10月2日(火)

休みに代務をやらうと思つてゐたら、今日来てしまふ。         中央に残る。                            今まで腰の曲げ伸ばしに、痛みを感じる等といふ事は覚えがないが、近頃腰がおかしい。やつぱり年のせいだらう。 六十五才までは働きつゞけねばならない体だが これから三十何年、もたせねばならないが…。      代務中二時間位横になつたのですつかりねむ気がとれ、らくだつた。   四時に帰り、九時に出勤する。 次郎物語も、二巻もう少しで終り。   次郎はすぐれた少年である。人間の愛情こそ何より大切な事を痛感する。

娘からの注:                                     父は昭和52年10月に旭硝子を55歳で定年退職。その後系列の運輸会社に再就職、昭和58年61歳までそこで働く。翌年からはある私立学校で用務員として再々就職、子どもたちの人気者になる(何故?)昭和63年3月にそこを退職したあとは、警備会社の面接を受けてスーパーマーケットの警備員として6年間勤務。「働くと年金が減額される」「しばらくゆっくりしたい」と言いながら、72歳までほぼフルタイムで働き続けた。そんなに頑張らなくてもいいのに…働きアリじゃあるまいしと思って見ていたが、今思えば私がいつまでも定職にもつかずにふらふらして、スネを齧っていたからだろう。申し訳ないと思う。しかし働いている間の父は生き生きしていた。

                            

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