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日系企業の広報で経験した広報担当者の苦悩とトンデモ上司。

今回は、ちょっと趣向を変えて、これまでの広報生活約30年で経験した広報担当者としての苦悩と、トンデモ上司について。
広報を長年経験していると稀に、すごい方に出会います。
著名人や名だたるビジネスパーソンなど、これまでの経験上ご一緒した方はたくさんいますが、広報担当者の苦悩としては、自分のミスや外部要因に起因する読みの甘さなどによる、炎上などがあります。
また、空気の読めないトンデモ上司について紹介したいと思います。

広報担当者の苦悩

今から、約30年ほど前ですが、誰もが知っている大手通信会社の広報担当を新任研修後の配属から拝命し、右も左もわからないまま、広報の世界に飛び込み、知見や経験を経て、今の広報のスキルが培われました。
そんな中でも一番初めの会社である大手通信会社。この会社は、今でこそ、誰もが知る企業ですが、当時は、親会社から捨てられた会社で、広報担当者は、会社案内作成から会社案内ビデオ、取材、プレスリリースをはじめ今であれば、問題になるレベルの残業を経て、何とか毎日を過ごしていたような気がします。

そんな中での苦悩は、いくつもありますが、一番印象に残った出来事は、

  1. ジャイアンツ戦とネットワーク障害

  2. 洪水による基地局の水没とネットワーク障害

この2点にすべてが集約されています。
これまで、広報担当者はバランス感覚や様々な事象を想定する予見が必要(最悪を想定した)と言ってきましたが、まさにそれを体験した事象でした。
ます、1のジャイアンツ戦。これは、関東全域で通話ができない事象が発生しているのではないかと、報道機関から問い合わせがあり、その報道機関が、某新聞社(竹橋)で、たまたまジャイアンツの開幕戦とかさなり、ネットワークや設備関連の部門に状況を聞いたところ、大掛かりな障害はおきておらず、そのまま、ジャイアンツ戦のため回線が混んでいると回答したことに起因します。
結果として、関東全域で、通話ができない状況が夜中まで続き、当該報道機関に対して、広報部に集中砲火を浴びる結果になりました。
最終的には、初報、第二報、最終報と総務省記者クラブ(当時、郵政省記者クラブ)の幹事会社に説明し、落ち着きましたが、若手時代の非常に安易な対応による炎上が経験上色濃く残っています。
次に、2ですが、これは洪水による基地局の水没が原因で某県一体で通信ができなくなった事象でした。この洪水が起きたタイミングで、僕は某新聞社による設備部部長の取材の陪席をしていましたが、広報部長に取材はいいから、と部屋まで記者がいる中で呼び出された記憶があります。
これには、記者もびっくりで、正直に障害が発生しており、設備部長と共に、取材を切り上げた記憶があります。さらに、後にも先にもありませんが、企業の広報部で連絡先の携帯電話を緊急でプレスリリースに掲載するということもした記憶があります。
今考えると、広報部長の呼び出しは英断であり、緊急時に優先すべき事象として、講演やトレーニングで、過去の事例として挙げさせていただいております。

結果として、報道機関と記者からは、広報部として最善の方法だと当時を知る記者の間では飲み会の席で、話に上がります。

リークと広報担当者の苦悩

同じ、大手通信会社での出来事ですが、広報担当者として一番苦悩したのは、某経済新聞の記者。最近では、夜討ち朝駆けといって、経営幹部の自宅に張り付くことはしないと聞いていますが、以前は日常茶飯事。
広報担当者としては気が気じゃない毎日でした。その経済新聞の記者の方は、代表取締役の社用車に同乗して毎朝、会社に来る方で、その社内で広報部の端緒を知らない事象や、出資にまつわる話など、オフレコで聞いており、それを広報部にしれっとぶつける方で、非常に勉強になりました。

会社は取締役会や臨時株主総会などをへで重要事項は決まりますが、必ずと言ってその記者に事前に概要が伝わっているため、情報をコントロールするのに非常に苦労をした思い出があります。

今は、おそらく安全性や働き方改革をはじめ、報道機関でもそのようなことはないと聞いていますが、当時は、毎朝戦々恐々としたものです。

トンデモ上司の対応

縁あって、通信会社在籍時に、米国に広報戦略のOJTに行かせていただいていた時のこと。当時は、ニューヨークのテロ直後で、セキュリティは厳しく、日本から訪米する幹部の足回りやホテル、ゴルフなどの手配もしていた時のこと。今は、厳しくなり、ゴルフ場の予約やホテルなどは、秘書課でやりますが、当時は、困ったら、米国にいる広報担当へという不文律がありmそれに対応していたものです。
そんな折、IR関係のロードショウ(投資家説明会)が米国ニューヨークで開催される運びになり、トンデモ上司からの依頼は、幹部7名が渡米するから、リムジンを手配しろというもの。当時、テロ直後は、カーサービスがダウンタウンにあり(現在は不明ですが)ほぼ壊滅状態のため、苦労して、リムジンを7台(すべて白)、JFK空港に手配して、空港でよくあるプラカードをもって立っていた時の話です。

幹部をホテルに送り、米国時間夜中の3時過ぎに自室の電話が鳴り、出たとたんに、罵倒されたことがあります。理由は・・・
用意したリムジンの色が黒ではなかったという理由です。
ひたすら電話口で、叫ぶ上司の声が耳につき、今でも昨日のように思い出されます。さんざん電話口で怒鳴られ、最後には、「ビジネスは、結婚式じゃねー」と言われたことを覚えています。

また、同じトンデモ上司に、上司とクライアントの社長のホテルを手配したときのこと。僕は、直接ホテルに赴き、2部屋を予約し、予約表をトンデモ上司にい送りましたが、上司の勘違いで、そのクライアントの社長と同室宿泊と間違われ、ロンドンから国際電話で怒鳴られたこともありました。

結果として、トンデモ上司の英語がうまくレセプション’(受付)に伝わらないことが原因でしたが、こんな上司と数年付き合っていると、怖いものがなくなると同時に、細かいことに広報担当して目が行き届くようになったので、今は、笑い話として、飲み会の肴になっています。

皆さんもいろんな経験を広報としてあると思います。話せること、話せないこと、これからも、発信していきますね。






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