おじいちゃんに会いたいと思った話


note初めての投稿です。よろしくお願いします。

今朝家族で笑った。
大好きなおじいちゃんを思い出した。隣で笑ってる母には言えないけど、おじいちゃんにまた会いたいと思った。

思い出す、というのは、当然だけど、おじいちゃん、そしておじいちゃんとの経験がわたしの脳に記憶されているから、です。

では記憶って何だろう?どうしてふと、ある記憶の中にある人に会いたいと思うんだろう?

生物学でいうと、記憶の中枢は大脳と小脳にあります。
そして「陳述的記憶」つまり計算や感じなど頭で覚えることは、海馬が大きな役割を果たし、「手書き記憶」つまり見たり聞いたり、体験したことの記憶は大脳基底核と小脳が中枢を担っている。

人が体験したことに対する神経細胞の働きを細かく見ていくと、その内容の質、例えば母親に関するものだったり、昨日食べた朝ごはんに関するものだったり、に関わらず、全ては電気信号となり、一つ一つの膨大インプットのが連鎖し脳内を駆け巡る。

あなたの母親の顔は、最初は大量の光子(フォトン)としてあなたの網膜に降りそそぎ、網膜が視覚野にシグナルを送る。声を聞けば、聴覚野が音波を電気信号に変換する。ホルモンは、「この人といるといい気分」というように、経験に文脈を添える。

2017年7月19日『Neuron』誌に掲載された論文の共著者神経科学者のニコライ・ククシュキンは、「典型的な記憶とは、過去のある時点で活発だった脳の複数の部位のつながりが、再び活性化することでしかないのです」と言っています。そして記憶にかかわるニューロンには可塑性(外界の刺激などによって常に機能的・構造的な変化を起こすこと)と呼ばれる特性があり、言い換えると、記憶とは「システムそのもの」ということです。

ニューロン、制御分子、それによって生じたシナプスには、関連するすべての副次的事象が、その発生の時系列とともにエンコードされていて、経験全体がひとまとまりとして、いわゆるタイムウィンドウ(時間窓)のなかに収められている、と言っています。

そしてこの記憶が時間的スケールを持つのは、脳内の分子、細胞、シナプスが「時間を理解している」からなのだ、ということが、ククシュキンらの論文で明らかにされています。

一緒に北海道へ旅行した日、晩御飯を食べながら歌った日、食べ物を粗末にしたから、と怒られた日。
そして突然いなくなって、多くの人がおじいちゃんにお別れを言いにきてくれた日。

こういった記憶は、いつも写真や映画のようにミリ秒単位の瞬間的な印象の連続として思い出され、そしてその時の感情をわたしは追体験する。

この印象が記憶の元になるもので、「わたし自身」の元でもあるのです。わたし自身とは、物質としてだけでなく、わたしが知覚する事象の表象でもあるのです。

以上、情報環世界という言葉を聞いて、今までなんとなく思っていたことを書いて見ました。
これをデザインにも応用していきたいんだけど、、勉強を続けます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?