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千と千尋と娘と家族

最近の娘のブームは「千と千尋の神隠し」。

VHSで言うところの「テープが擦り切れるぐらい」見ている。
お気に入りは、番台が電話するシーンと、銭婆の外灯がぴょんぴょん飛び跳ねてお出迎えするシーン。

動きと音が楽しいらしい。

僕か妻が一緒にいる時に見ているので、当然僕たちも何回も一緒に見ることになる。

「千と千尋の神隠し」で何度も分からなかったところがある。

ハクだ。

なぜハクのことを、コハク川だと分かった瞬間に、全ての呪いが解けたのか。


その疑問を解決し、一緒に見ている娘との関係性を炙り出してくれた本があった。

「世界は贈与で出来ている」

千尋とハクの関係

「千と千尋の神隠し」については、日本で一番映画館で見られた映画になるのであらすじは省略させてもらう。

今回扱うのは、なぜ千尋がハクのことを「コハク川」だと気付いたことで、千尋の両親は豚から人間へと戻り、ハクは湯婆婆の呪いから逃れることができたのか。

千尋は、小さい時にコハク川で溺れたところをハクに助けられた。
しかし、そのことをずっと忘れていた。

ハクは、本書でいうところのアンサングヒーローだった。

何も起こらない日常を僕らが享受しているという事実

何も起こらなかったから、忘れられていた。助かったから忘れていた。


千尋は、物語の終盤でハクの正体がコハク川だったことに気付く。

幼少の時、ハクから”既に受け取っていた”贈与に気付く。贈与に気付くことで、千尋は湯婆婆が支配する不思議な世界から現実世界に帰ることができた。

ハクも湯婆婆の支配から逃れることができた。


アンサングヒーローの見えざる贈与に気付いたことで、千尋は贈与の”受取人”になった。受取人が立ち現れたことで、ハクは贈与の”差出人”となった。

受取人が存在したことを思い出したことで、差出人であるハクは自分の人生を生きることが出来るようになり、また差出人に気付いたことで、千尋は現実の世界を生きることが出来るようになったのだ。

「千と千尋の物語」は、千尋が贈与に気付くことで成長する物語であり、
差出人だったことに気付くことでハクが自分の人生を歩めるようになる物語だった。

「千と千尋の神隠し」と娘と僕の関係

まだ2歳の娘は「千と千尋の神隠し」の物語の意味は分かっていないだろう。不思議なキャラクターがぬるぬるっと綺麗なグラフィックで動くのが楽しい様子できゃはきゃは笑ったり、カオナシのものまねをしている。

意味は分かっていないかもしれないが、娘が見ているのは紛れもない「贈与の物語」。

平和に一緒に「千と千尋の神隠し」を見れることが自体が、大きな贈与の物語になっている。

贈与を受けている状態で、贈与の物語を見ている二重構造。
そうであることに気付かせてくれたのが、この本だった。

これまで命を繋いできた先祖や家族、「千と千尋の神隠し」を作ったスタジオジブリ、配給した会社、テレビを作った人たち、上げだしたらキリがない贈与の世界で、贈与の物語を見ている。

「世界は贈与で出来ている」は多重メタ構造を気付かせてくれる知性をもった。
気付いてしまったら、もう元にはもどれない。

千尋は自分の世界に戻るしかないのだ。
気付いてしまったのだから。

娘と「千と千尋の物語」を見ている幸せな時間は、きっと僕ら夫婦から娘への贈与であり、娘から僕たちへの贈与である。

受取人である娘は、まだ気付いていない。

それでいい。

いつか将来このnoteを読む日が来るのか、自分で気付くのかは分からないが、今贈与の二重三重のメタ構造に気付く必要はない。

将来いつかこの構造に娘が気付くことがあれば、娘はきっと僕らの手を離れていく時だと思う。

そして、同時に僕たち夫婦は子離れが出来て親としての役割の1つを終えるのかもしれない。

それまでは、

「何も起こらないこと」が1つの「達成」であると認識

し、宛先がある幸せを噛みしめて子育てをしていくのだろう。

#キナリ読書フェス


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