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彼女は頭が悪いから 雑感

実際に東大生が起こした強制わいせつ事件を、直木賞作家が小説化したこの作品は発売当初から他人事と思えず、読まなくてはと思っていた。結局発売から1年近く経ってから読んだのだが、当時読まなくてはと思った直観は、やはり正しかった。

もちろん私は東大生でも東大卒業生でもない。強制わいせつ罪で逮捕された過去もない。

この物語を学歴社会だとか東大の傲慢さとかで論じてしまうと肝心なものを読み落としてしまう。

この物語をインターネット社会における正義とは何かを問いかけるものと論じてしまうと肝心なものを読み落としてしまう。

この物語をもとにセックスにおけるコンセンサス重要さを問いかけてもこうした事件は減少に向かわないだろう。

この物語は『泣いた赤鬼』の話であり、読後感が気持ち悪いのはラストで赤鬼が泣かず、「青鬼は頭が悪いから」と言ってのけるところにあるのだ。

この物語は誰かとコミュニケーションを取るすべての人が読むべき物語である。

東大生はモテるのか

東大生はモテる。間違いなくモテる。

ではすべての東大生が座っているだけで異性が寄ってくるかというとそういうことではない。そのギャップを埋めるにはモテるとはどういうことかということを考えなくてはならない。

モテるとは、関心を持ってもらえる、ということである。

「ダイバーシティと言えばいいですかね。東大生と知り合いたいというニーズのサプライには多様性があるわけですよ」(113頁10行目)

つばさが譲治と初めて会うシーンで譲治が言うセリフだ。ここでも書かれている通り、あるのは東大生と知り合いたいというニーズなのだ。決して付き合いたいとか、ましてセックスしたい、というニーズではない。

関心を持ってもらったあと、付き合ったりセックスしたりするに至るには各個人の不断の努力がかかせない。

その努力を棚上げして、東大生だからと言ってモテないというのはおかしな話だ。

エノキ茸のように、頭部だけが大きい彼の容貌は、およそ異性から好まれるところではなかった。それでも東大だと言えば、飲み会に誘えば、時間的に都合が合わない場合以外は断られたことはない。(224頁1行目)

作中、モテない象徴的に描かれるエノキにしてもこうである。入口の間口はとてつもなく広い。

ただし、座っているだけで異性とセックスに至る種類の人間もいることにはいる。でもその超モテる人がさすのは本当にスーパーマンのような者達のことなのでそういう人たちと自分を比べても仕方のないことだ。

星座研究会のメンバーで言えば、和久田や譲治は超モテるに入るかもしれない。

はじめはダーツだとかボウリングだとかドライブだとか文化祭だとかスポーツ観戦だとか、4人くらいでの行動があって、それから2人での映画とか音楽系ライブがあって、それから2人でのカジュアルな(カジュアルな価格設定の)居酒屋があって、それから2人でのフレンチかイタリアンかでのカジュアルでない(価格設定がカジュアルではない)ディナーがあって、そこはあらかじめ予約しておかないとならない店で、そしてホテルがあって、それはあらかじめ予約しておかないとならないホテルで、でもビジネスホテルではなくシティホテルでないとならず、そういうホテルでようやく、そうなる。(253頁20行目)

作中モテる男として描かれているつばさにしてこれである。

是非、「東大生だからといってモテない」とお嘆きの関係者の皆さんは自分の胸に訊いてみてほしい。ここまでやっているかということを。

10分1000円の散髪をしていないだろうか。お母さんが買ってきたトランクスをはいていないだろうか。つばさほどの、正直なところ涙ぐましい、努力をしているだろうか。

「いや、だからその後どうしていいかわからないんだよ、だってみんなが遊んでいるとき受験勉強してたんだから」とお嘆きの関係者の皆さんには伝えなくてはならない。遊んでいたと指す人たちもトライアンドエラーを繰り返していたという事実を。失敗を恐れず行動しみてはどうだろうか。

東大理Ⅰの男子という立場を得れば、すぐに足元に2枚の女子カードがならぶ。それらのカードから、初めの練習に適したカードをひけばよい。(61頁8行目)

東大生はモテる。間違いなくモテる。モテないと感じるのであれば足りないのは個人の努力に他ならない。

まあ、練習と割り切れるのはクズですけどね。

星座研究会はヤリサーなのか

つばさ宛に譲治から着たLINEは以下の通り。

実入りのよいインカレを立ち上げようかって話をしてます。和久田先輩と國枝先輩といっしょです。(179頁12行目)

そして実入りとはこちら。

和久田はスマホ画面に目を向けたまま、つばさに訊いた。画面は星座研究会で親密になった女子学生の画像だ。(中略)目隠し加工をした顔写真。目隠し加工のない顔写真。全身のセクシーな静止画像。セクシーな動画。段階ごとに課金し、課金がなければみられないウェブに、女子学生の写真と動画を彼らはアップしている。(216頁5行目)

どの程度の期間だったかが書かれていないので定かではないが、これで30万円以上の収入である。和久田と國枝がどうやったと聞いていることから、2名はこの収入に対し、無関係と見える。エノキも戦力にならないことを考えるとつばさと譲治2人で稼いだとみるべきだろう。

これはあくまで想像だが、撮影実行部隊は譲治1人だろう。つばさはあくまで飲み会でトスを上げる役と、おそらくはセキュアなウェブ課金閲覧システムの構築を任されているに違いない。

そしてここが非常に重要なのだが、譲治は写真や動画を撮るだけでセックスしないのである。

めっそうもない。法に抵触するようなことしませんよ。星座研究会はヤリサーじゃないんだから。いっしょにしないでくれます? おれ、理性的にやってますんで。あくまでも女のヒトの自主性を重んじてやってますし、こういうの撮るときにヤッたら、万が一、バレたときにイチャモンつけられ放題になりますし(217頁7行目)

合意なしにアップしておきながら、何たる意識の高さやら(笑)。

しかしその意識の高さというのは相手を区別しているだけであった。

動画を撮って資金にする女子学生はM要員。M要員にできそうな女子学生、M要員になってもらいたい女子学生と親密度を増したり、ムードに酔わせて合意にもっていく会食はM会食。(中略)moneyのM。そして星座研究会の部員で、セックスを娯楽としてエンジョイする女子学生はS部隊。S部隊を呼んでの飲み会二次会は二次会S。sexのS。(315頁6行目)

星座研究会はまごうことなくヤリサーなのであった。

そしてその仕組みを作ったのは、譲治だ。

譲治は星座研究会のメンバーのなかでも特に育ちがよく、最も選民意識も高い。そして何より人を見る分析力が実にハンパないのである。

お茶大がいたらぜったい本女が来ないということじゃないです。あくまで傾向です。来やすさの度合いです。(204頁4行目)
理想は2回、ギリで4回。これ守ってれば、そういうこともあったわね関係ですませられますが、5回やっちゃうとね。5回以上やっちゃうと女は相手をカレだと看做してくるので注意すべし(後略)(285頁10行目)

皮肉にもつばさはその箕輪諏訪神社の教えを聞いたその直後、美咲と5回目のセックスをしてしまう。ここにも一つ悲劇の予兆があったのかもしれない。

唯一、組織のリスク管理として甘かったのはエノキへのフォローだっただろう。

エノキが「おこぼれちょうだい」になることは、これまで一回しかなかった。(319頁4行目)
帰宅した彼は、事後に自分のベッドで全裸にバスタオルやシーツを巻き付けただけでぐったりと寝そべっているS1とS2の乳房を揉んだり、ワギナに指を入れたりしたと。(322頁12行目)

だからこそ、エノキは次こそはとの思いがあった。

彼は希望を抱いている。星座研究会の、次の飲み会二次会には福があると。(319頁16行目)

そうした思いがあったからこそ、公判で「ふつうの飲み会とは?」と訊かれた際に、「仲間うちでふつうではないとしている異性との乱交的なものではなく(後略)」と発言してしまうのだ。この発言がなければ、もう少し減刑されていた可能性はないでもないだろう。

詰めの甘さこそあれ、徹底してリスク管理していた彼らはなぜ事件を起こしてしまったのか。

つばさと美咲

事件に至った背景を、2人の生い立ちから姫野カオルコは非常に丁寧に描いている。各エピソードは実際に起きた事件をベースにしていることもあり、ノンフィクション調に書かれている。その効果もあって、一見関係ないエピソードがうまく大きなうねりと変わる様子は見事だと思う。注意深く読んでいかないとならないのが文量が多い分大変ではあるが。

何はともあれ、2人は出会うべくして出会うのである。そして少なからずつばさは好意を持ち、経験の浅い美咲はいつか見た白馬に乗った王子様に重ねてしまうのであった。

須田秀やグレーパーカとは成就せず、遅く来た春に、美咲は舞い上がる。結末を知るこっちが悲しくなるほどに。

偽エルメスのスカーフを見ても、大学のキャンパスを見ても何をみてもきれいに見えるのだ。

目にするもののすべて、色鮮やかでいとおしく映る。
カレ。
カレがいる。
カレにLINEする。
二十歳。選挙権があって、お酒が飲めて、そして、カレがいる。
美咲は恋のよろこびに包まれていた。
恋する乙女は美しい。古今東西から賛美されてきた。然り。このころの美咲は、実に美しかった。つばさと「お泊まりのあるデート」を三回したこのころ。(264頁20行目)

美咲をこうまでさせるつばさは、和泉摩耶と出会うまでは、間違いなく美咲に好意を寄せていたはず。しかし残念ながら人の心は変わってしまう。

人の、きもち、は数ではない。形にならない。恋するふたりのあいだには齟齬があったであろう。だがミルフィーユ菓子も、パイ生地とクリームと果実の、齟齬のおいしさなのである。美咲とつばさのきもちが焼き上げたミルフィーユ菓子は、なぜ半年後には、酷い齟齬に変化してしまったのだろう。(259頁3行目)

変わりゆくつばさを見る美咲の心情は読み手には、その事件を事前に知るだけに辛い。

「好き?」という、主語も目的語も曖昧にした質問ならできる。「泊まっていかないの?」という、曖昧ではない質問はできない。「ツーくんにとって私は何なの?」。この質問は、ぜったいできない。(300頁13行目)
もどればセフレ? カノジョだったときはないの? カノジョだったと、自分ではそう思っていた。(中略)たとえつかのまでも。
(中略)今はセフレでもない。友人でもない。カノジョでもない。
(今は……なんだろう……)
わからないが、はっきりわかっていることは、自分がつばさが大好きだということだ。(312頁14行目)
美咲は希望を抱いた。
【OK。久しぶりだね!】
返信文を考えて、迷って、考えて、迷って、なんども打ち直して、「相手に重たい、ウザイと感じさせない」ように配慮に配慮して、短い返信をした。(333頁15行目)
(むりして飲みすぎたかなあ……。もう飲むのはいやだなあ……。寝たふりしてしまおう……吐いたりしたら、ツーくんにうざったがられる……)
お荷物にならないように。重い女にならないように。(362頁7行目)

唐突に違う作品を思い出しました。映画化したので近頃読んだ小説。角田光代の『愛がなんだ』の主人公、テルコを。テルコも田中守との名前のない親密な関係に揺れながらも、重い女に思われるのを極端に忌避するのだった。

田中守も、竹内つばさも誠実さを持ち合わせていないショーモナイ男だ。ただ、田中守が半分以下の男だったのに対し、竹内つばさは半分以上どころか超エリートだったのだ。

つばさの悪手

悲劇に至ったつばさの過ちは大きく3つ。

1つ目は「ふつう」の飲み会を盛り上げるためにかつての恋人である美咲を呼んだこと。

(こじれることなく別れられてよかった)
美咲との関係について思う。
(中略)
【新キャラの女の子、誘っといたから。水大だけど星研じゃない。瀬谷キャンパス。酒強いからノリいいよ】
たのしい飲み会になることを、つばさは願っていた。
(MとかSのだんどりはいつもダージリンだったやつらにまかせてきたから、フツーの飲み会くらい、おれが盛り上げ役を引き受けないとな)
と。
(みんなでたのしく盛り上がれるといいな)
ピュアに願っていた。(338頁1行目)

こんな飲み会にモトカノを盛り上げるために連れてくる神経が本当に理解できないけど、10,000歩譲って考えると東大生への信頼ではないか。

横教生は見る目がなかった。だが東大生である自分にはあった。そして誘えた。ならば同じ東大生である星研のメンバーなら良さをわかって楽しく飲めるのではないかと。

2つ目の悪手はこちら。

ドバイのブルジュ・ハリファビルのように高いプライドのつばさが、会に遅れて到着して、先ずしたことは、星座研究会の男子面々が「ネタ枠」だとした女を、「元カノ」だと思われないようにすることだった。(349頁8行目)

100,000歩譲ってそう思うのはいいとして、自分の留飲を下げるためにできることは他にもあったはずだ。もちろんそれは美咲のイメージを良くすることだ。しかし当たり前だがつばさにはそれができなかった。それどころかさらにさらに貶めていくのだった。裸の写真までさらして。

3つ目。

「こいつ、マジ胸でかいから、さわっていいよ」
右からつばさ。(376頁16行目)
Tシャツを脱がされた。譲治が脱がした。いっひっひと卑しく國枝が笑った。國枝がブラジャーを脱がした。
だが「こいつ、マジ、胸でかいから、さわっていいよ」と指図したのは、つばさなのだ。
ショックでひとことも発せられない。(379頁5行目)

この一言がなかったらと思わずにはいられない。つばさのブルジュ・ハリファはそこまでしないと自分の「元カノ」が「ネタ枠」とされたことが消化できないのか。

そして極めつけが電話の中座から戻って白けた場面に出くわしたこの時。

美咲がしくしく泣いている。
囲む男子学生たちはひいている。
「盛り上げる役」のつばさは、あわてた。盛り上げなおさねばならない。つばさは、美咲の臀部を平手で強く叩いた。尾てい骨のあたりに赤く手形がついた。
「なーに泣いてんだよッ」
陽気に言った。(386頁18行目)

この言葉をきっかけに美咲はマンションを脱出する。

なぜこの時美咲を助けられなかったのか。誰しもが引いている状況であれば「元カノ」と勘繰られることなくうまく場を収めつつ、美咲に服を着せ送るということができたのではないか。悲劇は起きてしまったが、事件はこの時ギリギリまで避けられた可能性はあった。しかし当然だが、つばさにはできなかった。ブルジュ・ハリファ故である。

青鬼は頭が悪いから

赤鬼がつばさで、青鬼が美咲。美咲は盛り上げ役なのであればと、お酒を飲む役を買って出る。親友同士であった赤鬼と青鬼は、その友情を犠牲にして、赤鬼の欲求を叶える。かつて恋人同士であったつばさと美咲は、2人の過去を隠すことで、つばさの自尊心を満たそうとする。

しかし4つの悪手が示す通り、満たされそうだったつばさの自尊心は、薄氷を踏み抜いていく。

これは他人事ではない。ブルジュ・ハリファとはいかなくとも、自分の自尊心を守るために他者を傷つけることは誰にも起こりうるのではないか。

童話では単なる暴力だったが、この小説では赤鬼は青鬼に性暴力を働いた。自分の自尊心を満たすために。目的は嘲笑い、自尊心を満たすことだから、手段はなんでもよかった。だからこそ誰しもが全裸になった美咲に欲情していないのだ。

性暴力根絶をいくら啓蒙しても、残念ながら繰り返されるだろう。問題は自尊心との付き合い方なんだから。

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