さよならのタイミング はじまりのはじめ方

先日、ひとつの関係に終わりを告げた。
彼とわたしは去年の夏に出会い、お互いに惹かれ合いながらも、わたしはスペインで、彼は日本で学生をしているので、一般的な付き合う、ということをしていない。
離れている時もメッセージや電話で連絡をとり合い、この夏帰国した時も会って体を重ねた。
でも、この曖昧な関係が嫌で、よくやりとりしていたインスタのアカウントをブロックし、もう会わない、と彼に伝えた。

わたしはいまスペインで学生をしていて、今秋からスペインに暮らしはじめて3年目になります。
大学に通っていて、割と開かれた学校で留学生も多いので、英語8割、スペ語1.7割、日本語0.3割の生活です。
出会う人みんなそれぞれバックグラウンドが違うので、仲良くなっても一緒に過ごせる時間は数ヶ月から1年くらい、でもだからこそ彼らとは濃密な時間が過ごせたし、離れ離れになるのは辛かったけど悲しくはなかったです。
それは多分、また必ず会えると信じているからと、お互い自立し違いを認めながら、いろんな体験を共有できていたからだと思います。

冒頭の彼との別れの後は、わたしは悲しむべきじゃないと思っていた。
わたしから告げた別れだし、はっきりしない関係に執着しそうな自分がいたからだ。
それでもその直後は、何を見ても聞いても涙が出たし、眠れなくて、瀬戸内寂聴さんの言葉を検索して夜通し読んだり、恋愛初心者であるわたしはいろんなブログを読み漁ったりして、それなりに落ち込んでいた。

この別れの違い、恋愛の方でより「辛さ」を感じるのは、わたしが彼に期待してしまっていた所為で、気持ちが一方通行だったからだと思います。
体験を共有する関係ではなく、むしろ彼の気持ちを所有していたいという自己中心的でしかない気持ちだったから。
(恋愛の終わりはいつもそう)
そしてそのあとの辛さも、はけ口を持たず、消化できるのは良くも悪くも、時間しかないからなんだと思います。


今まで自分が心地よく感じていた何かから離れることはとても辛いです。
恋愛もそうだし、友達や家族みんながいる日本、大好きな日本を離れることもいつも辛い。
そして、時間がもっと早く過ぎてしまえばいいのにと思います。

でも、物理空間で時間は誰の上にも平等に流れるものだし、起こった出来事に良いも悪いもありません。
ただその時間や体験に意味や価値を与えらえるのは自分自身だけです。
ここまで心を揺さぶられたこと、彼と出会ったのは何か意味があったからで、過ごした時間も、「さよなら」も、後からいくらでも昇華させることができるはず。

辛い時こそ手を動かし、自分のアップデートに時間を使うべきなんだと思い、いろんなことに挑戦し始めました。noteを書き始めたのもそのひとつで、インスタにもできる限り作品を載せるようにしています。
そうして将来目標を達成した時に、あの出会いがあってよかったと言える素敵な人になれるし、辛い人の気持ちがわかって励ましてあげられる、優しい人になれると良いなと思います。




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