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着物を普段着にしたい私の着物文化衰退論

何年か前から、着物を普段着にしたいなと思っていた。

別に、劇的な出会いやきっかけがあったわけではない。

めちゃくちゃ可愛い着物を見て感動したり、着物雑誌のすてきな装いにくらっときたわけでもない。

七五三や成人式で着物を着させてもらったけど、眠い目をこすりながら早朝4時から着付けだったし、必要な物は母や祖母が用意してくれていたおかげで、注意力散漫だった。全く記憶にない。

それなのになぜか、着物を普段着にしたいな、なんて思うようになってしまった。

一時期独学で勉強しようとしたまま挫折して、その夢は放ったらかされてしまっていたのだけど。


それから数年後、祖母の形見分けで着物をもらった。

私は知らなかったのだが、祖母は着物が好きだったようで、桐の箪笥には着物がたくさん詰まっていた。

私にはまだ渋すぎて合わない色ばかりだし、着物初心者には格の高すぎるものばかりだったから、ハレの日や似合うようになる未来のために取っておくことにする。

しかし、これがきっかけで着物熱がぶり返し、着物を普段着にするために一念発起した。

どうにか見よう見まねで、簡単な着付けはできるかな? という程度になった。必要そうなものも一通りそろえたので、今後は練習&自分ナイズドあるのみ、といった感じだ。

祖母は晩年も新しい着物をよく買いに行っていたそうで(祖母の弟妹たちの中でも近くに住んでいる妹に付き合ってもらって、一緒に買い物に行っていたそうだ)、しつけ糸がついたままの高級品をたくさん頂いてしまったので、いつかこれらもキレイに着られるようになりたい。

祖母がそんなに着物好きだなんて知らなかった。私が普段着にしたいと相談していたら、喜んで話を聞いてくれていただろうか。そう思うと、少し寂しい。


自分の普段着を買うために、片道一時間近くかけて、地元唯一くらいの着物屋さんに買い物に行った。

着物屋さんの店主さんは、「着物が廃れたのは、大量生産のせいだと思う。芸術が、日本の文化が、ただの量産品にまで価値を落とされてしまったからだ」と話していらしたけど、それは違うような気がする。

服なんて所詮毎日着るものだし、汚れたりほつれたりしても仕方ないものだ。これは、着物に限らず、洋服だって同じ。

そりゃ大事に着たいし、特別な日には豪奢なものを着たい。

芸術的なつくりで、素敵な意匠で、一目でそのすばらしさがわかる代物は財産にもなるし、手元に何着かあると嬉しい。でも、普段着るのは、動きやすくて快適で過ごしやすいものが一番だ。

それなら、普段生活する分には、少々汚れたって平気で、くつろぐにも動くにも向いてるような、大量生産された安価品がいいと思うのは、普通の感覚だと思う。ユニクロやしまむらがあんなに市民権を得ているのは、何故だと思っているんだ。

逆にそうやって、「着物は特別な衣服で、芸術的なもので、偉大な日本の伝統だ」と殊更にスペシャル扱いする人たちの声が大きすぎて、着物が日常から切り離されてしまったんじゃないかなあと思う。

3,000円でTシャツとデニムが買える時代に、一着20,000円もする上に、他にも長襦袢だの帯だの紐だの必要だから揃えろとか、着付けを習ってキレイに着ろなんて言われても、倦厭する人の方が多いんじゃないだろうか。

毎日身にまとって、自分を飾るように、自分を示すようにするものなんだから、「日常使いらしさ」を失った時点で、廃れてしまうのは必定だろう。

あと、単純に、生活様式とかけ離れてしまったせいもあると思う。

洋風のトイレは着物では使いづらいし、ブラジャーは帯に当たって痛いときがあるし。

汚れたら適当にネットに入れて洗濯機で洗いたいもん。手洗い・クリーニング・桐の箪笥がないとお話になりません、とか、忙しいワーキングプアの現代人に無茶言うなって感じ。ポリエステル100%最高。


洋服と同じなんだから、おしゃれしたい人はおしゃれすればいい。ブランド物を着たい人は、着ればいい。着飾るのだって、素敵なことだ。

でも逆に、ジャージや大量生産品で過ごしたい人は、それでいいじゃないか、と思う。

着物が特別なものだと思うのはひとの価値観だし、実際格の高いものも存在するのも事実だ。

でも、そればかり残していったら、本当にニッチで特殊で限定的なものになるのも当たり前だ。量産品やお手軽感を排除しようとするから、文化全体の衰退につながってしまうのではないか。

洗濯機で丸洗いできる安価な大量生産着物で、まったり暮らしたい人を許してくれれば、「着物文化が廃れた」なんて嘆く羽目にはなりにくいんじゃないかな。

実際、フリマアプリでは、ユーズド品・新品問わず、洗える着物が1,000円程度から出回っていて、とても人気だ。買い手の入札やコメントも早いし、売り手も続々出品している。

生活様式はいかんともしがたいけど、着物の着方についてあれこれ言ったり、着物は芸術品だからと量産品を責めるような「着物信者」が噛みついてこなければ、もっともっと着物は復権すると思う。

私みたいなにわかが着物を着ても、薄目で見ててほしい。いつか毎日正絹着物ばかり着るような、ガチ着物ユーザーに育つかもしれないし。


だから、おはしょりがうまく作れない私を許してね、と心の中で誰かにつぶやきながら、私は今日もフリマアプリで「着物 洗える」と検索をかけるのだ。

だって普段着にしたいもんね。

そして、ハレの日には、とびきり豪奢でオシャレで格調高い着物を着るのだ。祖母から譲り受けた、伝統的なものだって大事にしながらね。洋服と一緒だよ。

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