見出し画像

もんどりうって世界が(9995文字)


1/7

恋心とか異性への興味とか、そういう出口が必ずあるものだ、と思っている人が多すぎた。
あの子が休み時間に席を立つのも誰かと話をするのも何か理由があるはずで、その理由の大部分は恋心や異性への興味に帰結するはずだからと、私の一挙手一投足から恋心や異性への興味の気配を探ることに余念がなかった連中がいた。
恋心も異性への興味もあったけれど、あなたたちじゃないのと、当時の私は声に出さず、それこそいちいちの行動によって示さなければならなかった。恋心や異性への興味を動機としない行動を起こすときにも、私はそういう関心のなさを示すための意味のある行動を取らなければならなかった。わざわざ私の方を伺う男子に聞えるように、ああ恋がしたいなと発言したり、異性との交流よりも友情を大事にしているように見せたり。
そういうわざとらしさがかえって憶測を呼んだり一部の鼻につく振る舞いになってしまっていたりして逆効果になることがほとんどだったから何もしないのが吉、自然でいるのが吉、と悟った時期もあった。だけどそれはそれで窮屈で、私自身もうその頃にはすでに意識の中ですべての行動に動機や意味を、もしくはそれに伴う影響について考えるようになっていた。そのときの絶望に限りなく近い面倒臭さを覚えてる。何人かの友達が同じような窮屈さを抱えていることは分かっていた。だけどこんな悩み、口にすれば自惚れや遠回しの自慢に取られかねないと知っていた。まさに違った意味に取られかねないから言動を控える、ということの連続の中で悩んでいることを控えなければならないような狭い世界の中で生きる年頃だった。大人になってもたいして変わらない窮屈さだったけど、当時は身近で同じ境遇に立つ子にすら打ち明けられない孤独を強く感じていた。私たちはそういうものの中でできるだけ鈍感に、そして朗らかさを装って生きていた。それはつまり、表面的にはしたいようにする、ということであって、勝手に振る舞う、ということだった。その結果誤解が生じたり、勘違いが芽生えたりすることには意識的に目を瞑っていて、それが、鈍感を装うということだった。
花の女子高生だったのだから嫌でも匂いをまき散らし、寝ても覚めても意味がついてきてしまうのは仕方ないことだったのかなと今になれば客観的に考えられるし、贅沢な悩みだったかもしれないとも思う。でもそれはあくまで今となればの話だから、当時の私に罪はない。そう信じたい。


2/7

高校当時、バスケットボールが弾む音が好きで、耳を体育館に運ぶためだけに体育館に足を運ぶ時期があった。当時の三年生が引退し、一年生の私でも何となくふらっと体育館に入るにもあまり抵抗を感じなくなった頃から、制服のまま体育館に足繁く通った。
制服だろうが何だろうが、体育館にいると身体を動かしていないのはおかしいような気がした。運動の力に気圧されて、じっとしていることができなかった。私は扉の傍でただ立ってバスケットボールが弾む音を聞いていれば良かったのだけど、何だかんだ隅で卓球台を二面だけ広げている部員5名の卓球部が頻繁に球をこちらにやるものだから、その度に子どもがザリガニを捕まえるみたいに、軽やかに跳ねる球を上から押さえつけて、こちらに身体を向けようとする部員の方へ放った。それだけで体育館にいて良い人になった気分だった。
恋心や異性への興味の気配を探ることに余念がなかった連中の筆頭が、この卓球部員たちだった。もちろん彼らだけじゃなかったし、彼らが私の心を深堀りしたくなる状況を作ったのは私だから私が悪かったのだと今なら分かる。だけど当時私はあの人たちの好奇心が邪魔で、男はすぐに勘違いするよ、あんまり思わせぶりなことするなよと同郷の先輩に帰りのJRの中で相談したときに言われたのに納得がいかなかった。だから半ばムキになって、私は私のやりたいようにやった。
どうして男子卓球部の近くでバスケットボールが弾む音を聞いていたのかと言うと、彼らが扉に近いところで卓球台を広げていたからだし、球を拾うと私でも分かりやすく役に立ったからだし、太ももくらいまでの高さの仕切りがあって、バスケットボールやバレーボールが跳んでこない安全圏だったから(たまに仕切りを越えて跳んできたけど)。卓球の球なら当たっても平気だし、彼らは走り回るわけじゃないから私がいても邪魔になることはないと思ったから。
結局私はこの卓球部員の中の一人と結婚することになるんだけど、その結婚相手のタカオ君からは、いやでも、視界に部外者がいたらそれだけで邪魔でしょ、と後々ツッコまれた。邪魔だった? いや、別に邪魔じゃなかったけど、一般的にさ。サキじゃなかったら、ってか男だったらマジで意味分からんかったよ。なに?卓球やりたいの?ってなるじゃん?いやそういうわけじゃないんですけど、ってバスケ部の方ばっか見てたら、もうバスケ部行けよってなるじゃん。ただ何となくそこにいるって気になるしさ、その動機が意味不明だったらなんか不気味なんだよ。
やっぱり邪魔だったってこと?
いやだからね、俺たちは男だらけなわけよ。意味なく女の子が傍にいたら、この中の誰かが好きなんじゃないかって思うし、てか自分のこと好きなんじゃないかって思う。自然に部活にも力入るし、本当に意識してたよ。まあ、それは別として、でもサキが俺たちに興味ないのは何となく分かってたから、どうせバスケ部だろうって。女の子が傍にいたら自分のこと好きなんじゃって思うのが普通だけど、近くに自分よりも明らかにカッコいいヤツがいてさ、自分たちを通り越してそっちの方を見てたら、ああやっぱり俺じゃないよね、って思うのが普通なの。
本当の本当に男バスに好きな人がいたってわけじゃなかったの?とタカオ君は何度か聞いてきた。
本当に。本当に誰にも興味なかった。そもそも同じ学年の男バスに誰がいたのかさえ覚えてないくらい。先輩や後輩はもちろん知らない。
じゃあ俺たちの中の誰かが目当てだった、とかは?てか、俺のことそのときどう思ってた?
なんとも思ってなかった。ユニフォームの短パン短いなーとか思って面白かった記憶はあるけど、記憶の中のタカオ君たちはみんなのっぺらぼうだよ。プレーに関しては一切覚えてない。
本当にただ体育館にいただけなんだな。ただいたっていうか、だから、バスケットボールが弾む音が好きだったんだよ。じゃあバスケやれば良かったじゃん。女バスもあったし。いやそんな本格的に部活となるとしんどいんだよね。ちょっと遊ぶとか、見てるくらいがちょうど良かったの。じゃあマネージャーになれば良かったんじゃないの。まあね、それはできたかもしれないけど、マネージャーが増えても困ったでしょ?あの時点で男バスも女バスもマネージャー二人いたし。そうかあ。まああれがなかったら俺たち結婚できてないし、それどころか話す仲ですらなかったかもしれないから、俺としては結果オーライなんだけどね。
タカオ君はそう言って話を締めくくることが多かった。あのときサキが体育館に来てなかったら話しすらできないまま俺たちの人生はまったく別の道に伸びて、その後一切交わらなかったはずだとか、本当に男バスの中に好きな人いたらサキはもっとそいつに近づいてただろうから俺たち付き合えてないよなとか、私が過去、体育館にただいた、ということの意味付けを今の状況から遡ってしようとしたり、あの頃の意味の無さを確かめたりすることに余念がなかった。タカオ君が納得してるから、私はそれ以上のことを言わなかった。隠すほどのことじゃないけれど、タカオ君に話しても仕方ないと思うようなことがあった。仕方ないというより、話したら間違いそうなこと。話したら私の期待していない意味が生じそうなことがあった。


3/7

たまに一人で、もしくは友達とプラプラ、体育館に忍び込んで、バスケットボールを手に取ってドリブルの真似をしてみることがあった。ボールが床に着く瞬間の音が好きと思ってたから、自分でやれば良いじゃんと私も思ってたのだ。
試みについてみたボールの音を聞いても特に何も湧き起こらなかった。何か違うとそのとき一緒にいた友達に言った。そのとき一緒にいたのはユラギだったか。もしくはジュンだったかもしれない。そのどちらか。いや、ユラギ。ジュンは違う。ジュンについては違う話しをしなければならない。とにかく今はユラギ。ユラギの話。ユラギはボールに触ったら手を洗わなければならないと思っていたらしく、そんなん洗えば良いじゃんって私は言ったけれど、結局一度も私に付き合ってボールに触ることはなかった。あとで理由を聞くと、ボールに触ったくらいで手を洗わなきゃいけないと思っていると潔癖症だと思われるから手を洗うわけにはいかないけど、それなら極力触りたくないと言っていた。それ潔癖症なんじゃないのと言ったらそうじゃないと言う。確かにそうじゃなさそうだった。私が途中で熱いと言って脱いで放置した上履きは私がそれに躓いて転ばないよう体育館の隅に寄せてくれたし、その他の日常でもそんな気配はなかった。だからたまたまボールを触ったら手を洗わなければならないと思っているだけの子だった。だって、ボールってなんかいつもちょっと粉っぽくない? と言われるとそんな気がした。
そんな微妙さを持つ私たちだった。誰もがどこかの点で微妙だった。感覚でしかなく、何となくでしかなく、理由なく行動と結びつき、わけなく感情と結びついていることが多かった。バスケットボールが跳ねる音が好き、という私の感情も、微妙なもののひとつだった。無理やり言葉にすれば、バスケットボールがいくつか同時に跳ねて、誰かの靴が体育館の床をキュッと絞り上げるような音を立てて、それから声、何を言ってるか分からないけれどボールを共有している人同士の中では通じ合う声の総和が、私は好きだった。どんな風に好きなのかというと分からなくて、ただその総和に触れている間は時間が止まっているような感覚に襲われるから好きだった。


4/7

次はジュンの話。今咄嗟に思いついたように書くけれど、本当はジュンのことはずっと話したかった。あの卓球部の聖域でバスケを見て(聞いて)いた頃、私はジュンに見られていた。
ジュンは男バスのマネージャーだった。
男の子らしい名前だけどとても女の子らしい可愛い女の子で、小さくて丸いお尻が彼女自信の、そして彼女の友達にとっても自慢だった。ジュンのお尻がとてもきれいな形をしていて丸くて小さくて可愛いということを知っている女の子はいっぱいいて、なぜか周りの人間が率先してジュンのお尻を持ち上げ、頻繁と言って良いほどジュンのお尻を話題にした。ジュンのお尻の話をするときにさりげなく想い起させることができる女の子同士の開けっぴろげな身体の見せ合いっこの情景が男の子の中に生じることが彼女たちには分かっていた。彼女たちがジュンのお尻を通じて男の子に伝えていたのは、友人の美点を純粋に認めて褒める気持ちの良い姿と、私たちは性的な事柄に対してそろそろ心を開く準備がある、ということだった。
男の子が頭の中でだけ賞賛する女の子の身体の特徴的な美点について口にするのは単純に彼らの代弁であったし、男の子側の視点に立つ振る舞いをすることで逆説的に異性より同性との友情に観察を費やしていることが分かる振る舞いだった。私は私に興味があるの、自分の身体について気になってきたの、ジュンのお尻は私に理想なの。ところで男の子はジュンのお尻をじかに見たり触ったりできる私たちが心から羨ましいことを知っている。知っていながら、文字が可愛いと髪型が可愛いとかそういうレベルの気安さで性的な特徴を褒めそやす私たちに危うさを感じていることも分かってる。そんな感じだった。彼女たちが発しているのは最終的には花の香りであり、どんな振る舞いが花の香りを強くするのかを知っている彼女たちはどのみち異性に対して一番大事なものを差し出し続けていた。
彼女たちのメッセージに敏感で、正確に読み取れる男の子もいれば、鈍感な子もいた。敏感だからこそそういったメッセージを過剰に避けて通った男の子もいた。素直に敏感で、鼻の利く子は彼女たちが放つメッセージを上手に受け取り、巧みにからかい、約束通りのコミュニケーションを図り、高校生らしい速度で性的な経験を過ごした。彼女たちのメッセージを素直に受け入れることに抵抗を覚える賢明な態度を持つ男の子には、それでそれで惹かれる女の子がいるから、少々奥手ながらも十分甘い青春が待っていた。
タカオ君をはじめ卓球部のみんなはただただ鈍感であり、そもそも彼女たちからのメッセージを差し出されもしないタイプの人達だった。あからさまなメッセージは彼らの頭上を通過し、残り香すら嗅がされることはなかった。彼らが仕切りを使ってやっと拵えた卓球台二面程度の面積は良くも悪くも聖域であり、バスケットボールにもバレーボールにも当たる恐れはなかったけれどあまりに孤独で相手にされなさすぎた。たまにバスケットボールやバレーボールが中に入ってきたら、卓球部員の誰かができるだけそれに触れずに済むように、両手の指先10本を使ってでボールを摘まんで、肩から上へ持ち上げるのは無理、とでもいうような仕草で仕切りのそとにただ放り出した。向こう側には手を挙げてこっちへ放ってくれ、というジェスチャーをしている男子バスケ部がいることを私は知っていた。彼は卓球部員の誰かがボールを、扱いあぐねる小動物を放つように放るのを見て冷めたようにスッと腕を下げ、ダルそうに走ってこっちに来る。もう弾んでないボールを拾いあげて、それをコートの方へ放って、またあの一連の音が動き出すから、ああ、ゲームが止まっていたのだ、ということに気付く。ボールのやり取りもできないぎこちなさに卓球部員のみんなも気づいていたけれど、彼らはみんな頑なに卓球台の方に向いてバスケットボールに比べればあまり弾む音がしないピンポン玉を打ち続けた。私はそんな聖域の内側にいた。内側にいたから彼らにも少なからず差し出していないメッセージを勝手に受け取られることがあった。彼らは鈍感だけど、自らのスペースに入ってきたものに対しては傲慢と言って良い態度で都合の良い解釈をする癖があった。


5/7

聖域にいながらバスケットボールが跳ねる音を聞く女の子で、複雑なメッセージを放つ女の子に囲まれて生きているジュンにとって私は不可解だった。彼女たちの文法に照らし合わせても私はバスケ部の中の誰かが好きに違いなく、だからこそ遠くから見ているのであり、そんな、私が差し出したつもりのないメッセージは伝言ゲーム的に伝わっていた。バスケ部の誰かではなく、ジュンが思いを寄せているある男子部員のことが好きなのだと思い込む。私はジュンのライバルというか横取りを目論む図々しい人間に見えていて、だからジュンは卓球部の方にバスケットボールが入るのを嫌った。私もたまにボールを拾って、バスケ部の方に投げ返していたけれど、卓球部員に比べると器用にこなせるそういうコミュニケーションですら、ジュンにとっては脅威なようすだった。ジュンこそがバスケ部の男子目当てでマネージャーをしているのに、しているからこそ、男子が目的で体育館にいる私が許せなかったらしい。私とジュンは日ごろからそれほど話す仲ではなかったし、話せば別に仲が悪いわけでもなかったけれど、私の謎に体育館にいること、そういうときの私には敵意がむき出しだった。
ジュンは焦るように意中の男子に告白、その後の高校生活と、大学生活の前半をその男子と恋人同士として過ごしたらしい。大学を卒業して第一次結婚ラッシュ(と言っても三人立て続けに結婚しただけだけど)の折、ジュンが太って現れた。小さくて丸いお尻の痕跡はなく、かつて身近な女子全員に褒めそやされたお尻は、袋詰めした白菜みたいな迫力を持ってドレスに包まれていた。披露宴の喧騒に紛れて私の隣のかつてのクラスメートがいろいろ教えてくれた。高校大学と付き合っていたあの男子部員とは彼の浮気が主な原因で酷い別れ方をしたらしいこと、太ったのは何か婦人病みたいなもののせいらしいこと。腫瘍的な?と聞けば、ホルモンの影響でどうこう言ってた。顔にはたくさんの吹き出物ができていて、厚く化粧をしている。今日の披露宴が終わったらすぐに化粧を落としたいはず。あんなに厚塗りしてたらね、息苦しいよねと私の隣の子は言った。二次会は多分来ないよジュン、来れないでしょ、とさも当たり前のことのように言う彼女に何となく追随してうんうん言ってたけど予想に反してジュンは二次会に来た。会費3500円だってと言って私に急に話しかけてきて、成り行きで近くの席に座ることになった。彼女は変わっていた。小さいお尻がなくなっただけでなく、好きな男の子のためにバスケ部のマネージャーになる控えめでいながら健気なアピールをする女の子じゃなくなっていた。太って、吹き出物に悩んで、私のことを羨む子になっていた。あの頃の体育館での敵意をそのままに、教室とか、別の場所で話すときの普通さを装って、それを混ぜ合わせて近寄ってくる子になってた。結局同じ人なのかもしれない。
そんなことを彼女の隣で考えてると、高校時代のことを思いだした。
ジュンが女子バレー部のユニフォームを着たら男の子の劣情を駆り立てることができるお尻だったということはみんな知ってたからそう勧める話をすると、本人はバレーなんかしたらお尻が大きくなるから嫌だと言った。女子バレー部の誰かの前で咄嗟に言ってしまったから重い空気が流れた日のことを思いだした。その女子バレー部の子も同じ披露宴に出ていて、二次会では席は違うものの視界に入る位置にいた。その子はスーツを着た男性に囲まれて、かつて、確かに逞しかった足腰は女性らしい繊細なラインを描き、ドレスが良く似合っていたし、卑屈なところが一つもなくて、3500円の会費を一番無駄なく使えているようだった。ジュンは自分の身体で私を追いこむような形で壁際の席に私を誘導し、楽しそうなあの子の方に間違っても私が行かないようにしているように見えた。私は卓球部の聖域のことを思いだした。卑屈な聖域。活発なやりとりを阻むこころ。
ジュンは、高校当時から今まで私と付き合い続けているタカオ君のことを指して、浮気の心配とかしなくて良さそうで羨ましいみたいなことをしきりに言った。あまりしつこいから、モテるタイプじゃないしね、確かにそんな心配はないかもと私は言った。浮気なんてできたら逆に褒めたくなるかもと余計なことまで言った。いいよね、私もタカオ君みたいな人にしとけば良かった、と言ったジュンの口ぶりにはたくさんの毒が含まれていて、そういうこと言ってるから吹き出物できるんじゃないの?ホルモンぐちゃぐちゃなんじゃないの?と言い返したくなったけど自重した。わたし、あんたもタクヤのこと好きなんだとずっと思ってたさ、と急にカミングアウトしてきた。もしあんたがタクヤと付き合っていたら今頃私みたいになってるはずだ、と言いたそうだったし、その気になりさえすれば、自分がタカオ君と付き合えたはずだと言いたそうだった。タクヤって誰だと思いながら、そのいずれのメッセージも全部無視した。不愉快なデブだと思った。なのにジュンは私と腹を割って話せる機会が来たと勘違いして、あのときなんで体育館来てたの?ぶっちゃけあの頃から杉崎のこと好きだったの?とタカオ君のことを名字で呼ばれることすらうざったく思うほどジュンのことが嫌いになっていた私に言った。私は真実を話す気にもならなければ嘘を話す気にもならなかった。何より、その質問を何度もタカオ君に聞かれていたこと、今日のジュンが不快だった話をできればしたいけど、そうすると彼もその当時のことを話し出すと決まっていることにうんざりした。誰にも話が伝わらない私はお祝いムードのはずの喧騒の中でとても不幸で、ここにいたくなければ帰りたくもなかった。


6/7

小学生の頃、同郷のお友達とバスケをするのが楽しかった。やさしいお兄ちゃんたちは私にそっとボールを投げ渡してくれて、受け止め損なっても誰もボールを奪い取ったりせず、私がそれを拾い上げて、タンタンとつくと、ほらこっち、と言って両手を広げるから、そこにボールを放るのが楽しかった。あの日の記憶が尾を引いて、私はバスケットボールが跳ねる音が好きなのだけど、私が言ってる総和というのはバスケ部でも再現できず、仲の良かったユラギとも再現できなかった。あのときのメンバーで、あの頃と同じような拙さでまたボール遊びがしたいな、と思ったけれど、もうみんなバラバラだし、私は普通にボールがつけるし、あの頃はもう二度と帰ってこないから私は悲しい。私がバスケットボールが跳ねる音が好きだ。バスケットボールが跳ねていて、同じボールを追いかけてる同士でしか伝わらない声があって、シューズが床を擦る音が響くあの総和が好きだ、ということを共有できる人がいなくて辛い。そんなことをタカオ君に言って、そのときのお兄ちゃん的な人が好きだったとか?と言われそうなことが本当に切ない。彼はあの狭い聖域の中で、誰もが気になっていた変わった女子である私と付き合えていることに誇りを感じ続けてる。彼はあの冴えない卓球部員の中で、女の子に縁もゆかりも無さそうな中で、一人だけ別のステージに引き上げてくれたという点で私を離したくない。どころか、バスケ部の男子を差し置いて私をものにしたことに傲慢と言って良いほどの勝利感に酔っている。私は彼の勲章になっているから彼に大事にされる。夏休みのラジオ体操で皆勤賞を獲ったときにもらえる紙のメダルくらいのそれを大事にしているのがキモい、と思いながら大事にしてくれるから一緒にいる。この辛さをジュンに伝えたら仲良くなれたかもしれないけれど、彼女にこの話が伝わると思えなくて、私の素直を受け入れる隙がなくて醜い、と思う。
醜いな、キモいな、と昔に比べて簡単に思えるようになった私は心が痛くなることがある。どうしても楽しい気分になれなくて、もうこれからずっと、今日からずっと、苦役に耐え続けなければならないような思い込みに捉われることがある。そんな話をして鬱かもしれないと言われるのが辛い、と言える友達がいない。心が開けないから外に出ればみんなが敵に見える。みんなが自分の方を悪意を持って笑いながら、もしくは信用できないと言わんばかりの目で見つめている気がする。もう安心の中に包まれることはないと思う。昔に戻りたい。意味もなく、だから誤解もなく、ただボールのやり取りができた日に、一日だけで良いから戻れたらと思う。


7/7

世界には伝わらない不幸がいくつもあると思う。
口に出した途端に曲げられてしまう願望は、あの日卓球部員の誰かがやっと仕切りの向こうに追いだしたバスケットボールのように、誰のところへも向かわずに虚しく跳ねている。ユラギがバスケットボールに触らなかったことを何度も思いだす。あの頃はすごく仲が良かったのに、最近は連絡もろくに取らない。連絡を取っても全然盛り上がらない。あの日どうやって体育館に誘ったんだっけ。意味の分からない理由で体育館に誘うより、今少しお喋りしようって食事に誘う方がずっと簡単なはずなのに、そんなことができそうにない。
妊娠した頃から、毎日のようにこんなことを考えてる。昔のことを懐かしがって、無暗にイラついて、なんでもかでも後悔するような気持ちになる。
この端っこだけでも人に話したらマタニティーブルーだと言われる。
タカオ君の前で弱音を吐けばマタニティブルーだと言われる。
誰にも話せないことが増えていく。
秘密にしたいんじゃなくて口にした瞬間に違うものになってしまうのが嫌で黙る。
私は私の感じ方と経験を信じたいのに、他の誰も私が感じたいように物事を理解してくれない気がしてとても孤独だと思う。
この世界で生きるのはけっこう面倒臭いよと私はお腹の子に言っている。
この子が生まれた瞬間にこの子の世界が生まれると誰かに言ってほしい。
この子の世界は私のいる世界とは違うから、私がこの子の言ってることもやってることも分からなくても、この子は大丈夫なのかもしれないと思いたい。
タカオ君は幸せそうだから、どうかあなたも鈍感で、どうかあなたは憎まずに、と私は願う。この子を産む私は痛がって苦しんで、伝わらずにまた、自分の世界を憎んでしまうかもしれないけれど、この子の世界がちゃんと機能しますようにと願う。

いただいたサポートは本を買う資金にします。ありがとうございます。