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「自称グルメ」おじさん


非常事態宣言が解除されたので、延期になっていた彼氏と私の親との会食がやっとできそうになった。私の地元の和食レストラン(割烹)を母が予約してくれた。自粛生活で他人との接触がゼロになったわたしにはとても楽しみなイベント。


行ったことがないお店だったので店名を調べたら、検索結果には食べログとか、一休の下に、個人のブログが。行く予定のお店はミシュランで星をとってるみたいなのに、とあるブロガーにコテンパンに批評されていた。「2度と行かない」「店からの再チャレンジがくるのを楽しみにしてます」といったマウンティング通り越して、マウンテンゴリラのような文体のブログ。この人はどうやら都心に住んでて、各地のグルメと呼ばれるとこにいっては、感想をのたまってるようだった。

食べログを眺めていても、単に「美味しい」とか「また来店したい」とかそうゆうポジティブなコメントより、「ある昼下がり、●●へ行ったついでにふらりと立ち寄った。風情のいい店構えと…」といった作家気取りの枕詞がすごく多い…中の人はだいたいおじさん。とゆうか、文体がおじさんなのである。私がネットで文章とかイラストの創作をしはじめたころは、まだこうゆう人たちがいなかった。カラフルなiMacに憧れた小学生のころだから大昔だけれど。

平成末期ぐらいから、芸人の渡部のような自称グルメの人たちが現れれた。都心のグルメを紹介したり、話題の店、高級店を批評する「自称グルメブロガー」の爆誕である。本当に仕事としてやってるグルメPR兼ジャーナリストもいるので、一概に悪いとは言えないし、顔出ししている有名な人のインスタやブログは本当に美味しそうなものに溢れている。しかしながら、名もなき「おじさんグルメ」ブロガーたちの存在を忘れてはいけない。おじさんグルメブロガーの発生場所は有名ブログサイト、facebook、インスタと様々だ。記事な内容といったら、行きつけのグルメや新規開拓グルメ記録、高級車とかゴルフの自慢。そんでもってときどき羽田のサクララウンジでの「#エアポート投稿おじさん」があったりする。不本意にそのサイトに踏み入れると、イタ〜いおじさん節に不快感を感じる。

最近は働き方改革もあって、若手社員との飲みニケーションは拒否られ、不必要な飲み会が消えた。アフターコロナの、new normal 世界はさらにそれを加速させる。若者歓喜、わたしも万歳である。一方おじさんたちは、マウンティング、昔の武勇伝、昔はよかったよ今昔物語を垂れ流す場所と相手を失い、インターネットへ垂れ流されるようになった。インターネットの世界は容量無制限なので排水溝のように受け止め続ける。

たまたま、こうゆうおじさんと接触事故にあい、不必要にdisられる飲食店たちが悲しい。私たちがお店の名前を何気なく、検索するとgoogle先生はその事故現場を教えてくれる。わたしは思う、料理もできない、家庭料理も作れない暇を持て余すオヤジどもは、どうかグルメを語らないでくれと。そして、そのグルメ気取りたちへ、罪のないお店の評判と電波を汚さないでくれ、と… 

わたし自身は、美味しいご飯と美味しいお店が大好きなので、コロナ自粛のなか、当たり前に外食を我慢し、つくづくプロの作ったご飯のありがたさを痛感した。ときどき行きつけのお店の味を妄想する日々であった。もちろん自炊もしたし、アジアン、イタリアン、フレンチと、いろんなジャンルも作ったけど、誰かが知らない誰かのために、ちゃんと真心こめてつくったご飯は格別だった。

わたしは外食も大好きだから、頑張ってるお店にたいして、不必要にアンチコメントやクレームを書くおじさんブロガーたちはどうしたって許せない。うまくないとか、ホスピタリティ批判をする前に、自分でうまいご飯を作る苦労を知って欲しい。

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