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vol.2私的看護の話

美容院に行くときコンタクトにすると、帰りに声をかけられるので、髪の毛と眼鏡ってその人を決める大事な要素なんだなと思った今日このころです。怖すぎて早足になったら転んだので、急に話しかけるのはやめていただきたいですね。
やっぱり髪の毛ボサボサでメガネはモテないみたいです。

最近は日傘と日焼け止めだけで日差しと戦っていますが、夏には肌がこげパンになっているかもしれません。

メガネパン。

さて、今回は看護の話をします。
まさか私が2記事目に看護のことを書くとは思いませんでした。
というのも、初めは看護が好きじゃなかったからです。
あくまでも私の看護感想文だと思って読んでください。本質は奥深すぎてよくわかりません。
ご容赦ください。

診療の補助と療養上の世話

看護はもともと母親業だったと思います。
学生の時に講義でマザー・テレサやナイチンゲールの話から、環境整備や困っている人の援助をする、いわゆるケアのことを知ります。

男は狩りに、女は家で家事を。
そんな時代は、療養上の世話は女性がしていたと思います。女性が社会進出をして、共働きがほとんどになった今の時代。そして医療が発達して長生きできてしまう時代。女性が家で療養上の世話をするのは無理でしょう。
だから家の外で、それをしてくれる人が必要になったのだと思っています。
保育、看護、介護は昔からあった仕事ですが、お金の絡む仕事になったのは今だからこそ。
私は療養上の世話において、看護は誰でもできることであると思いました。
だからといって給与が低くていい理由にはなりませんし、誰でもできない部分があるから専門職でもあります。それは間違えてはいけません。

看護師はなんでも屋ではありません。

出来ることは自分で行うことを促し、出来ないことを助ける仕事です。
その人がその人らしく生きていくために生活を援助することが私は看護だと思っていて、重症度に合わせるのはもちろんですが、相手と自分のために全部やってはいけないと思っています。
(その人らしく、っていうのがもう看護に毒されている感じもしています。使う日本語が段々おかしくなっているのは諦めています。)

あの人はやってくれるのに、あの人はやってくれない。
看護学としては弱い部分かなと感じています。
あなたの看護観は?というレポートを社会人になって書く世界です。
看護学のスタンダードが人の価値観で揺らぎやすいことが原因でしょうか。

あとは業務独占&拡大しがちで、それは多職種さんの仕事では…?みたいなことも、それはやるからやらないで!みたいなこともあり、チーム業務の意味ないじゃ~ん!ってことがよくあります。
多職種との境界が曖昧で、繋ぐ役割、であるからこそ、境界を引いてお願いしお願いされて区別していかないと、優しさや思いやりの数とともに仕事が増えるだけかなと個人的には思っています。

それをすることが本当にその人のためなのか、そしてそれは自分の仕事なのか、分からなくなりますね。

十人十色。

人間関係なので、患者と看護師の相性は確実にあります。
様々な価値観があることに救われ、傷つけられる世界だなと思います。
これは看護師同士、医療者同士でもありえます。

同じアイドルグループが好きなのに、ファン同士で世界観が違うと仲良くできないのと同じです。同担拒否みたいなのは、私と世界観が違うので怖いです。
看護においても同じで、強烈な看護愛がある人は、私に看護愛はないと言われているように感じてしまうので苦手でした。

看護師の仕事

患者の体調管理、薬剤の確認、点滴、創処置、食事介助、清拭、入浴、睡眠、メンタルケア、記録、引継ぎ、診療介助…。日中は5-7人、夜は13-15人の患者と関わります。
まだまだ甘っちょろい!私は20人看れるわよ!みたいなスーパーナースさんがいるのかもしれませんが、私には難しかったです。そんなに守れない。
1:7も現実的には無理があると私は思っています。

やることが多すぎる。
手助けが欲しい。
突然の出来事には対応できません。冒頭の話ではありませんか。
私たぶん気づかないうちに転んでいました。

その病院で師長になりたいわけでもなく、研究という名のレポートをやり、毎日残業して家に帰って寝るだけの日々をあと40年ほど続けていく自分の人生を考えた時に、違和感を感じ始めました。
イキイキと楽しく働いている先輩が、同期が、どのくらいいたでしょうか。

帰りたい。自分の時間が欲しい。
あったんですよ、自分の時間も。でも上手く使えなくなっていました。
ストレスで顔がニキビだらけになりました。(前回のダーマペンに戻る。)

自分の生活はこれでいいのか

もともと3年か5年か経ったら辞めて違う病院に行こうかなーなんてぼんやり思っていましたが、病棟も診療科も人もどんどん変わって、寿退社はありえないし、2年も3年も辞めてしまうなら変わらないなと思って辞めました。
本当は経験値という意味で、この2年と3年の差は大きくあると思います。でもやる気がなくなっていた私は変わらなかったでしょう。

辞めてしまった今だから、指導者や同期に恵まれていて、沢山の患者さんと関わって、いい経験を得て、結果的には楽しかったように思えます。お話しを聞かせてもらって、その人の支えになれた時は嬉しかったです。もう1年頑張れたかな…分かりません。
でも当時は毎日どうやっていつ辞めるかを考えていて、前向きにはなれませんでした。

私は今、療養上の世話がメインの病棟からは離れ、診療の補助につき、一期一会で生活を見守る外来で働いています。元気になって生活していく姿を見られると嬉しいです。
外来の方が予定なく、突然の出来事が多いのでフリーズするんですが、多重業務量が圧倒的に少なくて動きやすいです。病棟と外来は全然違いますね。

夜勤がなくなり、夜に寝ている患者さんをみて羨むことはなくなりました。
辞めたい気持ちが減りました。
ニキビがほぼできなくなりました。

看護師の働き方は1つではないことを知って、経験値を積んでいる最中です。

まだ変わっていきたいけれど、私、
今が一番いい。

いつでも始められる

3年前。外出制限がかかる前に辞めて、全く看護に関係のない勉強をするために大学院に行きました。
そこで今まで関わったことの無い人々に出会って、私の人生が動きだした気がしました。

人生なんでもありじゃん。

ご縁もあり、また看護師ができています。
看護と全く関係のないデジタルの勉強も、お金の勉強もする時間があって楽しいです。

デジタルの仕事もします。プログラミングが今は楽しいです。
あわよくば看護とデジタルで医療が良くなるように。

身体と心と時間とお金のバランスを取って生きていくために、自分の身を置く環境は重要ですね。

そんなにうまく話は進みませんが、私と一緒に
一歩踏み出す
と未来が変わるかもしれません。

ではまた来週。バイバイ!

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