裏垢について

「裏垢」(裏のアカウント)ってどうだろうねって話を若い人にした時、「監視社会だからね」って返ってきた事があった。

 確かに、私がインターネットやり始めた時は使える人間が限られていたけど、今は親も教師も同級生も普通に使えて当たり前。常に見られていて、どこかに「逃げ道」が欲しいんだろうというのは判る。

 私も「自分が若い頃にLINEが無くて、本当に良かった」と思っている。なんでも馬鹿な事が言える友人だと思っていたのに、何かの使命感(思想、宗教、商売その他)に目覚めてマウンティングしてくるようになったというのも、何度かある。あるいは最初からそう見られていたのか。

「楽しい遊覧鉄道」や「ウンモ星人GOGO」というウェブページやった時は承認欲求とかじゃなくて、「人間いつか死ぬから」と考えていた。
 結局インフォシークの無料ページの方が人間より短命だったんだけどさ。

 あの頃は、実は気持ちが潰されそうだった。前にどこかで書いているかもしれないけど、車の会に入っていて、最初はゆるい感じの所だったんだけど、イベントを年に何回も主催するようになって、それも楽しかったけど、大掛かりになったり、事前に現地入りしたり、色々前準備が多くなると、疲れるようになるよね。
 車のイベントって下手すると人が死ぬから、気も抜けないし。

 参加する会員としない会員がどうのとか、お前はスポンサーを見つけてこないとか、犬でも愛情かければ言うこと聞くのにお前は犬以下とか、活躍の場を与えてあげてるとか、○○の楽しさを味わわせてあげたいとか、お前の為を思ってとか、みんなで決めたとか、そういう話になったり。
 毎日顔を突き合わすのは良くないんじゃないかと思った。
 立派な活動なのかもしれない。でもだんだん楽しいとは思わなくなっていった。
 あと、パソコンのプログラムも、仕事でなら出来るけど、趣味で同じようにやるとつらいと思うようになった。

 なんとしても「俺がやる趣味」をやりたかった。趣味をやるのは俺だ。こいつらの飼い犬にはならない。

「ものぐさ太郎」はいわば自分の裏垢だ。何より自分のペースで進めていける。
 趣味は一人でやるものだと今では思っている。一人でできないならやるべきではない。
 趣味は心を豊かにするというのは多分ちょっと違って、心を豊かにできないと思ったら、趣味をやるべきではない。

 本垢は持たなくてもいいんじゃないかな。裏のアカウントを使い分けていれば。

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