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情報のダイエット。

先日古いI-podを見つけた記事に「昔はレコード聴くときはミニコンポと向かいあってA面B面と聴いていたのに、今は音楽を聴かなくなった、なぜだろう」と書いたのがずっと気になっていて、得た結論が「現代は情報が多すぎる」ってこと。

スマホをさわればどんな音楽でも聞けるし動画も見られる。ちょっと気になったニュースをタップすれば「あわせて読みたい」が次から次へと、台所の流しの下のゴキブリのようにわらわらと出てくる。わたし達はそれらの「新しい情報」には抵抗できない。結局一日中twitterを眺め、わずかなヒマさえあればスマホを見てしまう。未知の情報を集めるのはヒトの本性なので、しかたがないのだが、でもこのままでいいのか。

ネットが一般的になってから人が1日に受け取る情報はネットがなかった時代の6000倍、というニュースを見た、ような気がするけど本当は600倍だったか、そのニュースの発信元は何だったか、もう情報の海に流されて調べようがない。調べることはできるのかもしれないがそんな気力は出ない。

気になったことを少し真剣に調べると、お粗末なネット記事ばっかり出てくるでてくる。誰かの書いた元記事をコピペして、行間をやけに空けて、キレイな画像を添付して体裁だけ整えてるビューワー稼ぎ装置。そんなもんばかり。ゴミが害虫を呼ぶようなもので、まるでハエトリリボンとそれにくっつくハエだ。(ハエトリリボン…今見ませんな。夏になるとちゃぶ台の上にぶら下げる、昭和の懐かしアイテム)

自分はハエにはなりたくない。読まないままの本や行きそこねた美術展や大好きな歌手の歌を放置したまま死にたくない。自分に残された人生の時間を考えると、非常に焦る。

だから最近は意識してネットから離れる時間を長くしている。夜9時になったらよほどの事がない限りPCを閉じ、読書やぼんやりする時間にあてている。電磁波の害っつーものが本当にあるのかどうか知らないが、だんだん精神と神経をクールダウンしていくと、よく眠れるし、いい考えも浮かんでくる。

noteの「おすすめ」はどういう基準で選んでいるか知らないが、毎日まいにちネットビジネスで儲ける話とかフォロワーを増やすにはとかそんな話しか出てこない。生産性とか効率化なんて単語とは遠い場所にいたい私にどうしてそういう記事をおすすめするのか。またそういう記事にスキ♡が3ケタもついてるのを見るとぞっとする。みんな何になりたいのか?
漫画「攻殻機動隊」にあるセリフをいつも思い出す。9課の荒巻部長のセリフだ。
『人の心はもろい…
 世の中の回転に呑まれて 快楽中心になると 利益効率追求機械や ただの消費単位になってしまう…』

この漫画を読んだときは(1990年代)、「快楽を消費する単位」にはなりたくない、と心したものだが、まさか「消費される単位」に自分が成り下がるとは思ってもみなかった。
自分の人生は見て見ぬ振りして、他人の人生に必死で「いいね」や「スキ」して猿真似に夢中なやつばっか。AIのほうがよっぽど利口だろう。
「noteってそういうところじゃ〜ん」という声が聞こえる。自分もなんのためにネットにものを書いてるのか、考えなおさないといけない。古き良きブログの時代はもう終わったんだ。


とにかく、新着記事がupされるとなんでもかんでも「スキ」してくるネットビジネス屋は近寄って来んな。フォロワー乞食と仲良くしたって何も始まらない。

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