見出し画像

雪を見たいから、旅に出る 2019-Day#01

いつも長期休暇は旅に出かける。
青春18きっぷ を使って旅に出かけることが多いが、去年の夏は自転車で旅をした。ただ冬の期間だけは、自転車旅行に不向きな結露や雪の問題があるため電車旅行を選んでいる。

今年の休みは珍しく長いこともあり、どこに行こうかと大いに悩んだ。
今回は休み前に実家(岡山県)の回線不備やらPC関連のメンテナンスを頼まれたこともあり、実家に立ち寄ることは目的の一つとなった。そうなると、あまりいったことのない山陰地方を海沿いに電車で揺られ、京都へ向かうのはどうだろうと思いついた。
しかし頼まれたとはいえ東北の山形、秋田、青森の豪雪を巡るかという素敵プランも魅力だった。ただ2019年のGW10連休予定のため、GWは東北をバイクで気ままにブラつきたいとおもっていたこともあり、それならばと今回は実家の方向へ向かうことに決めた。

12/31〜1/1

どうせ実家を目指すなら、なんとか安くて楽しい帰り方はないかと考えていると、金沢行きの夜行バスが5000円だった。
これだ!朝から金沢で岡山に向かえば、雪も楽しめて最高だ!と考えつき、いそいそと荷物をリュックサックに詰め込み、風呂に入り、味付けに失敗した年越しそばになんとも言えない気持ちになり、バスの発車時間に合わせて部屋を出た。

バスの待合所は大変混雑していたが、無事乗ることができ、旅の始まりに胸を高鳴らせつつ寝た。

開けて翌日、金沢駅に到着。

のんきに撮影をしたあと、実家の留守電に「キョー帰りますわー」と伝言をいれ、青春18きっぷ を購入しようとみどりの窓口にむかった。
だがチケット販売機で切符を探すとなぜか青春18きっぷ の販売項目がなかった。
why?
やや焦りながらみどりの窓口内の駅員に聞くと「青春18きっぷの販売は12/31までです」という無慈悲な案内。
ボクはガックリと膝をついた。

なんのためにここまで来たんだ……いやまて諦めるのはまだ早い、そうだチケットセンターで販売してるのでは!と金沢駅付近のチケットセンターをまわるも、元旦から営業しているわけもなく店舗のシャッターに貼られた『1/4から営業再開』の張り紙ばかりがボクを迎えた。途方にくれながら諦めきれずに探していると、24時間販売の自動販売機にたどり着いた。
だが自動販売機にはもちろん青春18きっぷ は販売しておらず、京都行きのチケットなどが安く売られていた。

ん………キョウト?
……………もしや関西の商売人なら、元旦からやってるのでは……?
と思いつき、京都のチケットセンターに電話しまくった。

その甲斐があって4店舗目で
「何回分でっか?4回分なら9000円で売っとりますよ」
「すぐ行きます。取り置きをお願いします!」
と告げるないなやボクは京都方面行きの電車に飛び乗った。

金沢から京都は鈍行で5時間ほど。各駅停車の鈍行に揺られながら窓の外を眺めていたが、それは期待していた風景ではなかった。豪雪と聞いていたが、ところどころに雪は残っている程度で一面の銀世界とはほど遠い景色が続いた。しょんぼり。

京都へは予定通り15時前に到着。そのままチケット屋へまっすぐ向かった。
取り置きしていため無事チケットを購入することができた。
「ところで、他に18きっぷって販売されてますか?」
「さっきまで2回分もありましたけど売れてしまいましたわ」
どうやらほんとうに運が良かったようだ。

安心すればお腹が空く

金沢に夜行バスでたどり着いたあとから今まで、心が不安で専有されていたが、4回分の青春18きっぷという心強さを得たボクは突然空腹に襲われた。

大阪で美味しいものでも食べよう。
そう考え、ちょうど到着した大阪行きの新快速に乗り大阪へ移動した。

大阪には昔住んでいたこともあり、色々と久しぶりに食べたい物があった。
しかし元旦であるためか、阪急3番街どころか梅田の地下街すら全店休業。
ヨドバシ梅田のレストラン街なら…と思ったが、どこも行列という状況だった。

いっそなにか適当にと思ったが、昔、時間がない時によく食べたサンマルクカレーだけはあいていたので茄子カレーを食べた。
久しぶりに食べたサンマルクのカレーはどこか懐かしい味だとは思ったが、記憶のカレーとはなぜか一致しなかった。

その後は、お土産を買って新幹線で実家へ戻った。

新幹線で移動しながら、近畿地方に来て何度も感じていた違和感を考えていた。それは現地で聞く関西弁が自分が思っていた関西弁と微妙にイントネーションが異なっていたり、エスカレーターの右側に立つことを忘れて左に立っていたりという小さなことだった。しかしそれは、ボクがいつの間にか関東の人になってしまっていたことを気付かされた。それは同時にボクにとって関西が第二の故郷ではなくなっているのだなと感じた。

数年ぶりの実家

岡山駅には父親が迎えに来てくれていた。
懐かしい道を通っているはずだが、記憶の中の店がいくつも変わっていることに気づいては、時間の流れを感じた。

家につくと母親と久しぶりに対面した。
だが、ボクは母親が苦手だ。
会話をしているのか、独り言で会話した風なのか。
Twitterのエアリプライのような会話に似ている。
相手が聞いているなら返事があるかもしれない。でも返事は求めていない。返事があっても自分が望んでいる返事ではないかもしれない。
そんな無意味であたりさわりのない会話。それは見えない透明な壁越しに会話をしているようだった。
どれだけ月日が経とうと、そのコミュニケーションは変わることがなかった。
家族は一番身近な他人。
ボクはそれをよく知っている。

それでも寝ているときの数m範囲に家族がいるということは長らく久しぶりの感覚だったのためか、安心しきった睡眠はとても深い眠りとなったようだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?