ワスレバナ~wasurebana First story~前編

・・・くっ
全身に鈍い痛みを感じ気が付くと、私は地面に転がっていた。

―――ここは、、、

仰向けの状態から私が見た景色は、自分の背丈より高い岩の壁。
その上は傾斜のきつい山肌が見えた。

・・・そうだ。
私は植物の調査に訪れた地元の山の頂上で、珍しい薬草を発見し採取することに気をとられ足を滑らせ・・・ここに着地、というわけか。

全身を強く打って暫く気絶していたようだ。

意識がはっきりと戻ってきた私は、寝転がったまま事の経緯を頭で確認していた。

「そういう冷静なところが、兄さんの長所であって短所だな」

ふと、弟が昔から私によく言っていたことを思い出した。

・・・懐かしいな。

十年振りに帰省したが、実家にも寄らず山へ直行したので弟には会っていない。

・・・さて。
手、足を少しずつ動かしてみた。痛みはあるが、運よく動く。折れてはなさそうだ。
ゆっくりと起き上がり、周りを見渡す。見たことのない景色だ。子供の頃からよく登っていた山だったが、こんな場所は来たことがない。辺りは草が生い茂っていて、少しばかりクッションになったのかもしれない。

どうやら山の中腹にある窪みのような所に落ちたようだ。
大体の位置はわかった。おそらく岩壁とは反対側を真っすぐ下れば、いつもの山道に出る筈だ。

・・・が、そちらもなかなかの急斜面。
動けるが、降りるには少し時間がかかりそうだ。もうすぐ日が暮れる。朝までここで待機して、日の出とともに降りる方が賢明と判断した私は、持参していた懐中電灯を手にし、岩壁を背にして座り夜が明けるのを待つことにした。

少し肌寒いが、季節的になんとか上着で暖はとれるくらいの気温だ。運が良い。このまま何事もなく下山できそうな気がしてきた。

「すぐそうやって運に頼る」

母が・・・そういえば私によくにそう言っては呆れていたな。
もし私が無事、山から戻りこの話をしたら、同じことを言うだろか。

だが、今はもう確かめようもない。


母が亡くなったのは、私が植物の研究をする為、家を出て二年経った頃だ。
私はその間、一度も実家に帰らず仕事に没頭し、弟からの母が病気だという連絡も、病院から危篤だという連絡も、葬式が終わったという連絡すら、すべて留守電で聞いて知ることになった。

母は私に心配をかけまいと、弟には黙っていろと言ったそうだ。
だけど、母子家庭で育った私たちにとって、たった一人の親。弟は私が後で後悔しないようにと連絡をくれていた、なのに私は・・・

今回の帰省も、弟には連絡せず黙って帰って来たので、私が今この山に登っていることも、こうやって事故に遭って山から下りられずにいることも何も知らない。

今は実家に帰っていない、ではなく帰れない、のが正しい。

母から一度だけ、手紙が届いたことがあった。私の身体の心配と、実家や地元の様子が綴られているだけのものだったが、故郷を離れた私にとってそれはとても新鮮で、印象的だった。

その手紙の中で母が、「何という名前の植物かはわからないが、とても美しい花が咲いていた。あなたなら、きっとその花の名前がわかるのでしょうね」と綴られていたその花がなんだったのか、長らく頭の片隅で気になっていたのを覚えている。

そんなことがあるからだろうか、地元の山を調査しようと思ったのは。
その花を発見し名前がわかったとして、もう報告して喜ぶ相手もいないのに。
そして今、このざまだ。

地元に戻って山を登っている間、昔のことがこうやって次々と思い出された。弟が言うように、「私は植物にしか興味のない薄情な人間」なので、ここに来るまで、母からの手紙のことも正直、忘れていた。

母、弟・・・思い出す度、記憶が胸を刺す。

静かに深い闇が自分を包んでいた。

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