人生の棚卸10:振り返り

時系列で振り返ってみる

モヤモヤの正体がわかってから、会社を辞めるという行動に移すまで、約1ヶ月。面白いことに、この1ヶ月は、RPGのように気になった人に会いに行くと、次に会うべき人に繋げてもらえた。

2017年6月13日 一人目:菊地さん
2017年6月26日 二人目:ちえこ堂
2017年6月30日 三人目:豊川神司さん
2017年7月12日 友人一人目
2017年7月14日 友人二人目
2017年7月14日 四人目:スピリチュアル整体
2017年7月28日 友人三人目、四人目
2017年7月31日 五人目:魂の声

私は、主に占いとかスピリチュアルに頼ったけれど、人それぞれ色々な方法があっていいと思う。こんなことをしなくても自分の軸を見つけられる人はたくさんいるだろう。

でも、私はこんな方法で、自分らしい生き方に向き合うことができた。


自信がない事はしない

会社を辞めると伝えた時に、ある人に言われた言葉が印象的だった。

「自分が作るデザインにもっと自信を持ってもらいたかった」

薄々感じてはいたのだが、私は自分がつくる「デザイン」に絶対的な自信を持てないでいた。

なぜだろう。

これも、働いている時は気づかなかったのだが、改めて人生の棚卸をして気が付いた。

私は薬科大学を辞めて美術大学に入る時、当初の希望の「油絵などのアート的な学科」ではなく、「視覚伝達デザイン学科」という、「デザイン」を学ぶ学科に入った。(アートとデザインは違うのです)

私の中では両親の「美大でも、将来仕事があるデザイン学科なら安心」という言葉がずっと心の何処かにあった。

会社員としてデザインを仕事にしていけば、お金も稼げて両親は安心すると勝手に思い込んでいた。しかし、実は私はこのグラフィックデザインにずっとコンプレックスがあった。

大学に入学するまで、グラフィックデザインに触れてこなかったこともあり、同じ学科の友人たちより、知識や実力が不足していると感じていた。

それでも、何年もデザインに携わっていることで、デザイナーが使うツールも使えるし、デザインのプロセスも頭では理解し、一定のクオリティのものを作ることはできた。

でも、根本的な「私はグラフィックデザインが他の誰よりも好きで得意だ」という自信がなかった。

その事実に蓋をして、最先端の知識という装備をつけることで、高いお給料をもらうようになってしまった。ある時、自分のお給料に、自分の自信がついていけていなかったことに気づいたのだ。お世話になった会社、同僚には、本当に申し訳ないことをしたと思っている。

「私、グラフィックデザインがあんまり得意じゃなかった。」

会社を辞めた後、その事実をやっと認めることができた。本当に私は自分のことをわかっていなかったのだ。

その事実を、認め、受け入れようとおもった。得意じゃ無いことはもうやらないようにしよう。そう決めたら、今まで感じていたストレスが全くなくなった。

ロゴも作ろうと思えば作れる。作ったロゴを喜んでもらったこともある。でも心の何処かで、私より上手な人はいっぱいいるから、そんなに喜ばれても恥ずかしい、、、と思っていた。でも、そんな気持ちで仕事に向き合ってはいけない。そう思い、フリーランスになったとしても、クリエイティブを求められるようなデザインの仕事を引き受けるのはやめよう。そう決意した。

思い返してみれば、私は自分が描く「イラスト」に対しては、SNSや人前で「見て見て!」と言える。

ただ、自分が作った「デザイン」は「見て見て!」と言えないでいた。なんとなく恥ずかして、見せたいという気持ちにならなかったのだ。

小さい時から、息をするように描いていたイラストと、生きていくために身につけたデザインとでは、深層心理でこんなにも差があった。

今回の人生の棚卸を通して、自分の無意識にしていた行動などが全て腑に落ちた。

頭で理解していなくても、行動は意外と素直で、しかも答えはいつだって自分の中にあった。それにきちんと向き合って、認めて、受け入れられるかどうか。それだけなんだと。一度できてしまえばなんてことは無いのだが、32年間、ずっとできなかった。それもまた事実。

今やっと、私は自分の気持ちに素直になって、自分を甘やかして生きている。お金を稼ぐためのデザインの仕事はまったくやらず、自分が本当に楽しいと思うことしかしていないのに、1年経って自分が今まで遊びだとおもっていた事が、きちんと仕事になってきている。

これを読んでいる方は、私のことを知っている人がほとんどだと思うのだが、知らない人のために少し説明をすると、、

てとてと という夫婦ユニットでは、ホームパーティーを企画して料理やテーブルコーディネートの写真を撮って発信したり、夫婦でお揃いの服をきて記念撮影をしたりしている。楽しいことを夢中になってやっているだけなのに、仲間も増えたし、仕事の依頼、取材が来るようになった。

TETOTETO Inc. てとてとの活動の中で出会った人たちと商品開発やブランディングの仕事を一緒にするべく、夫婦で会社を作った。しかし、ここで私は一切グラフィックデザインをしていない。急遽必要になったチラシなんかは作ったりもするけれど、パッケージデザインやロゴなどは、私が尊敬する友人のデザイナーとチームを組んでものづくりを進めている。こうすることで、私は自分が得意なサポート業務に集中することができた。

しかし、これらすべて、実はデザインなのだ。ロゴをつくるだけがデザインではない。私が通っていた視覚伝達デザイン学科で学んだことは、まさにそういう事だったはずなのに、自分で謎のルールを作って、選択肢を狭め生きづらくしていたようだ。

もっと自由に自分の意思で生きよう。そう決めてからは、いかに自分が得意なことを活かして仕事にするかを考え、違和感を感じたら、やらない!という判断をするようにした。そんな意思決定が迷いなく出来るようになってから、私の人生は何をやっても楽しいし、活動も驚くほどのスピードで進化していった。

ちなみに心配性な両親は、当初はこんな生き方でやっていけるのかと心配をしていた。しかし、楽しそうな私のブログを見ているうちに、気持ちが変わってきたようだ。

「最近、桃子の顔が全然違う。本当に楽しそうにしている。」

父と母がそんな風に話しているのを聞いて、とても嬉しかった。

「桃子たちのやっている事は、本当に楽しそうで毎日遊んでいるように思えて、自分たちからは、それが仕事になっているなんて考えられない!だからこそ、凄いと思うし、次は何をやるんだろうか?と気になってしまう」

父からそう言われた時は本当に嬉しかった。自分が好きな事をやっていても、ちゃんと両親を安心させられたし、喜ばせることもできた。両親の考えに縛られてきたわけではなく、自分が窮屈な生き方を選択していただけだったんだと感じた。

こんな私でもできたのだから、同じように悩んでいる人がいたら、その人の力になりたいと思った。

今回、人生の棚卸をnoteにまとめたのは、そんな思いもあったのだ。

これからまた、生き方や考え方は変わるかもしれないけど、33歳の現時点での人生の棚卸しはこんな風になりました。

第一章:人生の棚卸 〜私のこと〜 はこれにて!
お付き合いいただきありがとうございます!


次は、
第二章:二人のこと 〜出会いから結婚までの物語〜 をお楽しみに!


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サポートいただいたお金は、夫婦でお揃いの服を買うために、使わせていただきます^^

頑張って書きます!
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井上桃子

第一章:人生の棚卸 〜私のこと〜

32歳になって、はじめて自分とちゃんと向きあった。その時に考えたことをメモとして残しておこうお思う。
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