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「もったいない」誰になんと言われようと「いま、この瞬間を生きる」

はじめまして。山口 裕生(やまぐち ゆうき)です。
現在picki株式会社でコンテンツ制作のディレクションを担当しております。

過去の自分とファッションにかける想いについて、
そしていまの事業について話したいと思います。

少々長いですが、目を通していただけると嬉しいです。

尖りのはじまりは小学4年から

小学校4年の時の授業参観で一人ずつ「将来の夢について」クラスの皆んなに発表しましょう、そんな課題が出されたのを覚えている。正直にいうと当時の自分には強い夢はなかった。

でも何かしら皆の前で発表をしないといけない。
大きな画用紙に

「戦争をなくしたい」

そう書き込み発表をした。
クラス中が静まり返り、静かに自分の席まで戻った。

今振り返ると一人っ子で育った自分は特に不自由を感じることもなく、人生を歩んできて、どこか遠い彼方にいる子供たちをCMでみることになり、今の自分との環境の違いに不平等だな、と気に留めていたのかもしれない。

人生で一番最初に自分の小さな夢を誰かに伝えた瞬間だった。

この日がきっかけとなり、大学では途上国の子供たちを救いたいと薬学部を目指すことになる。

研究室での大号泣

2016年の9月16日に京都大学大学院薬学研究科修士課程に合格しました。
そして2016年の9月28日に大学院への進学を辞退しました。
教授には直接自分の本心を伝えた。
「先生、大学院に合格しました」
「あと、少し報告させて頂きたいことがありまして、、」
「休学します。大学院も辞退します」
研究に対して本当に興味がわかない…
自分には他に就きたい職があって、目指したいことがあって…
だから実験も、研究も片手間になってて…
今までご迷惑ばかりかけて…
話し始めてほんの20秒ぐらいで、教授の前で大号泣していた。半年抱いてた違和感と葛藤が一気に涙となって溢れ出ていた。絶対怒られる。なんでもっと早く言わない!大学院受ける意味なかっただろ!って絶対言われる。って。もう逃げれないなって。
でも教授はこんなことを言った。

「きみは私のことがこわいか」
と。すると、絶句した僕にこんな話をしてくれた。
「わたしはきみを生徒とはおもっていない、研究をする仲間の一員だと思っている、きみはゲームをするだろ? 研究はゲームで、僕たちはチームだと、
だから真面目にやらないと怒るし、厳しい言葉もかける、きみともっとゲームがしたかった、同じ目標にむかって進みたかった、、」
そして「きみが就活から帰ってきたらまた、研究というゲームを一緒にやろう。今度は本気で。」って。教授が自分に期待してくれていた気持ちを無駄にはできない。

いつか再会してゲームの続きができればいいな。

コンプレックスを隠したい、そのために服を着る

いま「古着好き」として覚えてもらっている人も多い気がするが、大学に入学するまでは、ファッションの雑誌を読みまくり、トレンドを取り入れようと頑張っていた。そのため、時には自分に合ってないけど、流行りだからといって買った服もたくさんあった。一度着てもう着なくなることも少なからずあった。

最初に古着を着たのは、大学1年でダンスを始めた頃。全てはコンプレックスの塊だった。ダンスを始めてまったく上達しない日々。ダンスで全くといって勝てない日々。
笑えた。
好きで始めたダンス、なのに始めたせいでダンスが嫌いになった。
毎日鏡の前にたつ自分の姿をみると、自分の身体までも嫌になった。

「かっこよくない」

華奢で細い自分の身体を隠そうと大きいシルエットのものばかりを身につけた。ビックシルエットになるように3XLのTシャツを着たり、グランパシャツを着たり、服は自分が自信をもって歩める、そんなアイテムとして活躍をしてくれていた。その中でも人とは違う自分でありたい、そんな想いを形にしてくれるのが、唯一無二の古着だった。

ラオス旅行中の一通のメールから全てはじまった

人生2回目の大学4年の6月、就職活動も終わり2ヶ月間東南アジアへ一人旅にでかけた。研究室もあったが、少しお休みをもらった。

ラオスの宿に到着した時のことだった。いつも通り真っ先にWi-Fiに接続をし、友達とのやりとりを行なっていた。
ふとメールボックスを確認すると、ある一通のメールが届いていた。

「山口様 突然のご連絡申し訳ございません。私株式会社●●の内田です。〜」

当時自ら運用をしていたインスタグラムのアカウントに連絡が来ていた。ラオスの僻地から日本に電話をすると、電話越しの相手は埼玉に住む内田という大学生だった。

今思うとありえないことであるが、実際にその一本の電話がきっかけで一緒に事業を始めることになる。埼玉と京都、電話越しにビジョンだけ語る日々が続き、そのまま半年が経った。毎回わくわくだけが募り何も進まない日々、だけどそれで良かった。電話をして半年は過ぎ、ようやく初めて出会いを交わす。

「ファッション×人」

内田を含めて5人のメンバーでYouTubeで動画配信を始めた。チャンネル登録数が10000人を超えてからのことだった。色々な方がDMなどで連絡をしてきれくれたり、紹介をしてくれた。ただファッションにおいて、自分たちのビジョンに共感してくれる人は、なかなか集まらず。会った人の大半は「稼ぐ」話がすぐに出てきて終了だった。もう連絡もしていない。

信用の切り売りに少なからずなっている事業がごまんとあると感じるし、本質的なものではないから、すぐなくなると思い続けている。でもそうしていかないと生計が立てられないし、生きていけない、葛藤は繰り返されるばかりだった。

pickiそして、CEO鈴木との出会いは、内田とやっていた事業のプレゼンをしにオフィスを訪れたのがきっかけだった。必死になって事業説明をした後に、鈴木自らアパレルの現状や過去携わってきた事業について、そして今後のビジョンについて話をしてくれた。

初めてビジョンを聞いた時は、正直焦った。ほぼまったく同じビジョンで戦おうとしている人だった。

「違いが魅力に」「一人一人をエンパワーメントしていきたい」

そしてかつ自分の何倍も前に進んでいる人だった。
「ファッション×人」
この軸を理解してくれる人は今までいなかった。ただ鈴木だけは、強く共感をして「面白いね」そう言ってくれた。

「もったいない」と言った100人で確信した自分の生きる道

就職活動自体、長くしていた方ではないが、OB訪問は100人以上の方にして頂いた。業界も様々、勤務年数も様々だったものの、全員が全員「薬学部なのにもったいない」と口を揃えてそう答えた。

「薬 学 部 な の に」そこにどんな意味がこめられていたのだろう。
専門性が高いのに、安定した職が待っているのに、高い給与が待ってるのに
どうせそんなところだろう。逆にそれ以外の理由があれば教えて欲しい。

とはいえレールを逸れた就職活動は決して順調ではなかった。

「弊社にご関心をお寄せいただいたにも関わらず、不本意な結果となり〜」
テンプレのお見送りメールを右にスライドして削除する度に、自分の中にあった圧倒的な自信も、形をなくしつつあった。

実際に製薬会社も複数受けた。その中から内定を頂いたところもあるものの、結局「自分」自身ではなくて、「自分」の外側についているたくさんのオプションを評価されている気持ちでしかなかった。

「もったいない」

自分は思ったこともない感覚に、自分がおかしいのか、周りがおかしいのか
この先不安定な世の中が続く中で、見えない未来を今の見えているわかりやすい既成事実にのせて、自分が「こういうものだ」って定義づけていくのが楽なのではないか。
そんなことも思ったが、どうせ将来どうなるかわからないし、
お金ならいくらでも稼ごうと思えば、稼げる時代だからこそ、
お金以外のために生きよう、それが最初にできた就職活動の軸だった。

1社目に就職した人材会社では新卒採用の人事を務め、採用の戦略、企画から実行まで全てのフローに携わった。
予想外の配属ではあったものの、人事の経験を通じ「これが本当にやりたいことだ」そう気づいた。
一年を通して学生さんの人生に触れ、社会人への新たなステップに挑戦する
そんな大切な時期に少しでも関われることは本望だった。
だから業務が終えてから、そして休日も学生に会い続けた。誰かの人生に口出しをすることはできない、けど自分のキャリア観を伝えることで、多くの学生が気づき、行動を変え、時には就活を辞めた人も、受ける業界を変えた人も何人もでてきた。
「過去一良い面談でした」「一緒に仕事したいです」
嬉しい言葉をかけてくれる学生さんも今では数え切れない数となっている。

面談の途中で衝撃のあまり泣きだす子も何人か出てきた。気まずい空気になることもあったが、OB訪問で会って、再度改めてあうことが少ないことはわかっていた、だからできるだけ最初にあった1時間で何か持ち帰ってもらいたいと想い、心苦しくはあったが真正面から学生にぶつかっていた。

ファッションの新たな可能性にドキドキしている

別に服なんて買わなくてもいい。今でもそう思いながら、服を買っている。

ただ、世の多くの人が服に対して求めている服自体の機能以外のものに惹かれている部分や大きい。もちろん身を纏う機能を果たさないといけないし、誰かにモテる機能を果たすものでなくてはいけないかもしれない。

もっと服から派生した価値があるのではないか。

自分と気があう人は同じような服装をしているかもしれないし、最初に仲良くなるきっかけは第一印象で、なんか合いそうだなって服の印象を決めることになっているかもしれない。制服を着ないといけない学校や、スーツを着ないといけない社会人にとってはその人自身の属性までも表している。
服は機能性を超えて、特定のコミュニティーに付随するものかもしれない。

最近ではあまり行かなくなったが、大学生の頃はよく古着屋に足を運んでいた。古着屋にいったことがある人は分かるかもしれないが、古着屋にはそれぞれ異なる世界観が滲み出ており、それは店員さんの雰囲気からも感じ取れる。毎日通いつめて、世間話をして、時には日頃の愚痴なんかも伝える。
「ちょっと時間あるから寄っていこう」そんな時もあるはずだ。

どこか昔のスナックや、いきつけのバーといった空間としての価値を提供してくれているのではないかと最近になって気づかされた。

「古着」をボロ着と勘違いする人も多いが、実際に古着の中にはすでに誰かに使用されたものも数多く存在する。
フィッシングベストについている背中のポケットには、獲った魚の口にから出たと思われる血痕が付いていることもあるし、それを見ると、いつの時代かの誰かが、海に出ていた瞬間に戻れるかもしれない。服は時間までも巻き戻してくれる。

自分はほとんどアクセサリーをつけないんだけど、最近ずっと身につけているリングがある。自分が唯一もっているリングだ。集中して作業をする時にはすぐに外してしまう、そんなリングだ。
今年に入って、初めて遊ぶ友人と、初めて降りた駅で、初めて訪れた古着屋で、購入をした。もちろんリング自体素敵なのはもちろんだったが、この想い出を形に残したい。

ある人は写真やビデオで記録するように、
自分は、旅のお土産を買う気持ちでリングを買い、友人との経験を記録した。

一人一人が持つ強い想いはブランドとしてクリエーターの自己表現の一手段として使われることもある一方で、逆に世界観やこだわりをまったく持っていない服が多く存在しているのも事実ではある。売れる商品をブランドが作り、その服を着る。多くのブランドの商品が近似してきて、皆が同じ服を着る。それがもはや流行になり、大きな意味で制服になってしまっている。

おそらく目の前からピンクのシャツに真っ赤なパンツを履いた男性が歩いてきたら、目を止めることになるだろう。
それも「この人は変わっている」といった目で。
同調圧力に負けた人たちが、また無難な服を着て、「ダサくならない」ために服を着る。

自己承認欲求に限界がきて、他人から「いいね」をもらうための生活に終わりが来る。
自己実現型の社会に変わっていく現代において、ファッションもまた新たな側面を見せてくれると信じている。

pickiは、自分の世界観を表現したい、そんな方のオリジナルブランドを世に届けていく。
時には、世界観が詰まり過ぎて、着ることができないなど従来の服の定義を超えてしまうこともあるかもしれない。
それでも構わない。

一人でも多くの人がファッションを通じて自分らしく生きられるように。
日本の文化、そして世界の文化を変えていく。
自分の違いを表現し、自分の魅力を伝えるきっかけにpickiを。

以下所属をしているpicki株式会社のコンセプトムービー です。
(自分で作成したので是非みてくれると嬉しいです!)
https://youtu.be/a1p61wcNEws

これから頑張っていきます。
宜しくお願いします。





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