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距離とゴミのあるべき(10069文字)


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mから始まる覚えられんほど長い名前がついた小さな惑星のテラフォーミングが万全になりつつある今、人間の格差は物理的な距離に表れるようになった。
際立って金持ちのヤツ、際立って美しいヤツ、際立っておもしろいヤツ、際立って賢いヤツが順々に見出され、地球から9900万キロほど離れたm星付近を周回する国際宇宙ステーションに移送され、さらにそこから順次m星に着陸し、刺激と安心と優越感を抱きながら第二の充実した人生を過ごす。一方で、その他大勢の一般人ははるか彼方で暮らす天上人の人生に刺激と優越感を与えるために、もうとっくに住めたもんじゃないと言われ続けた通信環境だけは整った地球で何となく生かされている。
諦めて捨てたら地球も捨てたもんじゃなくて意外に大気汚染も穏やかになったようだし、長らく鈴なりのジャガイモみたいに続いていた異常気象も災害もすとんと落ち付いたものだから、地球からいなくなった優秀な3%ほどの奴らが地球の怒りを買ってたんじゃないかってのが俺たちの渾身のジョークというか負け惜しみの口癖になった。
ゴミがいなくなって地球もせいせいしたんだって喋る、正真正銘、名実共にゴミでしかない俺たち。スターもまた文字通り空の彼方で暮らすようになって、結局なんでも、「あるべきものは、あるべき場所へ」だった。


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俺たちのジョークや負け惜しみは、例えば戦場で、追従する撮影用小型ドローンと仮想敵兵の視線をまきながら走り走り、ついに潜りこんだ世界の死角でm星に住むヤツらに悪態を吐く形で発せられる。ゴミめ。俺たちの息切れが楽しいか、俺たちの汗と血が流れるのが楽しいか。俺たちの死は娯楽か。艶々のキレイな顔で俺たちのヘッドショットを期待してるんだろう。ぶちまけられた脳みそを見たら見たで、感性がまだ残ってたことを確認するみたいに過剰に痛み入って見せて、自分たちの生を実感したりしてまた自分の人生に集中するに違いない。草花を少し複雑にした程度の単純さしか持ってないことに気付かないほど単純なお前らは、戦場で息を切らしながら必死に悪態を吐く俺らの複雑さを知らない。尊敬と憎悪を捏ね繰り合わせた塊を鼻の穴につっこむ俺たちの繊細さを知らない。
別にそんな悪態を陰で叩くことが快感なわけでもないし奴らに届いて少しでも嫌な気持ちになれば良いとも思わない。意味がないことだし、あいつらにはゴミの悪意もゴミなりの正義も屁ほどの影響もない。なんせ宇宙の真空を隔てているのだから。
自らもm星行きを目指そうとする雑多な奴らの中にはアンチ移送人類派を名乗り地球に残存した人間の人気取りをしようと試みたヤツもいるけれど、そもそも地球で人気と実力と知名度と尊敬の念とを勝ち取ってきた生え抜きがm星に行くのだから地球には唸るほどファンがいて、結局そのアンチ移送人類派のアンチが湧きに湧き、ある夜の放送中公開リンチで殺された。その場面も中継されて宇宙ステーションでもあまり話題にならないニュースの一つになった。だから遠い空の向こう側にいる生え抜きたちもその事実は知っているはずだけど、話題にならないってことはそういうことだ。
俺はこうやって分けられてはっきり分かった。
移送組に対して、劣等組に属する人間の中にはプライドがないヤツが多い。主体性がない、創造力もない。あからさまに優劣を分けられるこんな状態でも怒ったり抗議したりすることなく、素直に宇宙で活躍するアイドルやら、そのアイドルの穴にぶち込み放題の金持ちやら俳優やらを男の理想像と崇めて生きている。地球で稼いだ僅かばかりの金をm星で悠々自適なアイドルに送って、自動送信されるお礼のメッセージを受け取って喜んでる女もいる。
デバイスを通して彼らを見られることが生活の唯一のハリと言わんばかりの態度で、毎日毎日豊かな自然とうまいコーヒーを啜ってスターを見ては幸せだって叫んでる。
そうやって身の程を知って生きてる奴らも、身の程知らずのアンチ移送人類のあいつも、結局自分の身が自分のモノじゃないことに気付いていない時点で同じ穴の貉なんだが、それじゃあ俺はどうなる?
俺は諦めてるし同時に悪態を吐いてる。クソがクソがっていつも言ってる俺は。


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ドゥーザッハだかドゥザーハだか言う発音しにくい、どこかの宗教の神の名前だかがついたアイドルグループの中の一人、結城碧がかねてからの俺の恋人である。
名前は「あおい」と読むが、友達にもファンにも「あおちゃん」と呼ばれることが多い。俺は頑なに「あおい」と呼ぶ。昔からそうだったから。中心的なメンバーというには少々地味かもしれないけれど、大人しそうな容姿の内に熱いものを持った存在感のあるやつで、国内外問わずかなりの数のファンがいる。碧とは小学校から一緒で、学年は一つ下。かくれんぼはあまり好まない代わりに、お互いのものを隠して遊ぶのが好きだった。やけに黒くて丸くてツルツルした石を学校の裏で拾った俺たちはしばらくその石を隠し合って、隠し通せたら次に会うまでは自分のもの、見つけられたら相手のもの、というルールを決めて二人で隠しあい探しあった。いずれにせよ俺が碧のものなのだからどっちが持っていたって良かったのだけど、夜、お互いがそばにいないときに石がそばにあるのは良い気分だった。碧がそばにいる気がしたから。碧も同じ気持ちで石を持っていてくれたなら嬉しい。石を自分の家に持ち帰りたいという態度をとり続けることが、俺たちにとっての互いの愛情表現だった。
その石は俺が持つ番のときに失くしてしまった。
嘘だった、母親に捨てられた。
母親の口癖が「あるべきものは、あるべき場所へ」だった。
モノを元通りに片付けない俺を叱るときの常套句。リモコンをソファの上に置きっぱなしにするとそう言われる。飲みかけのペットボトルをテーブルの上に置いておくとそう言われる。まだ飲むんだと言っても、しばらく見てたけど飲んでなかったというようなことを言って、冷蔵庫へしまう。ゴミはゴミ箱へ。ハ、地球はゴミ箱か。まあそれはどうでも良い。どれもこれも、あるべき場所にあって初めて機能するのだと母は考えていた。もう少し進歩した考え方をするとすれば、何もかも、あるべき場所に置いておけば輝くのだ、と考えるのが俺の母親だった。厳格ではあったがそういう意味で博愛的で、例えば誰かがゴミに見えるなら、そいつはただいるべき場所にいないだけ、といったような考え方をした。じゃあ俺たちの居場所は? 元いた場所がゴミ箱にされてしまった俺たちは?
死んだものは皆地球に帰る。生はもちろん喜ばしいことだけれど、死もまた自然で、私たちはいつも帰るべき場所に帰り、生まれるべきところに生まれるのよ、とそんなこともよく言っていた。母の葬式で泣けない俺は、母のその教えのせいで死を緩やかに受け入れているかもしれない事実に反発するために泣いた。早すぎる死に意味はあるのか、死ぬべき人間がいるのかと母を詰りながら泣いた。母が捨てた命、母が捨てた石、俺と碧の絆、いろいろなものを放り投げた母の正しくなさと、骨と灰になっていく母の教えの正しさの中間で泣いた。涙が母を肯定していく。こんな複雑さがお前らに分かるか、と俺は声に出さず目で、追従するドローンに訴える。



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俺と碧の石が捨てられたときの話をもう少し詳しくしよう。
学校の裏で拾ったとは言わなかった。川で拾ったと言った。そしたら川に捨てられたから、あの石はあるべき場所に戻されなかった。あのとき嘘をついたのは俺のせめてもの抵抗で、母の考え方への抵抗だった。母は自分が石を捨てた辺りのところに俺たちの黒い石と同じような丸くてツルツルした石がたくさんあるのを見て、やはりあるべきものがあるべき場所にあるのは良いものだという風な、満足した顔をしていた。
俺たちは学校の裏であの石を拾ったし、学校の裏にあったからこそあのツルツルの黒い石は俺たちに見つけられたと信じてるから、母のあの満足気な表情はまったくお門違いだ。
碧には失くしてしまったと言った。
その気になれば川の適当なところで適当な石を拾っても良かったのかもしれないけれど、碧も俺と同様、自分の家に置いてあるときは始終それを眺めていたはずだから、例え小さな傷のありなしと言った些細な違いでもすぐに気付くだろうと思った。
だから失くしてしまったと言ったけれど、碧は俺が嘘をついて石を独り占めしようとしていると思われたかもしれない。
それだけは気がかりで、今となっては母親だって死んでしまったのだから、真実を言っても良いかもしれないが今はもう会えない。母にあの石の大事さを渾身の言葉で伝えて謝らせたかったがそれももうできない。ああ地球から旅立つ前に俺だと思ってと言ってあの石を渡せたらどれだけ良かったか。例えあのとき俺たちが持っていた石じゃなくても、別の丸っこいツルツルした黒い石でも、構わなかったんじゃないかと思うことがあるけど後の祭り。
今や宇宙一のアイドルと言っても過言ではないドゥー……、あーつまりD(Dで良いだろ)は今となってはいつだったか細かいことは忘れたが、いつのまにか当然のように宇宙ステーションに飛び去る予定が立ち、数日後には大気圏ライブとか言って地球に残る80億人のうち多分12億人くらいを熱狂の渦に巻き込んだ。
応援のペンライトも宇宙のかなたから見える、大声援も、耳を澄ませば聞こえる聞こえる!私たちって意外に近くにいるのかも!って俺も名前の知らないメンバーの誰かが言って、なんやかや、15億人くらいをとち狂わせた。
すごいよすごい、みんなの力が合わさって、今まで見たことのない雲みたいに、みんなの熱気が、渦を巻いて登ってくる! 宇宙船に届く! 巻き込まれたら落ちちゃう。みんな落ち着いて! 私たちは繋がってるから!
見えるわけねえだろバカ、聞こえるわけねえだろバカ、繋がってるわけねえだろバカ。こっちの映像もあっちに送られてるだけで、俺たちはもう手の届かない距離と距離と距離とって何回言っても足りないくらいの距離を隔たってしまった。ただただ臭い汗がパブリックビューイングを設置したライブ会場に落ちていく。滴って落ちた汗ですべって転んでベトベトになった不細工な女が一人、泣きながら見るに堪えない顔で俺の恋人の名前を呼んでた。あおちゃあーん、あおちゃあーん。あおちゃんの全部がすきいぃー!。もう同じ空気が吸えないなら生きてる意味ないぃ! そんなことを言ってこいつはいつまでも死なない。碧のことが好きなようだから憎めないのが困ったもんだが、パブリックビューでDを応援するライブ会場に足を運べばその女は必ずいる。結局Dが解散もしくは碧が死なない限りあいつも死なないんだろう。だから10年後に本当の本当に死ぬはずだ。
一方で大気圏突入ライブのとき、グッズに費やすはずだった全財産400万を持った男は並んでる間に殺されて、有り金全部を奪われた。男が殺された現場には男が買うはずだったDグッズと花束が飾られた。男に同情した勢もそれなりにいただろうが、誰もがその執念を知っているからこそ厄除けのためグッズをお供えしたのだろう。男は安らかに眠って、もしかしたら今頃m星の空を漂ってるかもしれない。それでもm星の空を漂うのが限界だろうと思うけど、俺よりは碧の傍にいると思うと男が羨ましくもある。
いずれにせよ、どいつもこいつも、今の今でそこにいて、それぞれ生きたり死んだりすることに意味があるのかよ? と俺はまだ母親に悪態を吐く。



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物理的な距離は心の距離で、真空を隔てた宇宙の向こうでは時間感覚も人生に対する視野もそもそも違う。
宇宙に行ったら例外なくみんな10年以内に死ぬと聞いたのは碧たちが地球を去って2年が経った頃だった。
そもそも異星への適用はまだまだ無理なレベルだったらしく、一応宇宙服がなくたって呼吸ができるくらいのところまでは行ったが重力やら酸素濃度やら色々の影響でだいたい今ピークに健康な人間でも10年くらいで生命維持が難しくなるらしい。血管障害が死因のほぼ100%を占めるはずだと予測されており、ではその頃に地球に帰ろうたって今度は地球の重力にも耐えられない身体になってるらしい。第一地球に帰ったって優秀な医者はおらず、ぼろぼろの身体で延命したって意味があるのかどうか、という話。
テラフォーミングが万全だと言ったのは誰だっけ? 今この地球上にいる誰よりもとち狂ってた大富豪だっけ。そいつが選民のプライドをくすぐりながら絶対の自信で宇宙進出の夢を語って、全員さらって心中ってオチ。扇動者はどいつもこいつも寂しがり屋の死にたがりだったわけだ。ゴミクズめ。
そりゃ何人かは何もかも知ってて移住した。ちょっとでもテラフォーミングの実情を知ってるヤツ、言いだしっぺの自殺願望を知ってるヤツにとって大して長く生きる気がないというのは自明のことだった。
もうここまで来たら大して長く生きられませんとカミングアウトしたとき、結果的に嘘になってしまった地球事情を「知ってるヤツら」は滔々と語った。どのみち地球だってもう生きられる星じゃない、異常気象に災害の連続、優秀な遺伝子の大量移送、医師の不足、治安の悪化、伝染病の蔓延に耐えられるわけがない。どうせどこにいたって俺たちに平穏な老後なんてないと移送組は信じてて、ところが予測に反して地球は順調で、地球はもうボロボロ説を信じてる移送組の奴らはこちらの順調を伝えても偏向報道くらいにしか思ってない。好んで見るのは俺みたいなゴミソルジャーたちの殺し合いの映像。噴火口から吹き出す高濃度の毒ガスの映像。廃墟の大都市の映像。結局見たいものしか見ないあいつらは、地球はもう荒廃しきっていて法も秩序も何もなく、生きてるだけで地獄みたいに思ってる。
それなら短い命でも、安全な場所で面白おかしく美味いものを食って、美しいヤツ、面白いヤツと乱れた性を謳歌して、燃え尽きるように死んでも良いんじゃないかって思うヤツが大勢いた。
それに、m星には優秀な医者や科学者が揃ってるわけだから、数年で現状を打破する薬品なり治療法なりが開発できる可能性もある。少なくとも地球で10年生きて、災害やら疫病やら戦争ごっこのヘッドショットやらで死ぬよりは、m星で10年を生きて瞬発力のある老衰を選ぶ方が希望がある、というのが移送言いだしっぺの言い分だ。
どうだろうな、地球ではそりゃまだ災害に見舞われる可能性も大きな病気にかかるリスクはあるし、復興も治療も満足できず朽ちるままになってしまうかもしれないけど、このまま淡々と暮らせば寿命は全うできるんじゃないかと思えるほど落ち着いてる。戦争ごっこだって所詮ごっこ。むやみやたらに殺し合ったりしない。
狂乱だか謳歌だか知らないが、俺にはあいつらが地球から離れた不快な星で生き急いでいるようにしか見えない。



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碧は俺に、あっちで待ってるからって言った。私はいつまでも待ってる、宇宙の彼方であなたのことを衛星みたいに見守ってるって言った。その言葉を頼りに生きようと一瞬でも思った俺がバカだった。宝探しが好きだった碧は俺の部屋に色々なものを隠していった。手紙、写真、キスマークがついた栞、一度変な感覚に陥ったのは時計の電池を交換しようとして古い電池を外したら、その電池に巻きつくように小さな紙片が出てきて、「どこ探してもない」と書かれていたのを見たとき。こんなところに仕掛けようなんてよく考えたなと思ったと同時に、それが一瞬であの石のことだと分かった自分に感動もした。
そう、どこを探してもないはず。あの石はマジで俺の母親が川に放り投げた。放ってはみたもののあまり飛んでいかずその気になれば拾い上げられるところに落ちたけど、本当に捨ててしまって持ってない。
踊っているときスカートの裾を握ったらそのときは俺への合図らしい。そんなメモを見つけてからライブ映像を見返すと何度もやってる。碧は人一倍練習熱心で、振り付けを覚えるのが早く手抜きをしない。その熱さがファンに伝わるのだけど、その碧の完璧なダンスの隙が、余計な手振りが、俺のためになされてる。あいつは何度も何度もスカートの裾を握りしめて、握りしめて、その緩急によって俺に直接話をしているみたいに見える。俺はそんな碧の姿を見て優越感で暴発しそうになる。碧は本当に俺のことが好きらしく、本当に俺がそのうちm星に辿りつくと思ってるらしい。俺が戦場でヘッドショットを決めればご祝儀をくれるハンドルネームkuroさんは碧だと思う。俺に送るその金は碧のことが好きなあの不細工女の金かもしれないと思うとまたあの言葉が浮かんでくる。
「あるべきものは、あるべき場所へ」
それから、クソが、ゴミが、と俺はまた悪態を吐く。



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寿命の発表があってから3年が経った頃、つまり碧がm星に行ってから5年が経った頃、希望者もしくは追放者がm星から地球へ送られてくることがある、と曖昧な発表がされた。
希望者というのは、m星での環境に精神的、肉体的に耐えられなかった者、やはり家族に会いたいと願った者、地球の環境がそれほど悪くないという情報に触れて信じた者らしかった。一方追放者は魅力が乏しくなった者。年老いたり、体型が維持できなかったり、パフォーマンスが発揮できなくなったり、飽きられた者。もしくは秩序を乱す者。
とにかく、名実ともに地球はゴミ箱だった。m星でいらなくなった人は捨てられた。希望者だって連中にとってはm星の発展に非協力的なゴミだった。
ゴミはゴミ箱へ。
たいてい小型宇宙船の中にある小型ポットに蛹のようにくるまって、昆虫みたいな形の宇宙船が卵をポコポコと産み落とすように指定ポイントに向けて放り出された。
特に明言されたわけではないが、落ちる場所は設定できるようだ、というのが大方の意見だった。もともと日本に住んでいた人間はだいたい日本に落ちるし、その他の人物でも同じ条件だったから、どれほど正確にかは分からないが落ちる場所は指定できるようだと考えるのが普通だった。
落ちてくる人物は公開された。ただし落ちる場所も時間も非公開。帰って来る理由も非公開。この絶妙な非公開具合にm星のサービス精神があった。非公開とすれば多くは下世話な憶測を好み、希望者としてではなく追放された堕落者としてその帰還を待った。アイドルが帰ってくるとなれば堕天使と言われたし、堕ちてきたアイドルはつまり自分たちと同等なわけで何をしたって良いと思ってるから、みんな血眼になって落下ポイントを予測したりした。誰も予測しない、一人で待ち受けられるポイントを探しだすことができれば、うまくいけばそれは自分一人の所有物にすることができる。どうせもう地球で人権のない元スターの堕落者は、名実ともにおさがりのオモチャにできた。追放者ハンターとして人気が出れば、今度は自分がm星に行けると思った連中も多かった。
天体観測の趣は一昔前とは違って殺伐とした戦場のそれに変わり、誰もが鬱蒼とした自然、荒ぶる土地のさなかにあって、野性動物のように息をひそめて空を見上げた。
分かるか。そんな地球側の下卑た思惑もm星の連中は知っているから、栄光をなげうち、自らがゴミになる覚悟をしてまで帰るという者は少数派だった。ただ家族に会いたいとか故郷が恋しいとかそんな理由で帰還を望むのは馬鹿がすることだ、という風潮を作った。だから望んで帰ってくる者はいない。よって地球に帰ってくるとしたら追放者だ、という恣意的に展開されたロジックを地球人の脳みそに植え付けた。劣に属する地球の居残り組を操作するなんて簡単だった。自分たちでそう考えた、と思わせることさえできれば馬鹿な連中は頑なにそれを信じた。つまり追放者は名実共に堕ちた人間だから、見ようによっては自分たちより劣るスターで、それは隕石か月の石の欠片のように、拾った者の物、という認識に罪悪感を抱かないように操作され、その狂乱がm星での新たなコンテンツとなり、また優越の材料となった。



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碧が帰ってくると聞いてから俺も馬鹿の仲間入りをした。
碧が帰ってくる理由は俺に会いたいから、俺と暮らしたいからに決まっていたが、世間はそんな風に考えない。追放されるようなことをした、秩序を乱した、劣化した、体型が歪んだ。誰もが碧にネガティブな理由付けをし、そのように見ると碧はいかにもm星では成り立たない欠陥品に見えた。振り付けの乱れは俺へのメッセージではなく不安の象徴として理解された。そうして碧を馬鹿にする一方で、過去何度かの帰還のときと同じように、きっと多くの堕天使待ち人間が潜在していた。そいつらは拾えるものは拾うと言わんばかりの貪欲さで落下ポイントを予測する。
俺だって、毎日毎日空を見上げた。戦場で駆けまわりながら、帰還組の飛行船が肉眼で見えやしないかと目を凝らしつづけ、同時に仮想敵兵が放つ渾身の弾丸を避けながらまた碧に会える日を夢想した。もう碧のためのヘッドショットはいらない。碧が送ってくれる金のために誰かの頭をぶち抜く必要がない。
暇があれば俺は碧を待った。落ちてくる場所は分かっていた。もし落下ポイントを選べるなら、碧が落ちてくるのは俺たちが石を拾った学校の裏だってことは分かってた。
問題はあの不細工女。根っから碧が好きで、ライブ会場で毎度泣き叫ぶ憎めない女。場合によったらアイツには協力してもらっても良いかもしれないと思った。
碧の最後のライブでも泣き叫んでた。碧が落ちてくる場所を知ってる、誰にも漏らさないなら教えてやる。感謝したいと思ったし、碧に会わせてやりたかった。
学校の裏、二人で石を見つけた場所。俺は女と待った。女は良いヤツで、本当に誰にも喋らなかった。女が俺と碧の関係を知って、同情までしてくれた。女を信頼するごとに、ここしかないと思いつつ、ここじゃなかったらどうしよう、他の奴らに碧が拾われたらどうしようと思った。
「あるべきものは、あるべき場所へ」と言っていた母さんの顔が思い出されて俺はたまにガキみたいに泣いた。母親の言うことをお守りみたいに握りしめて空を見上げつづけた俺は相当情けない顔をしていたに違いなく、不細工女に笑われた。食料を買いこんでは学校の近くに行って座って待った。なんせいつ碧が降ってくるか分からない。幾千個のあんぱんを食べ、幾千本のコーヒーを飲みながら、億千万の星空を何日も何日も眺めた。
不安が最高潮に達した夜、空から碧が降ってきた。
大気圏を突き破ってくる閃光がすぐに碧だと分かった。
女が大きな前歯をむき出しながら拳大の石を持って殴り掛かってきた。
もろに頭を殴られたがダメージは少なく、反射的に上段蹴りで女の首を折った。
落ち着いて考えれば、俺はこの女を連れてどうするつもりだったんだろうと思った。
数時間かけて真っ黒な卵みたいな宇宙船をこじ開けて、中からすっかり痩せ細った碧を救出した。俺を見た碧は自信満々の笑顔で俺を見つけて、拳を俺の目の前に突き出してきた。俺は碧の拳を両手で包み込んで、神様に祈るフリをして母さんにありがとうと8度伝えた。



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俺についてくるドローンの数は二機に増えた。
俺たちは弾丸を除け、嫉妬を退け、ついでに不細工女の殺害容疑というミステリーも手伝って、多くの視線に追われた。
どこまでも中継され得る逃避行の日々。
ドローンの死角に入っては、俺たちはキスをして抱き合った。夜は安全な寝床を探すのが大変で、眠るまでに時間がかかる夜もあったが、満点の星の下、碧と手を繋いで散歩をするのは美しい娯楽だった。もう眠らなくても良いかもしれないと思うほど俺たちは興奮して、碧はm星であったことを俺に話した。
自分は追放者だったのだとある眠れない夜、俺に言った。
身体を好きなようにさせろという連中の圧力をかわし続けた結果らしい。
それじゃあ他のDの連中はそういうことか?
D?
ああ、お前がいたグループ。何度聞いても覚えらんねえ。
ははは、そう、だいたいはそういうこと。
かくれんぼはあまり好きじゃなかったよな。
今は楽しい!
この話題の行きつく先が分かって俺は戸惑った。
宝さがし、覚えてる?
……。
どこ探しても無かった。
すまんあれは、母さんが捨てたんだ。川に。
川に?
川に。
ははは。
手を繋いで歩いた。荒涼とした地球。傷だらけの地球。法も秩序もない代わり好奇の目ばかりが人と人を繋ぐ地球で、毎日毎夜、二人きりになれる場所だけ探して歩いた。碧はm星に長らくいたせいで身体が細く、もしかしたらもうずいぶんな寿命が削られているのかもしれないと思いながら、手を繋いで歩いて、走った。
俺たちの姿は中継される。逃げ回る俺たち。手を引かれる碧は美しかった。
世の中の連中は俺をラッキーボーイと噂した。
やっぱり地球の連中はみんなゴミみたいに馬鹿ばっかりだった。
あるべきものは、あるべき場所へ。
それだけの話なのにな。

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