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恋焦がれる気持ちは、なくさずにいたい

私にとって、小説を書くということは、心を描くということなんだと思う。

恋愛小説がメインのサイトにいると、読むのも書くのも恋愛小説が中心になる。読者の皆様が求めてるものを書かなければ、当然読まれる機会も少ないし、編集の方々の求めてるものが書かなければ、書籍化の夢は叶わない。

書籍化はずっと私の憧れだった。夢だった。
その夢が叶うことはなく、夢を諦めかけたときもあったし、何度も書くことをやめた。そしてまた書いて、また絶望する。その繰り返しだった。
そんな私だったけれど、2回ほどある短編集に掲載されたことはある。1回目は2作品。2回目は1作品。
なぜその作品は選ばれたのか。
その理由は、「書く」と「描く」の違いなのかな、と最近思う。
「描いて」いるとき、すごく楽しい。自分が自分ではなくなるような感覚。我を忘れてとか、夢中になってとか、月並みな言葉にするとそんな感じになっているのかと思う。
とにかく楽しいのだ。「書かされて」いるのではない。「描いて」いるから。

求められるものを求められるように「書く」のもまた才能だと思う。だけど、私にとってそれはあくまでも「書く」だけで、「描いて」いなかった。
「描(か)く」とは、「描(えが)く」ということ。
心の内を、感じたものを、言葉にしたいものを、「描かなければ」伝わらないのだ。

同じような設定の話が多く世の中に出回り、既視感のある話が増えると、自分の作品の中にオリジナリティを出すのは容易ではないと思う。
オリジナリティがある作品は、はじかれることもある。万人に受け入れられる作品はない。
コアなファンなら、その作家のオリジナリティはすごく嬉しいし、さらにその作家のファンになる要素にもなり得るけれど、webで無料で掲載されているのと、出版するというのでは、まったく違うのだ。だからオリジナリティも無難なオリジナリティになり、誰が書いたのか表紙を見ないとわからない作品が多くなる。

私は自分の心で感じたことを「描きたい」のだ。たとえば、作者当てクイズをやったときに、「これは百瀬七海の作品」と言ってもらえるような、そんな言葉を綴りたい。

短編集に掲載された作品は、3つとも自由に描くことができた。
指を見て感じたこと。
汗のにおいで感じたこと。
空高く飛ぶ飛行機を見て感じたこと。
それらを感じたときの感情をただ「描いた」し、その感情が溢れ出す瞬間が楽しかった。

ずっと執筆を続けていると、どうしてもいつも同じ壁にぶち当たる。
書いても書いても楽しめない壁に。

だから、私はnoteの存在に出会えたことがすごく嬉しい。
小さな世界しか知らなかった私が、光を見つけることができた。
「描く」楽しさを毎日感じられる光。
自分に課した課題だから、そんな理由だけでは、決して容易にクリアはできない課題。

私には、私にしか描けない世界がある。
それは、誰にでもある。
最近、思うんだ。
私の夢は、きっとこの先も叶うことはないだろうと。求められるものを書けない人が叶えられるほど、容易な夢ではない。
仕事なのだから。仕事をしているひとりの大人として、自分の意見がすべて通らないことは百も承知。

だから、Kojiさんに出会えたことは、私の悩みを気持ち良いくらい吹き飛ばしてくれた。

夢が叶っても、それが私の「描いた」世界じゃなきゃ、このブックカバーはできないって。
それくらい大切な一冊じゃなきゃ、このブックカバーはできないって。
自分の作品じゃなくてもいい。大切な一冊のために、本来、本ってそういうものかなと思った。

「描く」ことが好きだ。それはこれからもずっと続けていきたい。
今の一番の夢は、小説じゃなくてもいいから、誰かの心に残る言葉を綴り、スクショでもいいから時々思い出して見直してもらえるような、そんな存在でありたい。
本当はそれが、カタチとして世に残せれば本望なんですけどね。

この夏、ビールを飲むよりも楽しいと思う奇跡に出会えた。
222日連続して投稿できた幸せに感謝をこめて。

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いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。