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彩木咲良「冷めてしまうだろうな」

少し前に、さくちゃんは作詞作曲を進めていて、未完成のものも含めるとすでに40曲あるということが公表されていましたが、今日、インスタグラムとTikTokで、その中の一曲が公開されました。

タイトルは「冷めてしまうだろうな」。そして、インスタグラムには、一言「離れて行ったのはどっちの方か」という言葉とハッシュタグの「許して」が謎かけのように添えられています。(なんとなくですが、撮影と編集30分で作ったものでクオリティ低いけど許しての意味だと思うのですが)

さくちゃんらしい、素直でストレートな言葉が並ぶ歌詞。淡々としたメロディ。その淡々とした印象が、さみしさをより増幅させるような印象の楽曲になっています。

さくちゃんの表現は、自分の気持ちを第一にしています。気持ちが彩木咲良の身体を通して変換されて表現になる。歌をうたい、ダンスパフォーマンスする。舞台で演技をする。そして、作詞作曲をする。
アウトプットする方法は異なるだけで、その根っこにあるものは、まったく同じなんだろうな・・と改めてこの曲を聴いて実感しました。

この曲の背景にある物語はフィクション。しかし、伝わってくる感情はとてもリアルです。気持ちを大切にしているさくちゃんですから、リアルな感情の動きが、そのままトレースされている。それはちょうど、舞台でまったく別人を演じるようなものに近いものがある。
ウソに事実をまぜるとリアリティが増すもの。事実にウソを織り交ぜると、むしろリアルになり説得力が増すことがある。虚実織り交ぜることで、数多くの創作がつくられている。

「君」と「僕」の明確な物語が、さくちゃんの頭の中にあるんだろう思います。その物語の「僕」のセリフとして歌詞が紡がれている。「君」の気持ちが一切わからない。言葉の断片から物語をイメージすることで、余韻がいつまでも残るものになっている。
別れを予感させる恋愛の曲なのかもしれない。しかし、僕をさくちゃん自身に、君をファンと置き換えることもできるかもしれない。電話をイベント、手紙をコメントと置き換えることができるかもしれない。ファンはアイドルいを選べるけども、アイドルはファンを選べない。
そんな気持ちを背景につくられているのかもしれない。

この歌詞がすごいな・・と思うのは、多くを語らず、忘れものだよと言って「幸せになって」と相手に言い、「幸せになるよ」という、双方の幸せを願い、対等な関係を示していること。
優しさと同時に、矜持も感じられます。

さまざまな解釈ができる歌詞。自由に背景の物語を思い描けると思うのですが、果たして、この曲に続きはあるのか気になるところすが、でも、これで終わっても十分なくらい作品として完結しているようにも感じます。

さくちゃんが未完成のものも含めると40曲。まだ、残り39曲もあるって、すごいな。・・公開されるのが楽しみです。




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