懐疑派ではない

 自分のここ20年くらいのUFO趣味の流れを考えてみたが、やはりそこには「子供の頃のあの話は何だったのか」というのが基礎にあると思う。
 他のブームと違ってUFOは解説本がやたら出て終わったものではない。

 あと、自分は「懐疑派」と呼ばれる事もあるのだが、未確認飛行物体そのものは懐疑しておらず、「コンタクティ支持派」と「墜落円盤支持派」を懐疑しているだけだと思う。

 よって、年末のテレビ番組で「UFOは無い」なんていう席に座っている人達とは全く違うのだ。あると思うのだ。UFOは。他人の思想信条に何をケチつけているのだ。そんなに正しいのか、「UFOは無い」と思うのは。
 でも「UFOはある」の席に座っている人達も、なんか心情的には違うんだけどね。

 この辺は気を付けている事で、やっぱり権威になったらつまらない。自分は「にわか」だと思うし、そう自覚した方が気楽に趣味として楽しめる。言い方は悪いかも知れないけどね。
 商売なら信者を増やすんだろうけど、やっぱり一緒に泥まみれ汗まみれになって調べられるような、対等な仲間以外はいらないな。
 なんか先生扱いされて、質問攻めになるようなのは違うと思うし、「師匠」と「弟子」みたいな上下関係は、自由な意見の敵でしかない。

 UFOは、福引きのガラガラを回すようなものだと、確か志水さんが言っていた。今まで出た玉を見て当たりは無いから中にも当たりはないだろうと思うのが否定派、今まで出たのはハズレでも、きっと当たりがあるだろうと思うのが肯定派である。
 色を塗り替える不正を働いたり、赤い玉を白だと言ったりするのは単なる悪ふざけでどちらでもない。悪ふざけだけならいいかもしれないが、議論に加わるのはおかしい。

サポートありがとうございます。 はげみになります。