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『母を亡くして』…父娘ふたり旅

2023年7月9日に逝去した母にまつわる話です。
   *     *    *
母の親戚は関東に集中しているのに対し、
父は新潟出身で親戚も新潟県内。
葬儀には“親戚代表”が車で駆けつけてくれたが、
参列が叶わなかった方たちへの挨拶回りのため、
四十九日法要を終えて車で新潟に向かった。
父娘ふたりだけの旅、
まして泊まりでなんて、考えたこともなかった。

「同室でなくてもいいぞ」
ホテルの予約にあたって父は私に気を使ったが、
照れや毛嫌いする多感な時期はとうに過ぎてる。
別室にこだわる理由はなかった。

私も弟も実家を巣立って久しい。
母と2人で暮らしていた一軒家での、望まぬ独り暮らし。
それでも納骨まで父は、骨壺に母を感じていた。
祭壇が撤去されて、気持ちの整理がついたようだった。

旅がはじまった。
天気も良く、渋滞にも合わずに新潟に到着。
親戚たちは一軒に集合していてくれていた。
義兄妹にあたる叔父叔母は
母の死をどのくらい悲しんでいるのだろう。
気になっていたのだが、それぞれに思い出話を聞かせてくれ、
彼らの気持ちを疑った自分を恥じた。

不健康自慢を競うような、叔父叔母の話が楽しかった。
若い頃は聞き取りにくかった言葉が、
気づけば聞き取れていて、対等に話せていたのを実感できた。
でもそれは、方言のせいではなく、
「どうせ解らない」という
先入観が邪魔していたのだと気づかされた。

翌日は弥彦神社で参拝したあと酒蔵見学を経て、
関越自動車道で帰路に向かった。
赤城高原SAでソフトクリームを食べ、
越後川口では大きくカーブを描いて流れる信濃川を眺めた。

じつは、その光景は10年前にもあった。
母と父、私が車で新潟に帰省したとき、
同じように信濃川をバックに撮影。
その写真は今も実家のリビングに飾られている。
私と父は意識的に、写真をなぞる行動をとったのだ。
当時の、母の気持ちに近づくために。

(了)