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教育を求めて戦うアフガニスタンの人々

先日、誕生日を迎えた当日。
精神的に辛さが続いていて
そんなめでたい日ですら
かなり落ち込んでしまって大変だった。

そんな中Twitterを開いたら。
アフガニスタンの女性たちの動画が出てきた。
女性の教育の機会を奪おうとするタリバンへの
はっきりとした抵抗を示しているものだった。
タリバンがどんな連中かを知っていて
やっているのだからどれほどの勇気だろう。涙が出た。

角度の違う別の動画では、この会場全体の熱気
のようなものを感じる。

この間米軍が撤退したことで
少し報道されていたが、今は殆どの報道が
おそらくウクライナとロシア一色だろうから
アフガニスタンに関する話題は減っているかもしれない。

アフガニスタンは1979年からソ連と十年間戦争になった。
その後、国内が内戦に突入し、そこへ現れたタリバンが
自分たちの思想を人々へ押し付けて
人権を無視した酷い支配を行っていた。
そうしたところへ2001年アメリカが攻撃することになる。

アフガニスタンで何が起きているのか?について
割と日本や世界は無関心な様子だった。
あんな風に米軍が撤退した後のアフガニスタンは
一体どうなったのだろう?という感心も
現在の国内においてそれほど高まっているようにも感じない。
けれどそこに戦っている人々がいることを
もっともっと多くの人に知られたらと願う。

その理由は、どんな状況にあろうと困難にめげずに
立ち向かうその人たちの本当の勇気には
平和な場所で見ているしかない私達にも
勇気を与え希望を与え、
「世界なんてだめなところだ」「しょせん人間は」
等と言う諦めの思い込みを打ち捨てられる力がある。
同時に、知ることによって何が出来るかを考えられる。

私達一人一人の生きているシステム上、どんなことを言おうと
きれいごとになりかねないかもしれない。

そうだとしても「平和なんて理想だ」なんだと口にする人は、
理想を追い求めて平和に貢献している多くの人達に対し
自分の諦めを押し付ける必要はない。
平和が理想云々というなら、争いが起きている国の人達など
自分には関係ないからどうでも良いと言うのだろうか。
人の命にかかわる事に「きれーごと」なんかある?
私はないと思う。おおごとじゃない?

平和にならないのは何故かと考える時、
そこには沢山の理由がある。ただ
私たち自身が「世界は平和にならない」という
諦めを持っている事も理由の一つかもしれないと思う。

アフガニスタンではこれまでも多くの一般の方々が
自分の国のためにと勇気ある行動をとってこられている。

何も教育に不自由することもなく自由勝手に生きてきた
私は、この場に居たらタリバンが怖くて怖くて
たまらなかっただろう。
ましてPTSDは私を精神的に攻撃し続けている。
けれどたかがPTSDだと思う。この人たちの戦いを見たら。

一日も早くアフガニスタンの人達が平等に教育の機会に恵まれ
何にも脅かされない平和な生活が訪れますように心から祈ります。


記事ではこれまで語尾を「です、ます」などで統一してきたのですが
長文になるため変えました。

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