11月6日(火)

朝帰つて、午後から大雨の中を又出勤。                昨日代ムをやつたので、うすらねむく、腰が少し痛い          調子よく、らくだつた。                       ふと見回中、気がついたら今日は結婚五周年の記念すべき日だ。五年前の今日、今夜、修善寺の温泉で君代と共に生涯忘れ得ぬ一日を過した事を思い起す。あれから満五年何をして来たのだらうと、かへり見ればジグザグはあつたが決して無意味な五年間ではなかつた。不満ながらも有意義な、五年間であつたと思われる。それにしても桂子をなくした事は……。君代も、五年前の今日を想出してゐる事だらう。去年の今日は、うすく化粧してゐた。今年は中出帰りの俺を政美をねかした後又起きて玄関に燈をつけて待つてゐた。母は、俺達の結婚の日などは頭中にないだらう

記念すべき結婚五周年の今日、それについて何も誰からも口に出さない吾が家の生活だ。夫婦のむつまじさが老母はやけはしまいかと気づかうので、老母も俺も口に出さない。老母は子供達の記念すべき日の事等何も考へていないだらう。俺はそんな無味な親父にはなりたくない。子の幸せを友に喜べる親父になりたいと思ふ。                       午後から雨になつて夜になつて晴れ。五年前の今日とよくにた天気である。

娘からの注:                            中出出勤の日は14時30分から22時30分までが勤務時間。この日はさらに代務に入ってそのまま朝6時30分まで勤務。帰宅して食事してわずかな睡眠をとってまた14時30分に出勤と、「代務」というシステムがこの日記にはひんぱんに出てくるが本当に無茶なことをしていると思う。勤務中に仮眠する時間もあったらしいが、これなら会社に泊まり込んだほうがよっぽど楽ではないだろうか。

結婚記念日を迎えて妙にセンチメンタルになっているのも疲れで心が弱っていたせいかもしれない。しかしやっと元気な子どもが生まれて初めての結婚記念日、感銘深かったことは想像できる。三日まえの日記の文面に叩きつけた怒りと、この日の日記の情感の深さ。父は自分の感情のアンビバレントな部分をもう少しなんとか統合することができたら、もっと人間味のある人になれただろう。仕事に追われっぱなしで家族との距離は離れていく一方だった。自分にまったく懐かない子どもたちを見て父はどう思っていただろうか。「不満ながらも有意義な」のところ、充実した、という語を消して有意義な、に書き換えている。微妙な差を感じる。

新婚旅行で泊まった修善寺の旅館は「新井旅館」。ここに泊まったのは母の希望から。昭和26年、結婚式を挙げる余裕もない人達がほとんどの時代にずいぶん贅沢したものだ。一生に一度の事だから張り込んだのだろう。父も2万円かけて新しい背広を作った。そのときの月給は1万円。       母と私と2人で修善寺温泉に一泊旅行したことがあるが、そのとき母が川の中の「独鈷の湯」を眺めながら「新井屋って旅館にお父さんと泊まったわねえ…」としばらく物思いにふけっていたのを思い出す。政幸と君代、二人にとってそれぞれの感慨があった。その辺の話をもうちょっとくわしく聞いておけばよかったなと後悔している。もう遅い。


               

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もにか/monika

昭和31年 片倉政幸の日記 (11月)

私の父が昭和31年に書いた日記をそのまま再録します。「昭和レトロ」とは無縁の、リアルな高度経済成長期の暮しの記録となれば幸いです。
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