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拾う神

ありがとう。

顔は知らないけれど、声も聞いたことがないけれど、とっても感謝しています。ほんとうに、ありがとうございました。

ある日、数年ぶりに財布を落としてしまいました。財布を落とすことなんて、人生で1回あるかないか、というのが普通なのかは知りませんが、僕は何度かそういうことがあります。

その日は、たまたまひとりで過ごす時間があって、ふらっとご飯を食べに行ったのでした。僕は財布と小銭入れを持っていて、ふだんからカバンに入れて持ち運んでいます。肌身はなさず、ではありません。

財布は、1日のうちに何度かしか手に触れません。何なら触らない日もあるくらい。(これは自慢にはなりません。)

だから、失くしてもすぐに気が付かない、ということがあります。

お昼に落としたのに、無いことに気がついたのは、帰宅後の夜でした。

もう一つ、自慢にならない扱い方として、財布を自宅に置き忘れるということが結構あって、今回もまず疑ったのはそれでした。なので、カバンに無かったから自宅のどこかにはあるだろう、と思ってしまったのです。

お店のそばに落ちていた財布は、店に届けられて、時間がたってさらに交番に届けられていました。

交番に取りに行こうと、自転車にまたがったときに、ハッとしました。財布の中に、身分証明書が集約されていることに気がついたのです。

「わたし」が証明できない。

あわてて電気料金の明細を掴み、にわか雨に濡れながら交番に行きました。無事、僕の財布はありました。良かった。中身はどうでも、とりあえず財布と再会できたことに安堵しました。財布への思い入れは、少なからず多くの人がお持ちのはずです。

事務手続きの最中、警察の方が「ほんとに、良かったですね」とボソリとつぶやくように声をかけてくれました。

その途端、じんわりと温かな気持ちが湧いてきました。本当に本当に良かった。ありがとうございました!と叫び出したいような、そんな感動があったのです。

残念ながら、拾った方は分からない状況でした。御礼も言えないのか、だったらまずは書いておこう。と、こうして記しました。

命の次に大切なお金、そしてそれを保管する財布。いかに大事か、今更ながら痛感を持って実感しました。以前「なにもの」という投稿で、お金についての心構えを書いたはずですが、この財布の扱いは一体何なのだろうと、恥ずかしくなり、自分に苛立ちを感じているのです。

いっときの喪失感を思い出して、自戒とともに温かな誰かに思いを馳せています。戻してくれて、ほんとうにありがとうございました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd