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卯月十五日 代言人

 「もっと文豪の死に様」関係で長谷川時雨のあれこれを調べた際、時雨の父が日本の弁護士一期生だったことを知りました。

 それに絡んで、日本の弁護士の歴史をさらっとなぞったわけですが、制度発足当初の呼び名は「代言人」だった、とか、結構うさんくさい職業扱いされていた、などなどおもしろい事実を知ることができました。
 思うに、弁護士より代言人の方がこの仕事の本質をよく表しているのではないでしょうか。
 弁護士とは、雇い主の主張を、法廷で通用する言葉に翻訳するのがお仕事ですよね。「カッときてやった」を「心神喪失状態だった」みたいな。真実より、雇い主の利益が優先。もちろん法は遵守しなければならないけど、恣意的な情報の取捨選択は法に触れない範囲でやっていいわけで、「うさんくさい」といえば「うさんくさい」。
 近代法下における法治の概念を知らなかった明治初期の日本人が「うさんくさい」と判断したの、直感としてはそれほど間違っていなかったんだろうな、なんて少し思いました。
 でも、実際の話として、法治国家における弁護士の役割は本当に大切なもので。私も父の会社の始末やらなにやらでお世話になったことがあるのですが、あの時お任せできなかったらどれだけ大変な目にあっていたかわかったものではありません。先生には心から感謝しています。
 同時に、弁護士を始めとする法関係の調停機関へのアクセスを知っておくことの重要性も痛感しました。日本には様々な制度がありますが、一般の人間がそれを利用するのはなかなか骨で、やっぱり専門家を頼るのが一番なんですよね。
 現在、双葉社の「カラフル」で連載していた「死に方がわからない」に大幅な加筆修正をし、秋口に出版する予定で進めているのですが、専門家に接続する大切さは連載時より強調しようかなと思っています。

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