ハム


 わたしはハムが大好きな子供でした。今も好き。
時々うちに遊びにきていた叔母(母の姉)も、よくおみやげにハムを買ってきてくれていました。小5くらいのとき、その叔母が、デパートで生ハムを買ってきてくれたのです。当時生ハムなんてものは、そうそうなくて、わたしも生ハムとは何かとしっかり認識したのはそれから25年くらいたってからですが、とにかく叔母はデパートで、ハムというのはもともとこういうものだと聞いたとのことだった。

 わたしは幼少時より22歳くらいまで生の肉魚が苦手で、お刺身も生魚のお寿司も、焼いた肉もちょっとでも生のところがあるとだめでした。肉の生っぽいのは今は食べられるけど特に愛はない。焼き肉だったら自分のはしっかり守ってしっかり焼きます。
もともと生もの苦手があったせいもあるけど、昭和の小学生のわたしには生ハムは食べられなくて、でも、これはハムらしいのだ、では、普段食べているハムは何なんだろうと思いはじめた。ネットはなく、家にあった百科事典には載ってなく、悩んだ末、普段のハムも生の肉ではないのかと思ってしまった。ぐぐればよい昨今、別にその言い訳ではなく、でも、あえて調べずに、何だろうとえんえんと考えながら過ごすのはわりと好き。

 昔のエスキモー/イヌイットの生活では娯楽として、誰かの家で集まって、「象という動物がいてすごく大きくて鼻が長いらしい」「ではその鼻はどうやって何に使うのだ」みたいなことを、えんえんとみんなで話すというのを昔読んだことがありますが、それはきっと楽しい。
ちなみに、エスキモー/イヌイットの人生には3つの柱があって、仕事、娯楽、休息だそうで、子育ては娯楽に入ってるというのもそこで読んだ。子供が独り立ちして家を出ていくと、親のいない子供をひきとって育てるのだそうだ。仕事じゃなくて楽しみで。仕事だと成果とか考えてしまう。子育て中は、しんどくなったらそれを思い出すようにしていた。

 小さい頃、生ものは苦手なのに酢締めのサバは大好きで、それも調理法を知らないまま、なんとなく火が通してあるっぽいと思っていた。身は一応白っぽくなってるし。親戚のあいだでは、わたしはバッテラとカレーが好きな子として知られており、いまだにそう言われている。ありますよね、親戚のおばちゃんおっちゃんのあいだではウン十年前にセットされた情報がそのまま保存されているというの。うちの母は一人娘であるわたしが大根苦手なので、孫であるわたしの娘が大根を食べているのをみて「子供なのにめずらしい」と言っていたけど、それは違う意味でまた世界が狭い。

 22歳で上京して一人暮らしをして外食をするようになったとき、なんだかいろいろ挑戦してみたい気分で試してみたら、いろいろいけた。お刺身も食べられるようになった。居酒屋のメニューのほとんどは食べたことないものばかりで、はしから順番に試していくのはとても楽しかった。

 外食しない家庭だったのと、父が好き嫌いが多かったので、グラタンとか親子丼とか麻婆豆腐とか焼肉も食べたことがなく、テレビのCMを見て、あれはどういう味なのかを想像するのも、まあ、楽しいといえば楽しかったかもしれない。麻婆豆腐はあの色から、トマト味なのだと思っていた。
大学生のときはとにかくお金がなくて、コンパというものにほぼ出たことがなかったので、居酒屋も行ったことがなかった。
一度だけ出てみたコンパは、なんか大学の近所のスナックで、ウイスキーの水割りを女子が作らねばならず、食べ物はポッキーとかレーズンバターとかしかなく、こんなもんにお金は使いたくないと心の底から思い、教授のセクハラめいた言動も苦手で、以来一切そういうのには出るのをやめた。

 その後、ハムをどうやって克服したかというと、調理法を知って解決したというわけでは全然なく、3年くらいたって、やっぱ食べたいと思ったら気持ち悪くなかった(あっさり)。
24歳のときに、ユッケのような生肉もとくに好きじゃないけど食べられるようになったのですが、それは、鯨料理屋へ連れて行ってもらってお刺し身を食べたときに、「ほんの数年前までお刺身食べられなかったんですよ〜。いまでも動物のお肉の生のは苦手ですけど」と話したら、そこにいた人に「鯨は哺乳類だよ」って言われて、それから食べられるようになったのだった(あっさり)。

 好き嫌いのほかに、とくに嫌いじゃないけどわたしの人生になくてもまあいいかなくらいのものってあるけど、わたしは、おでんもあまり愛がない。練り物は大好きなのだけど、汁で煮ている練り物にあまり愛がない。ゆでたまごも、じゃがいもも、がんもどきも、牛スジも、ちくわも、他の調理法のほうが好き。そしてもちろんおでんの大根には愛がない。カニとかエビとかイクラとかウニにもあまり愛がないので経済的ではある。ひとそれぞれなので、ハムに愛がない人ももちろんいて共存の方法をみつければよいと思う。かわいそうとかもったいないとか美味しいのを食べたら変わるよとか楽しみを知らないと言うのも言われるのも苦手です。

 ところで、ham というのは、豚のもも、または、豚のもも肉のことで、いわゆるハムは「豚のもも肉を塩漬けして燻製したもの」。アメリカのスーパーで季節のイベント前になると、七面鳥まるごとパックや、豚もも肉まるごとを塩漬け燻製したハムまるごとパックとかが、ごろごろと床に置いてあります。
ある日、そのハムをぼんやり見ていると、boneless hamって書いてあった。ぼんやり、ボンレスハムか〜…、と通り過ぎようとして、bonelessってことは、骨がないってことじゃん!と、ハタと気づきました。
それまで、「ボンレス」っていう部位かなにかだと思っていた。
なので、もちろんそういうまるごとハムには、bone-in hamもある。

 生ハムの思い出をもうひとつ。
5年位前に、職場の友人3人といっしょに生ハム1本(豚のモモ1本)を共同で買って、それぞれスライスして持って帰ったり(薄く切るのは割と難しい)、パスタパーティーしたりしていました。
年末にわたしがラスト出勤だったので、生ハム仲間のうちわりと近くに住んでいるひとりが、お正月用に生ハム持って帰ってきてくれたら途中の駅で受け取って、そこから車で送ると言ってくれて、そのとおり生ハムを自分ち用と、その人用とにラップでくるんで、その他年末に家で必要なものと一緒に持って帰ったのです。途中、電車を乗り換えるときに、うたた寝からハッと起きて、その紙袋を置き忘れました。

 降りてすぐ気づいたので、駅員さんに話したけど、すぐには確認できないから、あとでその電車の終着駅に電話してと言われ、生ハムを待つ人に連絡…。もうすでに駅で待ってるとのことで、生ハムないのに、家まで送ってもらいました(すみません)。

 そして、そのあと終着駅に電話してもないのでメインの忘れ物センターに連絡するように言われました。
忘れ物センターに電話すると、氏名や電話番号のほか、忘れ物の内容物を詳しく聞かれます(当然と思います)。
忘れ物の内容は、まずラップで包まれた「生ハム」が2つ。そして、自分の自主制作冊子が5種類(自主制作冊子の委託イベントが終わって、在庫が戻ってきたところだった)。その、本はどういうものかと、ことこまかに聞かれました。「えー…、ハガキサイズの16ページくらいの本でして…、ふつうの売ってる本じゃなくて…、自分で作ってるやつなんですけど…、何種類かあってタイトルは色々なんですけど、全部にどこかに、モンモンブックスって書いてあります…」
「も、ん、も、ん、ぶっ、く、す…(メモしている様子)、ひらがなですか?」
「…アルファベットで、m,o,n,m,o,n,b,o,o,k,sです…」

…なにかの罰ゲームですか(←生ハムをなくした罰)…涙…。

 その日は生ハム(と自費出版冊子)はセンターに届いてなくて、もう無理かと思ってたけど、なんと、翌日それっぽいものが届いたという電話がありました!

 受け取りに行くと、カウンターでまた前記の内容物詳細を話して(冊子のタイトルも)、そこで職員さんが目の前でひとつひとつ確認するという罰ゲーム・アゲインでしたけど、無事、生ハム(と冊子)は戻ってきました。
その足で生ハムを同僚に届けに行って、無事、みんなが生ハムのあるお正月を迎えることができました。★

『NO GOAT WANTS MY PRESENT』

わたしのプレゼントをほしいヤギはいない

エッセイ52本とイラスト82点(1200円)

2023年5月21日(日)文学フリマ東京【V-05 第一展示場】に出てます!

通信販売は https://monmonbooks.thebase.in/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?