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吉祥寺キラリナの外観デザインが意味するもの

吉祥寺 キラリナの外観デザインは不揃いで長細い板のようなものが連なりあっていて、ちょっと目を引く不思議なデザインですよね。実はこの特徴的な外観は吉祥寺のあるものをモチーフにデザインされています。

さて、一体それは何でしょうか!?
以前、Twitterでも問題を出してみましたが、なかなか難しい問題だったようです😏

外観デザインは「吉祥寺の街並み」そのものだった

吉祥寺の街並みの特徴といえば何でしょうか。パッと思いつくのはオシャレなカフェが軒を連ねている様子だったり、あるいはハーモニカ横丁のようなどこか懐かしい雑多な雰囲気だったり。

実はキラリナがモチーフにしたものは吉祥寺の大きな特徴である短冊状の街並みだったのです。吉祥寺の地図を改めて見てみるとイメージが湧くのではないでしょうか。

吉祥寺の街並みのルーツは江戸時代に遡る

江戸時代におきた大火災「明暦の大火」によって家を失った人々(現在の水道橋駅周辺に住んでいた人々)が現在の吉祥寺に移住してきた際、土地を短冊状に割与えられたのがこの街並みのルーツと言われています。ちなみに吉祥寺北口の公園(吉祥寺の杜-宮本小路公園)にもこの短冊状の土地について解説されています。

解説には街が短冊状になった経緯が記載されています。

江戸城をも焼き払った大火により、水道橋の名刹、「吉祥寺」を駒込の本郷本富士町に移し、門前の人達には江戸から遠く離れた野原の広がる牟礼野(現吉祥寺)に土地を与えました。これにより、駒込の名手松井氏、浪士佐藤氏、旗本宮崎氏は五日市街道沿いに移住し、その西隣りには江戸の西の窪の城下町の井野氏が入植しています。万治2(1659)年から移住が始まり、人々には五日市街道を挟んで両側に幅20間(約36m)、 奥行き634間(約1140m)の同じ形の土地が分け与えられました。人々はまず、道沿いに家を建てその奧(北側又は南側)に畑を作り、耕しきれないさらに奥の方は山林として残しました。そして山林から木材や燃料をとっていました。当時の短冊状の細長い土地の名残を、五日市街道に交わる今の道路に垣間見ることができます。

吉祥寺キラリナが表現した吉祥寺愛

 吉祥寺キラリナがオープンした当初、京王電鉄がプレスした記事で、外装のデザインに関して以下の記載があります。
(出典:キラリナ京王吉祥寺 - 京王電鉄

吉祥寺駅周辺をランダムに区切る街割りを、当ビルの顔となる壁面に再現。自然と街、所狭しと広がる路地など、街の発展とともに広がった、人の生活を感じる吉祥寺らしい街並みを表現しました。さらに、1日の時間の流れや季節に合わせて光を変えて外壁をライトアップ。吉祥寺の人々とともに暮らすイメージを訴求します。

 吉祥寺の歴史や自然に対する敬意であったり、人々の生活に寄り添うメッセージが込められていることがよくわかります。こうやって改めて見てみると、吉祥寺愛をとっても感じるデザインですね!

 いかがでしたでしょうか? 普段見ているちょっと不思議な街の建造物も、実は深い意味があったりして、知っていくと街を見る目も変わっていって楽しいですね。ご家族、ご友人、恋人とキラリナを見かけた際は是非

「あのデザインは吉祥寺の街並みを表しているんだよ!」

とドヤ顔で話してみてください。吉祥寺に詳しい人であれば「なるほどね〜」ときっと感心してくれること間違い無いです(笑)

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【以下参考】



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