「2016年参院選を前に――見当識と素材を取り戻すための自主ゼミで学んだこと」

2016年6月30日

「見当識と素材を取り戻すための自主ゼミ」

水谷 八也 + 清田 隆之


大日本帝国憲法と日本国憲法

 7月10日の参院選を前に、これまで経験したことのない焦りに駆られて、これを書いています。憲法を変えたがっている政党は、この選挙で改憲を争点にはしていないため、憲法問題がぼやけている現状ですが、彼らが2/3以上の議席を取れば、自分たちが思い描く改憲案を、昨年の9月に行ったような状況下で押し通すであろうことはほとんど想像力のない人でもわかりきったことです。では、彼らの改憲の何が問題なのでしょうか。少しだけ歴史をひもとけば、その問題点がはっきりと見えてきます。ここを押さえれば、選挙に行くことの重要性が見えてくるのではないかと思います。少し長くなるかもしれませんが、今年の4月から始めた「見当識と素材を取り戻すための自主ゼミ」で学んだことを基盤に、ひとまず日本の憲法のことに関して私たちが思っていることを書きます。

 日本はこれまで二つの憲法を持ってきました。ひとつは1945年の敗戦までの「大日本帝国憲法」と、もう一つは敗戦の翌年、1946年に公布された現行の「日本国憲法」です。この二つの憲法には大きな差があります。この差を歴史的に考えていくと、現在の日本の現状が少し見えてきます。そもそも「憲法」とはどのような意味なのでしょうか。「憲法」は英語で言うと、 Constitution ですが、この単語を英語の最も権威あるOxford English Dictionary(OED)で引いてみると、私たちが現在「憲法」で意味しているものを指す定義が7番目に出てきます。そこには明確に「国、州、あるいは政治体が組織され、統治される際に、それらの国、州、政治体が従うべき基本原理の体系、あるいは集合」と定義されています。これはいわゆる「近代憲法」と言われるものに対する定義であり、憲法は国が従うべき根本原理であることは、近代憲法を持っている国であるならば、常識であり、その考え方が国の根幹になければなりません。

 さらにOEDの定義で注目すべきは、この7番目の項目の最後の付記です。そこには、この意味は1689年から1789年の間に、次第にできあがってきた、ということがわざわざ書かれています。1689年は名誉革命、そして1789年はフランス革命です。なぜこの二つの革命がわざわざ「憲法」の定義の中に書き加えられているのでしょうか。このことは近代憲法を定義する上でとても大きな意味を持ちます。名誉革命は英国の話ですが、英国では国を治めるのがかつては神からその権利を受けていた国王でした。しかし清教徒革命、王政復古を経て、ついに1689年の名誉革命で、その国王の権力は議会の下に置かれるようになり、国王の権限はそれ以前(中世)に比べると著しく限定されています。この名誉革命において制定されたのが「権利の章典」で、国王の権力を抑えて、国民、市民の権利を明確にしています。さらにフランス革命では、「人権宣言」(「人間と市民の権利の宣言」)が出され、その第一条では「人は、自由、かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と明記され、「人」は「個人」として認識されています。OEDはこの二つの年号を出すことにより、人々がこの100年の間に、国王の権力を制限し、議会をその上に置き、さらに徐々に国民、市民の権利、つまり「個人」の権利を確立していったことを重視しているわけです。この付記を加えることにより、OEDは、近代憲法が国家の権力を縛り、個人の権利を守るという方向性を持つものであると定義していることになります。

近代化ではなく「王政復古」だった明治維新

 さて、日本の二つの憲法をこのOEDの定義に照らし合わせてみると、どんなことが見えてくるでしょうか。大日本帝国憲法の第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、第三条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とありますから、天皇が主権者であり、そこには近づくことさえできないことが最初の方に書かれています。また条項の始まる前の告文、憲法発布勅語、上諭などで、何度も臣民たる国民は天皇の計画に同意し、それを扶翼することが求められています。国民(臣民)と天皇の関係は明白であり、大日本帝国憲法には個人に関する記述はほとんどありません。このことは大日本帝国憲法を考えるうえで、とても重要なポイントだと思います。OEDの定義7の付記で書かれていた100年間に徐々に獲得された個人の権利は、大日本帝国憲法には入っていないということです。「明治維新」を英語ではMeiji Restoration と言います。Restorationは「復古」という意味ですが、西洋史でRを大文字で書くと、これは1660年の英国の王政復古を意味します。英国ではこのRestorationに王権神授説に基づく国王が、つまり神との関係を前提とした国王が王座に戻ってきたわけですが、名誉革命を経て、英国の政治をつかさどる中心は議会へと移り、本格的な近代化が始まりました。つまり、近代化とは王政から民政へと政治の形態が変わる過程であるわけです。日本では近代化が始まるのが明治維新であると考えがちですが、明治維新=Restorationはある意味で「王政」が戻ったわけで、基本的な部分で近代とは程遠い状況にあったと言えます。

 また大日本帝国憲法下の日本では、学校に入ると教育勅語(1890)を学び、暗記させられました。勅語とは、天皇から臣民に下された言葉であり、これはありがたく受け取るしかないものでした。この教育勅語には十二の徳目が上げられていて、その一つ一つは道徳的なものであり、良識的なことが書かれていますが、しかし、忠孝でも、下から上に従うという構造を延長していけば、最終的には臣民すべてが天皇の赤子であり、その忠孝は天皇に収斂されていきます。そしてその教育勅語の一番最後に出て来るのが、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン」という一文です。つまり、いったん国に危機が迫ったら、国のために力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えようというもので、その前に書かれた徳目も、最終的にはこれを実現するためのものとも考えられます。

 そして大日本帝国憲法下では、徴兵制が布かれていましたから、軍隊に入ると「軍人勅諭」(1882)が待ち構えていました。ここでも教育勅語とは齟齬をきたさぬ忠孝の精神が貫かれ、もっと明確に軍隊が天皇の指揮下に置かれており、「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」と書かれている通り、その忠義の重さと、一人一人の軍人の命の軽さが明記されています。他にも教育勅語とは異なり、国のため=天皇のためには命を懸けろ、という意味のことがいくつか出てきます。この教育勅語、軍人勅諭はどちらも天皇が臣民に与えた言葉であるので、大日本帝国憲法の精神にピタリとはまっているわけです。

 そして1941年、陸軍大臣東条英機の名で「戦陣訓」が軍人に与えられます。これは天皇が直接下した言葉ではありませんが、その発想は軍人勅諭をさらに強化、鋭利にしたもので、この中には異様なほど「死」を恐れてはいけない、むしろ、進んで死地に着け、という半ば命令のような文言がいくつも出てきます。「玉砕」ということばで語られることになる全滅や、あるいは軍人の全戦死者の60%が南方などの戦地での餓死や病死であることの根底には、戦陣訓の精神が根付いていると言えます。戦陣訓はもともと軍人に向けてのことばでしたが、1945年の沖縄戦では、住民にも浸透しており、全く不条理としか言いようのない住民を巻き込んでの戦闘や集団自決などはこの戦陣訓との関連なしには考えられないと思います。現在の基準からすれば到底理解不能なおびただしい戦争中の無惨な「死」は、教育勅語、軍人勅諭、戦陣訓などに貫かれた「忠義の前に国民の命など鳥の羽根にも価しない」という考え方が決定的な引き金になっていると言えるでしょう。そう考えなければ、「玉砕」「特攻」「集団自決」と、なぜあのようにたくさんの人たちが「死」を選択できたのか、わかりません。そしてそこには「個人」という概念は一切ありませんでした。基本的人権はそこにはなかったのですが、それは「戦争であったから」ではなく、大日本帝国憲法が国の根本にあったからに他なりません。大日本帝国憲法下の日本では、近代憲法に備わっているはずの個人の人権は一切認められていないわけですから、戦前の日本はいまだ近代以前の状態であったと言えます。

憲法は国家のOS(オペレーション・システム)

 教育勅語、軍人勅諭、戦陣訓はそのおおもとに大日本帝国憲法があるからこそ可能であったと言えます。憲法の英語、Constitutionはもともと「構成・枠組み」という意味があるわけですが、憲法は国の基本的な構成を示すものであり、司馬遼太郎の言い方を借りれば、「国のかたち」そのものであるわけです。その憲法を土台とし、その上に様々な法や規則が作られています。言ってみれば、憲法は国家にとってのOS(オペレーション・システム)であると言っていいでしょう。OSなので、国家の活動範囲、国にできることがすべてそこで規定されています。また逆に言えば、そこで規定されていないことは、することができないし、そもそもその発想すらないということになります。そのように考えてくると、先ほど説明した教育勅語、軍人勅諭、さらにその延長線上にある戦陣訓はすべて大日本帝国憲法というOSの上で展開されていることであり、今から考えると全く狂気の沙汰としか思えないあの敗戦ぶりは、大日本帝国憲法というOSだからこそ可能になったのだと言えるのではないでしょうか。

 さて、日本は1945年7月27日に受け取ったポツダム宣言をなかなか受け入れることができませんでした。国体護持にこだわっている間に、広島、長崎に原爆が落とされてしまいます。7月中にポツダム宣言を受け入れる方向を明確に打ち出していれば、2発の原爆は投下されていなかったかもしれません。国体護持にこだわるのも大日本帝国憲法をOSにしている結果であると言えるでしょう。しかしそのOSも8月15日に停止され、翌年、1946年の正月に、昭和天皇はいわゆる「人間宣言」をします。この宣言は重要です。これはそれ以前、戦前、戦中においては、天皇は「人間」ではなく「神」であったということを改めて思い起こさせる出来事です。大日本帝国憲法から日本国憲法へと変わるその節目で、天皇が神との関係を否定したこの宣言により、日本はやっと近代へと向かうことが可能になったのだと思います。

人類が多年の努力で獲得してきた「個人」という概念

 そして「日本国憲法」が日本にとっての新しいOSとなりました。日本という国家ができることはすべてこのOSに組み込まれています。このOSは大日本帝国憲法とは異なるわけですから、当然、旧憲法で当たり前にできていたことはできません。また逆にこの新しい憲法の下で当たり前にできていることは旧憲法ではできませんでした。その最たるものが、平和の維持であると思います。細かな点では、たとえば9条の解釈を巡り様々な矛盾を抱えつつも、昨年、2015年9月19日までは、日本国憲法というOSの上で曲がりなりにも平和を維持してきました。もう一つ新憲法の中で、旧憲法と根本的に異なるのは、個人の基本的人権が明確に書き込まれていることです。この憲法を作った人々はこの部分の意味をきちんと歴史的に踏まえていたと思われます。それは日本国憲法の最後の章を見れば明らかです。そこにはこう書かれています。

第十章 最高法規  第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

ここに書き込まれている「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」という文言には、OEDの”constitution”の定義7の最後の付記にあった名誉革命からフランス革命に至るまでの100年間に基本的人権を獲得してきたこと、その歴史的事実に対する敬意が見て取れます。人類が獲得してきた知的財産への敬意です。現行の日本国憲法は主権在民を明らかにしている点でも、またこの最後の章からも明らかなように、さらに天皇の「人間宣言」の後に発布されたことも、この憲法がOEDの定義7にある明確な近代憲法であることの証になると思います。

画像は『あたらしい憲法のはなし』より引用


世界史の流れに逆行する自民党の改憲草案

 しかし、現在、自由民主党が公表している憲法改正草案は、この歴史をまったく無視し、明確に歴史に逆行するものとなっています。そして人類の歴史的意味をきっぱりと否定しています。この態度はかなり徹底しており、現憲法の13条「個人の尊重」において「全て国民は、個人として尊重される」とあるのを、その「個」をわざわざ削除し、「人としての尊重等」とし、「全て国民は、人として尊重する」というように書き直されていることからもわかるように、彼らはかたくなに「個人」を認めようとはしません。当然彼らの改正草案はOEDの憲法の定義には合致しないものとなっています。改正草案においては、家族を大切にするなど、国民が「…しなければならない」というように、国ではなく国民が守るべき事柄が列記してあり、近代憲法から大きく逸脱していることがわかります。

 自民党の改定草案は近代という世界史が成し遂げてきた遺産の意味をほとんど理解しないまま真っ向からそれを否定しています。そして大日本帝国憲法に近いものを作ろうとしています。彼らが昨年9月に安保法案を暴力と記録も残せないようなずさんな形で強引に押し通したことからもわかるとおり、彼らがこの選挙で勝利した場合、今年の秋には憲法に本格的に切り込んでくるでしょう。そしてその結果、大日本帝国憲法をOSとしていたときの無惨な結果と同じような結果を出してしまう可能性を孕むものを、強引に押し通そうとするでしょう。

 憲法は国にとって重大なOSです。このOS次第で、国の形、様相は一変します。今一度、大日本帝国憲法下で可能になってしまった惨状を思い出すべきです。私たちに今一番ホットで簡単に思い出させてくれる、あるいは新たに学ぶことのできる事例は1945年の沖縄戦だと思います。昨年8月にNHKが素晴らしいドキュメンタリー『沖縄戦全記録』を放映しました。そしてその映像は現在ネット上で見ることができるだけでなく、NHKはこの番組の特設ページを作っているようです。これをぜひ見ていただきたいと思います。軍隊は一般市民を守るどころか、市民を利用し、市民を巻き込み、極端な場合には殺害しています。沖縄戦では実質的に勝敗が決定的になった後で、沖縄戦での日本人の犠牲者の約60%が死亡しています。ほとんど勝敗が決まった時に、なぜ日本は降伏できなかったのでしょうか。なぜ、多くの市民が集団自決、あるいは単独でも自決をするような事態になったのか。やはり大日本帝国憲法というOS、さらにその上に積み重ねられた軍人勅諭、戦陣訓により、日本人の目指すべき方向が決定づけられてしまったからだと思います。そこに「個人」という発想はありませんでした。

 最近、自民党の政調会長のことばが話題になっています。「国民主権」「基本的人権」「平和主義」をなくして初めて自主憲法ができるというものです。彼らの考える自主憲法は、世界の歴史、世界の歴史の中で見る日本の歴史から何も学ばずに、自分たちが抱く妄想にのみその根拠を置いています。事実を語るのに、妄想を持ち出されては話がかみ合うわけがありません。それはどう考えても、「憲法」ではありません。

 7月10日の参院選は、確実にこの現在の憲法を壊すか否かの選択になります。長々と書いてきたように憲法は国にとってのOSです。ここで世界の歴史をまったく無視した偏狭な国家観で歴史を逆行させるようなことがあれば、1945年の惨状を再び招く可能性を内蔵するOSを国の根底に置くことになってしまいます。それを避ける選択をすることは、先の大戦で命を落とさざるを得ない状況に追い込まれた方々の無念を思うときに、ほとんど義務であるような気がします。投票しないことは、現状を認めることであり、改憲の流れを後押しするのと同じことです。

 どうか7月10日の選挙には必ず参加し、歴史をよく考えた上で投票しようではありませんか。また、この文章に賛同をしていただけるならば、どんどん知り合いの方々に転送して、少しでも投票率を上げましょう。