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「分かる」ってそういう事なんだって今になって分かったという話

 私は38歳で小学校の教諭をしています。私の学校には、校内研修に大学の先生が来てくださり、いつも新しい視点からの学びを得ることができています。今回は、その大学の先生が話していたことから、「分かる」ってそういう事なんだなって、すごく納得する瞬間がありました。言葉では表現しづらいですが、今まで、自分が思っていた「分かる」がさらに深まったように感じたのです。その「分かる」が少し自分の中で深まったことは、きっと授業等で子どもたちと関わるときにプラスになると思っています。
 今回のnoteでは、「分かる」って何なのかについて、私が学んだことを書いていきたいと思います。

1.具体と抽象のどちらも理解している

 大学の先生から学んだ「分かる」を簡潔に言うと、具体と抽象のどちらでも理解しているということです。例えば、「聞き合う関係」と言う抽象的なワードに対して、その場面を一枚写真に収めてくるならばこのような場面だと具体的な場面まで自分の中で理解しているということです。
 物事を見たときに、具体と抽象のどちらへもスムーズに行き来することができるということが「分かる」ということなのだと学びました。

2.本を読むのが楽しくなってきたわけ

 最近、私の中で読書がとても楽しくなってきました。昔から、本は読むのが好きだったのですが、最近は本を読むことの楽しさが増したように感じます。それがなぜかと考えたていたら、そこには具体と抽象が関係していました。
 本で読んだ内容というのは抽象的な内容です。しかし、たくさんの本を読む中で、その本で得た抽象的なものが、現実世界で具体と繋がることが増えてきたのです。「あー、これってそういう事だったのね!」と本で学んだことが、現実で起こっていることと繋がる瞬間が楽しいと感じるようになりました。でも、これってきっと、具体と抽象が繋がることなので、物事が「分かる」ってことなんだなと思います。「分かる」って楽しいことなんだなって40歳目前にして気づきました。

3.私の高校受験はどうだったのか

 さて、私の高校受験の勉強は、詰め込み式、丸暗記が基本の学習でした。詳しくは上の記事を読んでいただけたらと思いますが、この勉強は、具体と抽象が繋がっていない状況で、試験をクリアするための勉強です。しかし、これは試験問題を解くことは「できる」ようになりましたが、その学習内容が「分かった」かというとそうではないのだなと感じました。
 例えば数学です。公式という抽象的なものに数字を当てはめて問題を解くことができましたが、それを具体的に説明することはできませんでした。賢い友人は、公式を覚えていなくても、自分で公式まで繋げていくことができていました。私の場合は具体と抽象が繋がっていません。しかし、友人は、具体と抽象をスムーズに行き来することができていて、この友人はきっとその内容が「分かった」になっていたのだと今になって感じました。
 ちなみに、この時期、私は問題を解くことができて嬉しい気持ちはありましたが、楽しい気持ちにはなりませんでした。

4.「分かる」から楽しいをつくるために

 今回、具体と抽象を行き来することができるようになると物事が「分かった」になっていくのだと学びました。私は小学校教諭ですので、それを子どもたちへ繋げていくならば、やはり、授業で具体と抽象を行き来する場面をたくさん作り、物事が「分かった」と感じられるようにすることが必要だということです。
 分かりやすく算数で話をすると、足し算の問題で、多くはタイル等の具体物を使い、式という抽象へ移行するのですが、抽象へ移行したら具体に戻さないのではなく、子どもたちの思考が具体と抽象を行き来するような場面をたくさん作ることが大切なのだという事です。抽象がゴールではないのかなと思いました。
 また、子どもの思考で、今は具体で考えているのか、抽象で考えているのかを子どもの発言から読み取ろうとする視点も大事だと感じています。きっとこの視点を持ってみることは、今の私にはまだまだ難しいのですが、挑戦したい見方でもあります。
 具体と抽象、それを行き来して、子どもの思考を耕す。そんな視点を持って授業をしていくことが子どもの「分かった」へと繋がっていき、それが「楽しい」になるのです。

 今回は、大学の先生からの話で、私の中ですーっと入ってきた「分かる」ということについて書いてきました。日々、この抽象は?この具体は?をイメージして、自分の世界を広げていきたいなと思っています。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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