人生の棚卸 1:きっかけ、生まれてから育った環境と家族について

きっかけ

32歳の夏、私は7年間の会社員生活に終止符を打った。

ある日突然、会社に行こうと思うと体調が悪くなり、何もできなくなってしまったのだ。こんなことは初めてだった。

色々考えた結果、私は会社をやめた。

でも当時は、なんで体調が悪くなってしまったのか、会社をやめる必要があったのか、私は原因がわからなかった。

自分のことなのに、分からない。それは、なんだかすごく、もどかしい気持ちになった。

私は、自分のことをあまり理解していないのではないだろうか。

会社を辞めて、時間はたっぷりあったので、今までの人生を振り返ってみることにした。

それが、人生の棚卸。

こんなこと、意味があるかなーと思って始めたけれど、これが意外や意外。改めて今の自分の価値観はどんな風に形成されてきたのか、はっきりと理解することができた。

32歳の私。人生の棚卸をして初めて、「自分の軸」を認識できたのだ。

ここからが、私の人生の本当のスタートだと思った。

もしよかったら、私の人生の棚卸にお付き合いください。


生まれてから育った環境と家族について

神奈川県横浜市出身。はまっこ。
両祖父母が車で30分以内の場所に住んでいたので、
田舎というものに憧れがあった。

家族構成は、父、母、妹、(中学生以降は2世帯住宅)祖父母、叔母。

父は、中高校の化学の先生。小さい頃、私がわからない事は分かるまで根気強くおしえてくれた。家事・育児に協力的。朝夕は夫婦で料理をしたり、掃除も一緒にやっていた。買い物や映画など、どこに行くのも母と一緒に行動していて、私はその姿が良いなと思っていた。

母は、公務員として歯科衛生士の仕事をしており、金銭的にも精神的にも自立している。切り替えが早い性格で、大きな問題が起きてもイライラせず、現状を受け入れ、前向きに対処していく。母親としても妻としても暖かく、偉大だと思える存在。

両親は、子供である私達に喧嘩をしている様子を見せた事がなく穏やか。
ただ、両親ともに心配性で、リスクを取らない人生。安定した生活・人生を良しとしているため起業とは無縁だった。

妹は2歳下。私とは対照的で根が明るく、交友関係も広く愛嬌がある。
母親と同じ歯科衛生士の仕事についている。


私は、小・中・高・大(初期)までは、両親の敷いたレールの上を進んでいたと思う。
・小学生の時、自然溢れる環境に憧れて、田舎にある全寮制の小学校を希望したが希望は叶わなかった。
・地元の共学の中学校は不良が多いとの噂があり、私立の受験を薦められ、気が乗らなかったが私立の中高一貫女子校に入学。
・中高美術部だったため、美大を志望したが、将来仕事につけないかもしれないので、ダメと言われ安定した薬剤師の資格が得られる薬学部に入ることを進められる。
・1年浪人の末、薬学部に入学したが、本当に合わなくて1年目に留年が決まる。この1年は家中の花が枯れた。


ここで初めて両親の敷いたレールから外れた人生を歩むため、私はリビングのテーブルをひっくり返して、「もう無理!やめる!」とキレてしまう。
そして、薬科大学をやめて美大に行くと宣言。

一人暮らしでアルバイトをして美大のお金を稼ぐと言ったら、絵画(油絵などのアーティスト)では食べていくのは難しいだろうから、デザイン学科ならば仕事もあるだろうし、学費も出してあげると言われた。

当時、デザインをよくわかっていないが、薬学部に居続けるよりはいいと思い志望をデザイン学科に変更。
1年予備校に通い、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科に入学。
大好きな美術の世界に飛び込めて、ここからが私の人生だと感じた。
不思議な事に、美大に通い始めてから、家中の枯れていた花が再び咲き始めた。


次は、小学生の頃の思い出編です。


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井上桃子

第一章:人生の棚卸 〜私のこと〜

32歳になって、はじめて自分とちゃんと向きあった。その時に考えたことをメモとして残しておこうお思う。
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