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240408 此の頃のモモ

どうも、モモです。
先日の記事で超久々にnote書いて、やっぱ文章書くの嫌いじゃないなぁと思ったので、当面飽きるまで不定期更新で何か書こうかなぁという試みです。SNSからわざわざリンク踏まないと読めないってのも、ちょっとだけ気楽でいいですね。読みたくない人は読まないから、好きなこと書ける感じがするね。

最近はお芝居で表に出る機会もあって楽しいし。ありがたいな。息ができる。生きてるって感じがする〜。

桜もすっかり満開で、あっという間にもう花びらが舞い始めましたね。
場所によってはもう葉桜で。時間が経つのは早い。

最近の私は、そんな桜を移動中に眺めながら、今月末の朗読劇「ヴィヨンの妻」の準備とお稽古に励んでいます。
一昨日の土曜日から、来月のお芝居の稽古も始まりました。「贋作・桜の森の満開の下」。まさに今やん。素敵!

奇しくも今月・来月と文豪作品続きです。太宰と安吾!いいね!
桜の森〜は坂口安吾そのままではないけれど。
安直な表現に偏って語彙力が下がりがちな現代、いろいろな日本語の表現に触れて言葉の感覚を広げたい。

さて。
今日は直近の朗読劇で読むヴィヨンの妻について。

面白いです。
読む前は「貞淑な昭和の女」が男性のご都合主義で美化されて描かれてんのやろ〜くらいに思ってました(文豪に失礼!)。

でもね、人間の業というか、普通に、ごく一般的に生きている人でさえ、みんな誰しも、どこか「うしろ暗いところ」があるんだってことに気付かされる。というか、絶対に自分にもあるということを、言葉として突きつけられる。白日の元に晒される。その感覚がとても好きだなと思った。

懸命に生きようと足掻くほど、綺麗事ではいられないし、自分を守るために闘わなければならない時もある。足掻いてもがいて生きるほどに、意識的でも無意識的でも、誰かを傷つけてきただろうし、自暴自棄になったり、だらしなかったり、小さな嘘をついたり、秘密めいた恋のひとつやふたつにぶつかったりするもんでしょう。

そんなずるい自分、どうしようもない自分を、
この物語の、トコトンどうしようもない夫婦の物語を通して
どこか憎めないような、ちょっぴり肯定できるような
そんな気持ちにさせてくれる物語だな〜と思ったりする。

完全に品行方正、清廉潔白な人には共感できないのかもしれないけど…。
人間誰だって、ダメな所はあるもんでしょう、たぶん(笑)。

まあ、青空文庫にも載っている名作なので、ネタバレなんて気にせず書けば、ラストのセリフで、

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

というのが優しくて、それでいて絶望的で、とてもいいなぁと思うのです。

生きていさえいればいいんですって。

いつか最期の日まで。足掻いて足掻いて愉しんで生きていきましょうね。

ありがとうございます!