「かかわり方」をテーマに、さまざまな人にインタヴューしながら、本を書かれてきた西村佳哲さん。インタヴュー前編では、自分の感覚とつながりながら仕事をすることについて、お話をききました。

後編では、その人がその人らしく、自分が自分らしくあるための「かかわり方」についてお話を伺っていきます。         
(インタヴュー前編はこちら

『モモ』が読めなかった。

―今回のテーマである『モモ』のことも、少しきいてみたいと思います。最近、読み返されましたか?

西村:えっと、このインタヴューまでに読み返すべきですよね。読み返せませんでした。「時間がなくて」。ここ拾ってください(笑)。

今回は『モモ』をシンボルにしたイベントだと思うんです。でも、『モモ』を読み返す気持ちにあまりならなくて、『はてしない物語』を読んじゃったんです。

―じつは、これまでにインタヴューをした方々の中にも、『はてしない物語』の方が好きだっておっしゃる方がいました(笑)。

西村:エンデ全集の『オリーブの森で語りあう』や『芸術と政治をめぐる対話』は、けっこう自分の中に入っているんです。そこでは、エンデが現代社会をどう捉えているかが非常にストレートに語られている。

『モモ』は最後に読んでから十数年たっているので、新しい気持ちで読みたいのだけど、あまり手が伸びなくて。『モモ』には物語としての豊かさがたっぷりあって、ファンタジーとして十分に味わえるんだけれど、現代社会と重なるところが多すぎて、読みながらいろいろ考えてしまいそう。そういう理由なのかな。

エンデが大事にしていることの一つに、”無償性”があると思います。何かのためでなく、ただ存在している。目的や意図をもたないことの豊かさを捉えていると思うけれども、『モモ』というお話自体の無償性は、ちょっとわからなくて。その中に出てくるモモという少女の存在には、無償性があるんだけれども。

―向こうから求められていると感じるということですか?

西村:そこまであざとくないし、エンデも浅はかな人ではない。でも、期待されていることがあるなと感じる部分はあるんですよ。無償性をもつものは、こっちに期待をもたないですからね。ただ存在としてそこにある。それは『モモ』に対する疑問の一つですね。

―確かに『モモ』を読んでいると、自分自身を振り返ってしまいます。

西村:例えば、トールキンの『指輪物語』はあまり社会風刺性を含んでいないと思う。彼は、言語学的な興味からあの物語を書いていて、なにが善でなにが悪であるとか、こちらの方に行きましょうという指向性はない。

でも、『モモ』の場合、それはエンデではなく読み手がつくってきた感じもして。ファンタジーとして書かれた作品を使って、他の人が「エンデはこういうことを言っている」とか「現代社会のことを照らしている」とかいろいろ言っている。たぶん、そういうのが嫌で、実際にエンデが社会や政治について語っているのを読もうと『オリーブの森で‥.』などの方を自分は手に取ったんじゃないかな。『モモ』そのものではなく、『モモ』周辺に対する違和感です。

―今回、ゲストとして堀内さんというドイツ文学者の方にも来ていただくんですけれど、エンデがここまで社会派といわれているのは日本だけだとおっしゃっていました。ヨーロッパなどでは、純粋に子ども向けのファンタジーとして読まれているそうです。

西村:そうなんですか。おもしろいですね。

その人が、よりその人らしくなっていく。

―モモのように、存在するだけで周りが元気になってしまうという人がいますよね。

西村:そういう人たちは、みんな口をそろえて言うんですよ。「自分があらかじめやりたいことはない」とか、「自分が作りたいものは別にない」とか。もう、本当にかっこよすぎて、嫌になっちゃう(笑)。

僕は、特に30代は自分のつくってみたいものを形にすることをやっていた人間です。自分が思い描いたものが形になって行くから最初のうちは気持ちがいいけれども、じきに自分の想像を越えなくなっていくんですよね。自分がやりたいことではなくて、頼まれてがむしゃらにやったことの方が、むしろ自分としては満足度の高い結果を生んだりして。

だから、そのまん中で、モモ的なポジションにいる人たちが担っているのは、他人が何かすることを可能にする、という存在のしかたで、ディレクションではないんですよ。

そのときには、その人は何をしているんですかね。「思い出させる」ことはしている気がします。結果的にだけど。

その人と話している中で「自分はあれがしたかったんだ」と我を取り戻す。そのときに大事なポイントとして、”我を取り戻させようとはしていない”ことがあると思います。

だから、取り戻した「我」が非常に効果を発揮するし、強度をもっている。意図をもった関わりには誘導性があり、本人以外の力で本人が作動してしまっている。すると継続しにくいわけだけど、本人が自分で自分の力を再確認して作動させる、そんな天分というか、感覚をもっている人はいるなと思いますね。

―「きく」ということもそうなのかなと思っています。インタヴューのワークショップもされていますが、そこではどんなことを大事にされていますか?

西村:自分にとっていちばんつまらないのは、参加したその人が、その人自身じゃなくなっちゃうことです。5泊6日のワークショップを過ごす中で、その人がよりその人らしくなるということがあれば、一緒にいる甲斐がある。本人でない人になっていく過程に付き合うのは全然やりがいがなくて、一緒に生きている意味がない。

例えば、その人がもうボロボロだったり混乱していても、その人が「ここにいる」感じがすれば大丈夫なんじゃないかな。それは、自分がそういたいからだと思うんです。

―その人がその人になるということを大事にしているんですね。

西村:素敵な何かでなくてもいい。人はどんどん変わっていくし、その人の今が出てくると、僕も今の自分でいやすくなるし。話題やテーマでなく、「存在」と「存在」で一緒にこの世の中にいる。そうしたことを実現したいなという気持ちがインタヴューのワークショップにはあるんですかね。

―西村さんのインタヴューは相手を引き出さないですよね。その人が見ているものを一緒に見ようとしている感じがします。

西村:引き出さなくても、あふれ出てくるものや、しみ出してくるものがある。お互いの間で生まれてきてしまうものもある。話をうまく引き出してゆくと、人の話はどんどん自分好みになっていくんですよね。自分の知っている自分の好きな世界を再生産しても、何も広がらないですよね。

(後編終わり)

2018年11月3日-4日には、西村佳哲さんらのゲストを招いたプログラム「物語とわたしをめぐる旅ー秋の黒姫で、モモを語る2日間」を長野県信濃町で開催します。詳細はこちらから。
公式ウェブサイト:https://momopj.jp/

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『モモ』をめぐる、それぞれの物語

多くの人たちに読まれ、愛され続けている『モモ』という物語。 さまざまな分野で活躍するゲストに、『モモ』をめぐる、それぞれの物語をインタヴューします。
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