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『色の歳時記』‐シックス・センス‐

今晩は。
添 実のりです。

私がパーソナリティを務める番組『色の歳時記』。
季節的なお話は冒頭に集約し、
映画やドラマ、キャラクターなどの場面や衣装の色を題材に
お話しするような形にしました。
    *
その第3弾は映画『シックス・センス』。
何はともあれ、映画を観ようと
配信サイトをチェックするも、ほとんどリストにない💦
Amazon Primeでは「あなたの地域では閲覧できない」みたいな
メッセージが出て、本編を前にミステリーを感じました。
結局はブックオフでDVDを手に入れ鑑賞。
*     *     *
主人公:マルコム博士(精神科医)
コール:小学生、マルコム博士と交流を持つ
マルコムの妻:アンナ
コールの母:
主だった登場人物はこれだけ。

ネタバレですが、
この作品の監督曰く、赤を用いることにより
生と死の境界線を表現したかったそうです。

*     *     *

そんな<赤>の意味がバレているなか、
専門家としてさらに一段深く、
考察しなくちゃ! と。

【いじめっ子の誕生日会、赤いセーター】
霊的存在が見えたり、会話できてしまう
コール少年を気味悪く思う人は多く、
同級生にいじめられることも。
そんないじめっ子から誕生日会の誘いを受け
コールはママとともに参加。
真っ赤なセーターを着たコールは、
会場で赤い風船が家の最上階に上っていくのを観止めます。

赤い風船がとどまる場所=霊的存在の居場所。
風船に導かれるように最上階に向かうコール。
風船が行き止まった場所で、霊の声を聴くことに。

コールの真っ赤なセーター。
パーティーの主催者との関係を考えれば、
目立つことを嫌うはず。
なのに真っ赤なセーターを着るなんて。
きっと意味があるはず…それは「魔除け」

実際、コールの部屋には
テントのような大きな赤い布で覆われた祭壇がありました。
赤が自分を守ると信じていたのではないでしょうか。
(その感覚、正解!)

【病弱な少女を殺した母。偲ぶ会の赤いスーツ】
コール少年がはじめて霊と会話し、
何を求められているのかを知ったシーン。
母が食事に毒を入れていることを
少女は知っていたけれど、避けることができず死亡。
霊となった少女は、
事実を父親に伝えたくVHSに録画していました。
それを父親に渡したい…と。

その少女を偲ぶ会(?)。
出席者がほとんど黒い装いなのに
少女の母親だけが、なぜか真っ赤なスーツ。
VHSを観た父親は母親に「おまえが殺したんだな」。

【鮮やかな赤のスーツの母親】
やましい気持ちがあるならば、
目立たない服装を選ぶもの。
なのに、この母親はなぜ
真っ赤なスーツを着たのか……。

嫉妬、あるいは独占欲。
夫の、娘に対する愛情を母が羨んだのではないか。
そこに赤を感じました。

 *   *   *

そして最後は、コール少年のママ。
【夜中のキッチン】
ある日の夜中、コール少年が
キッチンからの気配を感じて近づくと、
ママがローブをまとって立っていました。
振り返ったママは、
目の周りは睡眠不足で真っ黒、
両手首の傷を見せながら
「これ以上、何しろと言うの⁉」と訴えて。
その姿は死霊のようでした。

そのときのローブの色がコーラル。
コーラルには“犠牲的な愛”というキーワードもあります。
映像やセリフから察するに、
ママは元夫からDVを受けていた。
けれど息子を守るために夫に抵抗し、
精神的にもバランスを欠いていたのではないか
と思うのです。

【渋滞の車のなかでの親子の会話】
映画の終盤、コールのママが運転する車が
自転車事故により渋滞に巻き込まれます。
そこでコールは死者が見えたり、
話ができることをママに伝えます。

最初は信じなかったママ。
けれどコールの祖母とママしか知らない歴史を
コールが話し出した時、
はじめてママは理解します。

そのときママが着ていたセーターが
オレンジがかったコーラル色でした。
祖母とママの和解、
コールの特技への理解。
祖母、ママ、コールが家族として一つになった瞬間。

コーラルは、
個より集団を優先した幸せを求める色。
1人ひとりの幸せの追求はもちろんだけど、
まずは家族として信じあうことで
一歩前進するわけです。

*   *   *
最後にオマケ。
【マルコム博士の気づき】
マルコムが死者になったことに気づいたのは
リビングの妻アンナの寝姿でした。
唇と頬を赤く染めたアンナ。
その姿を見ているうちに、
このところの夫婦のすれ違いを場面として思い出すのです。
・一人分の食事
・結婚記念日のディナー
そこから、
アンナが自分の姿を見えていない=霊になったのだと
マルコム博士は気づきます。

*    *    *

映画はここで終わるのですが、
観終わって感じたことが、私にはあります。

それは
「ものごとをどの視点から見るか」。
映画では終盤までマルコム博士は
生きている人として描かれています。
だから妻と不仲に見えるのです。
でも、マルコムが死者でアンナに見えないとしたら、
夫を忘れられない寂しい未亡人、
となるわけです。

そこから私の気づきをお話すると…。
1つの視点でしか物事を判断していない場合と
複数の視点で捉えた場合とでは、
・見える(理解できる)世界が異なる
・誰かと衝突しにくい
・人間関係が格段に向上する
つまり、人生の深みが増すわけなんです。

課題として観た映画でしたが、
たくさんの学びがあって、良い映画でした。
(これからご覧になる方、ネタバレでごめんなさい)

以上