不登校になった先生が仕事を辞めたはなし。
はじめましてですが、今回は『夢を叶えたけど、不登校になり仕事に終止符を打った先生』について書きます。
はい、私の実体験です。
私は、4年前子どもの頃からの夢であった「先生」という仕事に就き、そして2019年3月末日付で「先生」を退職しました。
本題を書くまえに、少しだけ私のこれまでの状況を説明させてください。
(とばしたい方は次の画像のところまでスクロールで!)
私は《もな》としてこの9ヶ月、オンライン上にいました。
理由は、仕事を休職し途方に暮れていたところを、友人に勧められて趣味であったイラストの発信をすることにしたからです。
私は、新年度から始まった職場(仕事)で新しく厳しい環境に順応できず、心療内科で『適応障害』と診断されました。
適応障害は鬱病と似ています。
大きな違いは「ストレスから離れれば比較的に早い回復が見込める」ということ。
はじめは勤務をしながら治療をすることも考えましたが、間も無く通勤さえできなくなり、休職。
つまり、もな先生の不登校期間のスタートです。
先生が不登校になるっておいおいおいって感じですが、本当に学校に行けなくなりました。
「ああ、学校行きたくないって言ってた子どもの気持ちってこんな感じなんかな。」と思ったり。
そして数ヶ月間考えて、考えて、考えて・・・
退職する決断を下しました。
「先生」という仕事は、私にとってなぜか子どもの頃から「なりたかった職業」でした。
きっかけは?と聞かれると、何がきっかけだったのかは覚えていません。
でも、子どもの頃から自分が一般企業に就職して働く姿は想像できず、「先生になった姿」だけを想像して生きてきました。
もちろん大学は教育大学。
滑り止めで受けた私大1校以外は願書すら出しませんでした。
センターで大コケして、判定が悪かったにも関わらず、前期試験の願書しか出さないという暴挙に。
結果は、前期試験で合格。
「これは神様が私に先生になれって言っとるんやわ!」
そんな風にすら思えました。
大学も順調に卒業し、なんなら大学院に進学して無事に修了。
教員採用試験も大学の卒業年度で合格していて、進学の間は採用を猶予してもらうという高待遇。
大学院修了と共に、とある自治体で教員として務めはじめました。
これを言ったら相方には驚かれたんですが、
「今まで挫折ってしたことがない。順風満帆な人生を送ってきました。」
本当にそうなんです。
幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、大学・大学院も、教員生活3年間も・・・
特に挫折した・・・という記憶がありません。
もちろん、失敗したなぁと思うことは多々ありましたが、挫折と呼ぶにはあまりに軽いものだったなぁと。
なので、今回の休職→退職はおそらく人生で初めての挫折となりました。
ド派手に転んじゃいました。
1年前は、自分が教師を辞めるなんて本気では想像をしたことがなかったし、他の仕事をするなんてビジョン持っていませんでした。
先生としても、めっちゃ優秀というわけではありませんでしたが、若手の中では頼られるほうだったし、校長や教頭や同僚からの評価もそこそこよかったと思います。
「数年後引っ張っていくんはアンタやで」「アンタは先生に向いてる」とも言われていました。
子どもたちからも、こわいけど絵が上手くておもしろい先生として、嫌われてたことはあんまりなかったと思います(想像でしかありませんがw)。
そんな私でしたが、辞めたんです、先生を。
さて、ここからは本音爆発でいきますが、
なんでこうなってしまったんやってのが正直な思いです。
私自身、本当に先生を辞めることが最良の選択だったのか未だにわかりません。
「先生なんてブラックな仕事もうできん。」と思いつつ、楽しかった思い出や授業のことなどこれまでのことが蘇り、懐かしくなります。
子どもたちと過ごした時間、同僚と過ごした時間、どれも私にとって大切な時間でした。
口では「脱先生!辞めてやったぜー!」と言いながら、
心では多分「なんで私は先生を辞めないとダメやったんやろ・・・。」と落ち込んでいます。
今、
「ただ逃げただけだったんじゃないか」
「本当に辞めてよかったのか」
「結局はできん奴やったんやな」
そんなことばかり考えてまた気分が沈んだり・・・
だって、夢を叶えたんやで?
自分が病むなんて考えたこともなかったもん。
ほんで、こんなにも治らない(長引く)もんなんて知らんかったもん。
公務員で、残業代はでないけど一応それなりのお給料もらって安定した正社員を自ら手放す選択するなんで考えてもみんかった。
親にどう思われるやろ、
友だちにどう思われるやろ、
同僚や同期・子どもや保護者にどう思われるやろ、
世間の人はどう思うんやろ・・・
そう思うとまた病みそう・・・ってくらい落ち込んでる。
私は昔から自分を「できる人」に見せたがる性格だった。
「できない自分」は誰にもに見せたくなかった。
自分の気持ちや考えを話すことも苦手だった。
人に気を遣われるのもすごく苦手。
たぶん、この数ヶ月で会った人の中で私が病んでるって思った人は少ないと思うけど。(ツイッターとかでは病んでたけどねw)
この数ヶ月で
・人と会うのに体力がいるようになった
・誰にも会いたくない期間が訪れるようになった
・みぞおちが頻繁に痛くなるようになった
・今まで以上にキャラを作って演じてしまうようになった
・気持ちの浮き沈みが大きくなった
毎日ってわけじゃないけどね。
こんなに弱い人間だったのかと、私自身が一番驚いています。
この特性は、まだ自分にとってマイナスでしかないし、「なんで私がこんな風にならなあかんかったんや」ってこれを書いてる今でも考えてしまう。
けど、こうなったのはたぶん誰のせいでもなくて、ほんとちょっとした「噛み合わせの悪さ」が相互作用して大きな反応になってあらわれただけなんだろうなぁ。
誰かのせいにしたら楽なんだろうけど、別になんの解決にもならないしね。
ほんとはもっと先生続けたかった。
卒業生に同窓会呼んでもらうのが夢やった。
はい、ここで未練は終わり。
どうしても先生になって学校に戻りたくなったら、どうにでも戻れる。
今はまだそんな気持ちにはなれないけども。
なんで今回こんなnoteを書いたかというと、自分の気持ちに整理をつけるためです。
明日からは新年度!
私は明日からフリーランス!
(税金とか年金とか怖いよう・・・←)
まあ、心機一転頑張りたいと思います。
生活費やら医療費、転職のための投資で貯金が半分になってしまったし、それ以上に稼いでいかないとね!
Webデザインの勉強もどんどん進めていくって決めた!
何歳でも「なりたい」を叶えるのは遅くないっていろんな人が言ってるから、きっとそうだと信じて突き進もうと思います。
よければ応援してやってくださいませませ〜。
(退職祝いにサポートしてくれてもいいんだからねっ←)
ここまでお読みいただきありがとうございました!
読み返したらちょっと恥ずかしくなっちゃうポエミーnoteおーわりっ!
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