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『母を亡くして』…茅ケ崎へ

2023年7月9日に逝去した母にまつわる話です。
   *     *    *
今日は、両親が結婚直後に住み始めた茅ケ崎に来ている。
母の銀行口座を閉じるにあたり、
母が戸籍を置いていたすべての場所の謄本を得る必要があり、
この日、茅ケ崎市役所を訪れたのだ。
私はここで生まれた。
この地を離れたのは40年も前のことだ。



私たち家族が住んでいたのは、平和町という茅ケ崎の外れ。
近くに辻堂行きのバス停があったこともあり、
買い物などの用事は辻堂を使うことが多かった。

今日も、当時を思い出すため辻堂駅からバスに乗った。
当時は「東光ストア」がランドマークだったが、
その建物はおろか、バス停のある駅前は寂しい限りだった。
バスに乗り込む。
そして「平和学園前」で下車。
学園をみれば見当がつくと思っていたのだが、あまりの拡大ぶりに面喰う。

平和学園の隣は、結核を患う子供たちの収容施設だった。
全体的な印象はかなり変わっていたが、
敷地の隅にあった当時の石の門柱が手掛かりとなり、
生家跡にたどり着くことができた。

丘のような土地に20軒弱の家が立ち並ぶ。
新しい家がすき間もないほど密集している。
なのに、そこを歩く私の目には、40年前の景色が映っていた。

当時は道も舗装されておらず、いくつか空き地があった。
ニセアカシアの白い花の蜜を吸ったり、
ヤマゴボウの紫色の実を絞って色水遊びをしたものだった。

見覚えのあるブロック塀。
小さい頃、私が母の言いつけを守らないと、
“家出”といって母は家の外に行くのだが、
隣家の塀の凹みに身を隠し、私たち姉弟の様子をうかがった。
そのブロック塀が目に入ったとたん、
思い出が一気にあふれ出し、涙が頬を伝った。


茅ケ崎市役所で除籍になった謄本を取り寄せ、
(加山)雄三通りから海岸に出た。
久しぶりに聴く波の音、母の人生をなぞる旅は終わった。


(了)