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今日、夢に出てきたらまたおいで

小花が散らされた、秋めいた色のワンピース。

――を、買うかどうか。

財布の中身と未来の私とタンスの中身と議論しながら、私が頭を抱えるたび、店員さんは気さくに笑って言ってくれた。

「今日、夢に出てきたらまたおいで」
夢に出てくるほど好きだったのなら。

大好きな服屋さんで、信頼している店員さんにすすめられて、私も一目で気に入った服だ。
今日買わなくても、明日。または週末、もしくは来週買いに来る。そうピンとくれば、夢を見る前に今、買って帰るべき。
そんな具合になんとか線引きをして、そこまでじゃないかなと諦めることもある。

結局その日は帰ったけれど、後日、そのワンピースは買った。


最近、亡くなった祖父の夢を見る。
私は元々は夢を見ることが多い方なのだけれど、家族に尋ねると、彼が夢に出てきたことはないと口をそろえて言った。
あまりに頻繁なので、ちゃんと天国に行っているか心配していたら、金色の光の中で彼が現れる夢を見たので少し安心した。

私は、世間でいうところのおじいちゃんっ子だった。
遠方に住んでいたので、会うのは正月とお盆の年に2回。彼が亡くなる前の数年は、事情もあって会うことはほとんどなかった。
それでも、彼は亡くなる数時間前に私の夢に現れ、亡くなった今も、ひょこり夢に顔を出す。
生きてたときより会っているというのも、なんだか変な感じだ。


お盆に、祖父の家に行った。
家に着くなり、私たちは家中の窓を開け放った。私の住む土地に比べて涼やかな風と、それ以上に暑苦しい蝉の鳴き声を存分に取り入れながら、「やっぱりちょっとカビ臭いな」と誰かが言った。
家族は除湿剤の話をしていた。私はというと、うっかりお皿を割って指を切っていた。


葬式以来、私は彼の家に立ち寄ったことがなかった。仕事にかかりっきりで、残された家の掃除も全く手伝っていなかった。
「それなのに、かなちゃんの夢には遊びに行くのねえ」と、家族はふてくされていた。
夢は、私が見たいから見ているのだと思う。

「今日、夢に出てきたらまたおいで」

それは、「夢に出てくるほど好きだと思ったなら」という意味で、夢を見るほど忘れられないのなら、ということだ。

お経を読むお坊さんの背中を見ながら、私は少し泣いた。
お坊さんが帰って昼食を済ませた後、私はおじいちゃんの家で昼寝をした。
おじいちゃんの家で、おじいちゃんは夢に出てこなかった。


秋色のワンピースはというと、年を重ねて似合う色や柄が少し変わってしまって、出番がめっきり減ってしまった。
同じ事情で手放した服はあるけれど、このワンピースは、まだタンスの中にある。夢を見るほど忘れられないと思ったワンピースだから、また似合うようになったら嬉しい。


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